図説 日本妖怪大全 (講談社プラスアルファ文庫) (詳細)
水木 しげる(著)
「水木しげる妖怪図鑑の集大成」「ご本人自体が既に妖怪化している」「妖怪辞典というには…。」「巨匠・水木 しげるによる妖怪図鑑」「読み物としても楽しい妖怪図鑑」
遠野物語 (集英社文庫) (詳細)
柳田 国男(著)
「原典にして金字塔か」「歴史は反省の学」「新旧取り混ぜて」「「平地人を戦慄せしめよ」」「面白い」
「日本の神様」がよくわかる本 八百万神の起源・性格からご利益までを完全ガイド (PHP文庫) (詳細)
戸部 民夫(著)
「よく知られた神々の説明」「タイトルの通りです」「わかりやすいです」「日本の神様の索引」「豆知識にも!」
沖縄文化論―忘れられた日本 (中公文庫) (詳細)
岡本 太郎(著)
「オキナワモノの最高傑作!」「今では陳腐な沖縄論」「三島、川端も絶賛した沖縄旅行記の大作」「沖縄に行く人も行かないひとも、読むべし。」「沖縄を考える」
カラー版 妖怪画談 (岩波新書) (詳細)
水木 しげる(著)
「妖怪と民俗」「あの水木さんの感性がびんびんと」
おうちで楽しむ にほんの行事 (詳細)
広田 千悦子(著)
「生活の基本−歳時記」「好きな本だなぁー」「堅苦しくない年中行事解説書」「なつかしい気持ちになります。」「季節を楽しむヒントがいっぱい」
夜這いの民俗学・夜這いの性愛論 (詳細)
赤松 啓介(著)
「疑問が解けた」「<学>ではないが・・とにかく痛快!」「語り部の名調子」「史上最強のフィールドワーカー」「多分嘘じゃないだろう」
「完璧な図鑑。」「オールカラーでお買い得、内容も○」
手仕事の日本 (岩波文庫) (詳細)
柳 宗悦(著)
「民藝の旅に出てみませんか?」「追憶すべき記録」「良い本だとは思うけど」「日本人に生まれて良かったと思わされる素晴らしい本。」「各地の民芸品探しの目次として。」
鬼の研究 (ちくま文庫) (詳細)
馬場 あき子(著)
「鬼さん」「『それをかく鬼とはいふなりけり』」「行間から聞こえてくる鬼哭」「鬼とは何ぞや」
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・「水木しげる妖怪図鑑の集大成」
今まで数々の水木しげる妖怪図鑑を読んできたがこれまでの妖怪図鑑の集大成という感じでかなりの満足度。自分がこれまで読んできた妖怪図鑑に掲載されていた妖怪は大体載っている感じである。コンパクトで電車の中などでも気軽に読めるし個人的にはオススメしたい一冊。
・「ご本人自体が既に妖怪化している」
妖怪といえば水木さんである。もうご本人自体が既に妖怪化している。その水木さんの代表作といってよいのが本書であろう。1991年に単行本として発行されているが、僕が持っているのは文庫版。以前書店で単行本を見かけたことがあったが、買っておけばよかったと今でも後悔している。結構大判のしっかりした装丁だった記憶があるが・・・。内容はひとことで言えば妖怪事典。425の妖怪たちが、見事なタッチで描かれている。小豆洗い、油すまし、あかなめ、一本ダタラ、鎌鼬(かまいたち)、座敷童子(ざしきわらし)、さとり、土転び、泥田坊、ぬらりひょん、震々(ぶるぶる)、枕返し、蛟(みずち)、目々連(もくもくれん)、呼子・・・・。イメージ湧きます?幼いころ目にした、耳にした妖怪たち、現在TVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」にも出てくる妖怪たちである。これらのオドロオロドしい、ときにはグロテスクな、ときにはユーモラスな、けれど精密に描かれた妖怪たちや背景と、水木漫画に出てくるキャラクターが妙にしっくり馴染んだ絵は、それは、見事なものである。妖怪ファンには(いまさら言うまでもないが)必携の一冊である。
・「妖怪辞典というには…。」
続編「図説妖怪大鑑」とのセットで“妖怪辞典の決定版”を謳っている。400体以上の妖怪を精緻なイラストと解説文で紹介しており、その質量には圧倒させられる。だが内容には不満が多く、妖怪好きに対しても薦められるかは微妙なところ。まず、妖怪の定義をきちんとしておらずあやふやなままにして逃げている。またそれに起因して、本来妖怪とは呼べないようなものも多く収録されている。妖怪の定義については専門家でも明確な定義を示すことが難しく、あいまいにせざるをえないというのはまだわからないでもないが、それにしてもページごとに異なる説明をしたり(一例:クネユスリでは「妖怪は誰がひとりが作ったり言い張っているだけではだめで、大多数に認知されたものしかそうは呼べない」と言いながら、鳥山石燕の創作とされる「文車妖妃」を堂々と掲載)、明らかに説明不足やこじつけ、著者の独りよがりと思える意見やエピソード(例:「オゴメ」「ノウマ」の出雲の古代霊、「白坊主」の宇宙人、「ひょうすえ」の妖怪青年など)を投げっぱなしのように書き散らしている箇所が多く、目に余る。このような矛盾点や説明不足等の悪癖は続編「大鑑」ではさらに程度がひどくなっている。このシリーズはあくまで「著者個人の意見・考え方を提示している」という解釈で読むべきで、ここに書かれている内容をそのまま鵜呑みにするべきではない。妖怪初心者(?)が妖怪を知るための資料として読むのは危険で、それが目的なら必ず他の本と併せて読まないと、この本だけでは誤った(偏った)知識や先入観を持ってしまう恐れ大。「大鑑」ほどは内容が破綻していないので、これから読む場合ははじめにこちらを読むことをお薦めする。
・「巨匠・水木 しげるによる妖怪図鑑」
巨匠・水木 しげるによる妖怪図鑑ゲゲゲの鬼太郎の世代には懐かしさを感じさせるものがあります。妖怪といえば、得体の知れない魔物だと思われがちですが、いがいと人間ぽいところもあったりするものです。民俗学的な価値もある本です。
・「読み物としても楽しい妖怪図鑑」
昔から水木ワールドと妖怪が好きで本もかなり買いましたが、これはおすすめです。425もの妖怪が、水木先生の精緻な描写と各地の伝承を中心とした解説で生き生きと描かれています。
確かに字は少し細かいですが、背景の描写は驚くほど精密で、妖怪や人間は単純な線で描く先生独特の画風が堪能できます。解説も全国各地の怪談や伝承、言伝えが豊富に収録されており、民俗学的にも価値が高いと思います。
何より、怪談集のようで読み物としても楽しく、仕事に疲れた時や現実を忘れたい時に手元にあると、癒される本です。
・「原典にして金字塔か」
聞いた話を、「そのまま」に書く。書き手の主観を悉く廃したその手法が、時代や業界が異なれば手抜きじゃないかと思われるこの手法こそが、金字塔の金字塔たる所以だろう。教訓めいた締めも、気の利いた落ちも無く、切り取られた映画の一場面のように記されていく不可思議な話は、その多くが「意味不明である」故にこそ、一層、異様な迫力をもって読む者の心を揺らす。「貴重な史料」であるのはもはや当然。ここは、想像力を刺激する一級のエンタテイメントと評したい。
・「歴史は反省の学」
『遠野物語』です。『遠野物語』『女の咲顔』『涕泣史談』『雪国の春』『清光館哀史』『木綿以前の事』『酒の飲みようの変遷』を収録しています。遠野物語は、岩手県遠野地方に古くから伝わっている伝説、民話、昔話などを収集したもの。天狗、フツタチ、雪女、ザシキワラシといったものたちを、活き活きと描いています。
他の6編は、エッセイというには深く、論文というのは堅苦しくないですが、いずれも日本人の文化について考察した民俗学の文章です。特に、「歴史は私などの見るところでは、単なる記憶の学ではなくて、必ずまた反省の学でなければならぬのである」という言葉が印象的でした。
・「新旧取り混ぜて」
『遠野物語』と『遠野物語拾遺』が一冊にまとめられている。折口信夫の「初版解説」と大藤時彦の「解説」が付けられている。 昔話・伝説なのだが、民俗学的関心から採集されたため、まったく飾り気がない。素っ気ない口調が面白い。 『遠野物語拾遺』には、遠野の上空に初めて飛行機があらわれた時の話も収められている。新しい出来事もどんどん「昔話」化していく過程を示しており興味深い。一方で明治以降もキツネに化かされた事件があり、驚いた。 柳田の年譜、索引、地図が備えられているのも嬉しい。
・「「平地人を戦慄せしめよ」」
柳田国男が35歳のとき(明治43年、1910年)に発表した衝撃作。もっとも、発表当時は、あまりに内容が異色だったため、世の中からほとんど無視されたらしい。 すなわち、内容は、平地に住む人(平地人)のことではなく、山に住む人(山神山人)のことに終始する。しかし、柳田氏は、これを「目前の出来事」だ、という。そして、「現在の事実」なのだから、それだけで立派な存在理由がある、と。 さらに、「目前の出来事」「現在の事実」にもかかわらず、人の耳に経ることは多くなく、人の口と筆とを倩う(やとう)ことがはなはだわずかだ。「目前の出来事」「現在の事実」を無視しようとするそれらの人々は、「外国に在る人々(献辞)」のようだ。そして、願わくは、それら「外国に在る人々」「平地人」を戦慄せしめよ、と(序文)。 この本には、「遠野物語」の他、「笑顔」「泣くこと」等について書かれたエッセイ6篇を収める。「泣くこと」について書かれたエッセイで、柳田氏は、歴史は反省の学問で、この世の中がどう変わってきたか、何と何とが特に著しく変わってしまったか、考える必要がある、という。そして、そのためには、「前のことを直接見聞している人」が相当数必要だ。そして、その条件に、観察が無私なこと、過去というものに神秘性を感じること、祖父の活き方考え方に対する敬虔な態度があること等をあげる(P113)。柳田氏の研究の方法論を垣間見るようで、興味深い。
・「面白い」
一つ一つが何気なく語られているのだが、そこに物凄く深い人間の諸相が現れている。柳田は語られた話をそのまま著述したのだろうが、遠野に伝わる伝承をそのまま著述しようと思ったと言うそれだけで、柳田の情熱がわかる。昔話好きにも民俗学を勉強したいと思っている人にも、文学好きにも絶対お勧めです。
短い話が一杯入っているので、何気なく手に取って、どこからともなく読んでも良いと思う。
柳田は、当時流行していた私小説を好いていなかったそうだ。あまりにも下らなかったからだろう。ここに出ている一片のエピソードを読めば、柳田の気持ちがわかる。
●「日本の神様」がよくわかる本 八百万神の起源・性格からご利益までを完全ガイド (PHP文庫)
・「よく知られた神々の説明」
この本は神道の神々についての記載が分りやすいです。
例えば稲荷さんについての説明にしても。通俗的に呼ばれている名称「お稲荷さん」で始まり正式な神名「宇迦之御神(うかのみたまのかみ)」とその別名「倉稲魂命など」神格「五穀豊穣 諸産業繁盛の神」総本社「伏見稲荷大社」などの紹介そして稲荷信仰の歴史や信仰についての紹介などが書かれています。
その他の神々についての説明も同じような形で進んでいきます。ざっと100柱の神道で崇められる主だった神々の紹介があるようですね。ただ、神話や神道で重視される神というよりも一般の信仰が厚いつまり神社が多く、一般で崇められている神々の説明に力を割いているような印象があります。それを良しととるか悪しと取るかはそれぞれでしょうが神道や民俗学を特別に学びたいと思わない人、一般の神社の知識が少しほしい人には向いている本と思います
・「タイトルの通りです」
根津神社に行った時、池にミドリガメがいっぱいいましたそれはもううじゃうじゃと、水から頭だけ出して、ちょっと卑猥ですらありました「八百万(やおろず)信仰」という、生きとし生けるもの(山とか池とかも)すべてに神が宿っている考え方のために処分ができないのですね たぶん
・「わかりやすいです」
これから日本神話を学ぶ方や、記紀神話を読む前に読んでおくと参考になります。1柱の神様に2〜4ページ程で説明されているので、とても読みやすく、ちょっと調べたい時にも辞書のように使えます。また、祀られているいる主な神社も掲載されているので便利です。現代日本人が忘れている歴史でもあり、知識として読んでおくのも良いと思います。
・「日本の神様の索引」
索引として利用するのに最適。日本の神様をこれだけ上手くまとめた本はあまりない。なんと言っても、調べ易い。
ただ、表紙カバーのイラストが漫画チックなのでとても残念だ。むしろ威厳のある表紙のほうが、購買意欲をそそると思う。内容とは関係ないので、☆は5つとしたが、安っぽい表紙は改訂のときに変えるべきだ。
・「豆知識にも!」
神様に興味を持って、ちょっと調べたい時に気軽に開ける本だ。簡潔にまとめられている。こういう本は一家に一冊あるといいと思う。宗教への入り口はいろいろあるが、本書もその一つだと思う。
・「オキナワモノの最高傑作!」
沖縄そのものが浮かび上がる傑作中の傑作。本当の沖縄を掴みとり、そして沖縄への深い愛情さえも感じさせる一冊。
実際に、岡本太郎本人が旅したのは今から50年以上も前のことで、本土への復帰よりも随分前なのだが、今読んでも新鮮で新しい魅力を感ずるのは、岡本本人の鋭い洞察力はもちろん、虐げられてきた島やその人々への共感と、沖縄を旅している自分自身への投影さえも垣間見れたのかも知れない。美ら海・美ら島、「沖縄の人が大好きだ」という岡本が紡ぎだす言葉は素晴らしく、当時は三島由紀夫がこの本を「なぜ、読売文学賞をやらないのだ。これこそ文学だ」と絶賛し、川端康成は「これを読んで、沖縄へ行きたくなった」と評している。
本土復帰にあたって、岡本の沖縄へのメッセージとして「沖縄が本土に復帰するなんてかんがえるな。本土が沖縄に復帰するのだ」は、強烈に印象に残る。知らなかった本当の沖縄を知ることで、今の日本人へのメッセージとして汲み取ることも出来ると思う。また、当時沖縄の各島を撮影した岡本の写真も、なかなか興味深い。
(ただ、この本のデザインは岡本らしからぬもので、もうちょっと何とかならないものかしらん。)
・「今では陳腐な沖縄論」
某所での読書会の為通読。
岡本太郎の文章は高校〜大学時代に愛読し、講談社の著作集さえ予約購入したほど。しかし、沖縄にはさほど興味は無く、本書はこれまで未読であった。
確かに、太郎流の情熱に溢れ、魂に訴えかける文章は天才的である。川端や三島が絶賛するのも納得できる。
が、肝心の沖縄文化には相変わらず興味は持てず、岡本太郎の民族学者としての側面を再確認できたくらいである。今から50年くらい前、本土復帰前の沖縄文化論、当時としては斬新で画期的であったのだろうが、今となってはむしろ陳腐化=常識化しているような観察・感想も多い。
沖縄マニアなら、基本文献として読んでおくのも悪くはないが、岡本太郎の文章としてはやはりまず主著である『今日の芸術』や『日本の伝統』、あるいは一番包括的な自伝『挑む』を推す。
・「三島、川端も絶賛した沖縄旅行記の大作」
岡本太郎にとっての「沖縄」のイメージが、実際の旅を通じて変遷し、確信に変わっていく様子が、易しく、素直な文章で、率直に表現されていて、沖縄に興味のある人もない人も自信を持ってお勧めする本です。
島津・琉球王国による二重の植民地的支配と重税・疫病・津波・台風・戦争によって、常に厳しく痛めつけ続けられた沖縄の人々が、諦観しつつも投げやりにならずに明るく助け合って過ごしてきた結果、形成された独特の文化、それが沖縄の文化である。意識された美、虚飾が一切なく、「生きること」に直結した唄、踊り、宗教、祭に触れた筆者は、その美しさに感激し、そもそも文化とはどういうものであるものなのかを確信しています。沖縄の文化と日本の輸入文化を対比させ、日本のすべての宗教も文化も、そもそも輸入したもので、政治的意図によってゆがめられたものであり、本来の日本人の肌になじまないものである。その結果、現在の日本人は同質化しており、自らの固有の文化を失っている。日本人の根底にある文化とは、忘れられた沖縄の地に皮肉にも残っているのではないだろうか?というのがあらすじである。
沖縄の歴史と文化について大雑把に理解でき、つまりは島唄の旋律が、どうして物悲しくも明るくも聞こえ、人を癒すのか?が、なんとなく分かったような気がしました。
なお、写真集「岡本太郎の沖縄」は、筆者が、「沖縄文化論」を執筆した旅行時に、筆者が撮影したもので、これまた、もはや貴重な返還前の沖縄の姿が切り取られています。いまは古本でしか買えないけど、貴重な一冊で、両方買って読みたいです。この写真集は竹富島の民宿にはどの家にも必ず置いてあります。
・「沖縄に行く人も行かないひとも、読むべし。」
大方の日本人にとって、沖縄は単に海がきれいで果物がおいしい南国の島か。それとも、日本の負の歴史を背負い占領に苦しむ、かわいそうな島なのか。
岡本太郎は、前者の無責任で能天気なだけの沖縄に対する意識ではなく、また後者のような同情を持ってでもなく、沖縄の本質を見抜き、そこに逞しく生きる人々の姿を生き生きと描いている。
沖縄について多面的に考えるには最高の書であり、沖縄を通して日本の歴史や文化をも考えさせてくれる本である。読み出したら、とまらない。
・「沖縄を考える」
丸山真男の「歴史意識の『基層』」という論文がある。
その基層の部分に溢れているのが沖縄だ。
平たくいえば、縄文時代の「原始日本」のものが溢れているのである。
北海道もそうなのだが、アイヌ民族の文化がほぼ途絶えてしまった今、原始日本を探るには沖縄にいくのが一番の方法だ。
岡本太郎の好奇心、行動力、観察力によって、その沖縄の姿がありありと伝わってくる。
・「妖怪と民俗」
カラー版の岩波新書である。 水木しげる氏による妖怪画100点ほどが、すべてカラーで収められている。 第一章は民俗学的なもの。会津若松の「だきつき柱」、秋田の「手足の神」、青森の「地蔵堂」など、各地に残る庶民信仰の場が描かれている。個人的には、ここがもっとも面白かった。 第二章以降は、妖怪の絵。附喪神や幽霊も。 べとべとさん、こなきじじい、あやかしなど、お馴染みの妖怪たちである。水木氏のほかの本でも見かけるようなものが多い。 手軽に水木ワールドをのぞき込むことの出来る一冊。
・「あの水木さんの感性がびんびんと」
あの水木しげるさんの感性がびんびんと伝わってくる。妖怪への愛情が絵からも文章からも伝わってくる名著。お勧めです。
・「生活の基本−歳時記」
スローライフという言葉が使われる機会が増えてきました。これは、忙しく生きる現代社会に対するアンチテーゼですが、結局のところ、昔ながらの生活の仕方を取り込んでいくということです。特に季節感をいっぱいに取り込んでいけば、それが一人一人の歳時記として身につき、あくせくしない生活ができるのだと思います。
そんな一人の歳時記を形にしたのが本書。「技術評論社」なんて堅苦しい名前の出版社の割にはイラストや写真が奇麗で、日々、手に取るのをためらわない感じがします。一気に読むのではなく、時々にどんな歳時記があるのか確かめながら手にするのが適当な一冊です。
・「好きな本だなぁー」
とても楽しかったです。読み終わったあとも手元に置いて使ってます。生姜番茶や蒸しパンは、懐かしい感じがして早速作りました。季節を楽しむ心を忘れないように、その月のページをめくっては、季節感を満喫しています。軽く読めるエッセイになっていて、イラストもかわいくて今は幼い娘に、嫁入りの時持たせたい本だなぁーって思いました。
・「堅苦しくない年中行事解説書」
美しい季節の写真と可愛いらしいイラストにわかりやすい文章で行事の由来、季節の料理のレシピまでついて読後『日本人の感性は世界に誇れる素晴らしい物だ』と暖かい気持ちになった
・「なつかしい気持ちになります。」
幼い頃、外で遊ぶことが大好きで四季を知らず知らずのうちに体で感じていたこと。大人になって忙しさからそんなことを忘れてしまっていた・・・。昔、母から教えてもらった日本の行事、慣わし・・・。・・・思い出させてくれます。なんだか、とてもホンワカした懐かしい気持ちにさせてくれます。
・「季節を楽しむヒントがいっぱい」
本屋さんの生活・家庭コーナーに平積みされているのを見て購入しました。知っているようで知らない、家庭内での季節行事。この本では、月ごとにエッセイと著者本人が描いた可愛いイラストで季節料理の造り方や行事の飾りつけなどをわかりやすくレクチャーしてくれています。自分のうちでもさっそく試してみたくなる本です。月ごとの暦ページの写真も綺麗!
・「疑問が解けた」
この本は40年来の私の疑問を氷解させてくれました。赤松氏には最大級の感謝を捧げたいと思います。どこの国の政府も自国にとって都合の悪い歴史、民俗、風俗を隠蔽し抹殺しようとするものですが、やはり、この日本も同様に事実を抹殺しようとする、忌むべき行いをしていたのだということが納得できる内容の本です。 今から30年ほど前に私の祖母(存命であれば今年108歳)が私(現在55歳)に話してくれた体験話に「昔は夜這いというものがあってなぁ、若い衆が、夜中になるとよくあっちやこっちの家に出入りしよったものだ」とか「お前ももう12歳になるからにはへんこ(sexのこと)がしたくてたまらんじゃろ」などと、まるでセックスにおおらかな態度をしていたことを記憶しています。 また、数年程前に近所のおじいさん(2年前に死亡、95歳くらい)から「お前んちでは昔ゃのう・・あっちからも(地名)こっちからもたくさんお手伝いが来ていてのう・・何日も泊まりがけで作業をしていたもんだ」という話を聞いたが、なにやらまだ言いたそうな口ぶりでした。たぶん、今の常識では言えないようなことなんだなぁとそのときは感じていましたが、それ以上は聞けずにいたものです。 我が家は地主だったため、田植えや稲刈りなどの時期には、近隣の村から働き手が来て昔はたいそう賑やかだったと聞いておりました。また、祖母は許嫁(いいなずけ)と結婚してましたし、当時見合い等という風習はなかったように話していました。 私の世代では既に、戦後の強烈なアメリカ資本主義キリスト教思想を受けたために、女性とはキスをしただけで妊娠すると思い込まされていました。 赤松氏の本を読ませて頂いて、この矛盾に終止符を打つ事ができ、今はとても安堵しております。 良いも悪いも、やはり、事実を基にして自己を構築していかなければなりません。赤松氏を嘘つき呼ばわりをする人がいるとしたら、なんらそのような事実を体験せず、また、求めず、空想の中(偽善者的禁欲主義とでも言える)で生きていくことに満足できる人であると思います。
・「<学>ではないが・・とにかく痛快!」
表題はこけ脅しで、「学」でも「論」でもないが、実体験をかたるその語り口が面白い! 柳田なんかも一刀両断、あっぱれである。愛すべきエロ爺、赤松啓介。できればテープで聴きたかった。
・「語り部の名調子」
コツとアジワイがあるという。前者が技能練磨的であるならば、後者はそれに人格的熟成が加えられものだ本文中に定義されている。文章にもアジワイがあり、赤松の名調子のアジワイは他の追随を許さない。関西弁で、あけすけにずけずけと語る名調子。古い地名や歴史的名詞、隠語、方言などに戸惑うが、歴史的なワイ談の集大成として魅力的な一冊である。『夜這いの民俗学』は主に播磨あたりの山村を舞台としており、『夜這いの性愛論』は大阪の町を舞台にする。今は失われた庶民の生活の資料として非常に面白い。多少の誇張や偏向はあったとしても、それを確かめる術は既にない。なにしろ、著者の体験に基づく記述であり、同じ時代を生きた人は、既に鬼籍に入っていることと思われる。商家の中の生活空間や、人員構成、階層比較など、性以外の面での描写も、具体的で説得力があり、包括的で新鮮である。なにより、人々への愛情が溢れている気がする。更に、柳田民俗学への批判は舌鋒鋭い。戦時下の学問のありようを問う点で、学問が政治の手先になるなかれと、他領域の研究者も傾聴に値する警句が含まれている。
・「史上最強のフィールドワーカー」
民俗学者による「夜這い論」。筆者は柳田國男と柳田派の研究者たちは「『郡史』や『町・村史』などの優れた民俗資料」を「選別できぬようなただののアホ」であり、「つまらぬ資本と政府に奉仕する駄犬に落ちてしまった」とする。つまり彼らの民俗学はきれいごとすぎて、ムラで実際に存在した性風俗を写し取っていないのだ。そういう彼のフィールドワークの真髄はなんといっても実践、というよりも実際に現地の人と一発やっちゃっているのだ!これ以上に「実践的な」フィールドワークは存在しないだろう。そもそもこの人、子供の頃のエピソードからしてぶっ飛んでいる。なんでも7歳のころ「近所に男の子が居ない」ので、女大将(ムラでは子供のなかで自治が存在し、男女別に大将も決められていた)の家に遊びに行っていたのだが、他の女児を「尻めくり」というイタズラをして泣かせてしまうと、他の女児たちに押さえ込まれ「チンポをつかんでむ」かれてしまったのだ!その上、痛くて泣いているとその「女大将が手をつかんで自分のマタへ入れてつかませ」られ、筆者は「なんだか大きなものをつかんだ」と思ったらしい。また、夏の川遊びに行くとその女大将に「鯨の一尺さしを渡」され、「みんなのもん計れと厳命」されるが、「九つぐらいから」は「ドテも高くなって直尺では計れな」くて、結局「女大将のものが最大ということにしてごまかした」という。そんな筆者の「初めての射精」もやはりその女大将が相手で、筆者が「十一の春休みに誘われて性交」したのだという。ここで重要なのは「初めての射精」が十一なだけであって、本当は「十の冬に近所のオバハンとコタツで性交」したのが初体験というのだからこれまたすごい。字数がなくなってきたのでここでやめるが、筆者の丁稚奉公時代のエピソードもこれまたすごい。ぜひ手にとって読んでみてほしい。これを読むと現代の恋愛が、人間にとっていかに窮屈な枠組みなのかがよくわかる。いまでこそ若者にとってオバハンとすることはありえないが、前近代では当たり前だったのだ。それに妊娠が伴わない限りセックスは身体を介したコミュニケーションである。近頃アダム徳永なる人物がセックスはコミュニケーションだといっているが、そもそも日本の前近代のムラ文化ではそうだったのである。これなんか読んでいると純愛なんてバカらしくて言ってられなくなるかも。
・「多分嘘じゃないだろう」
日本で民俗学者と言えば、柳田国男を真っ先に挙げる人が多いのだろうけど、その柳田は「性とやくざと天皇」を民俗学の対象としなかった。 著者は柳田(派)のその姿勢を痛烈に批判しており、本書はその「性」の部分を扱ったものであると言える。
「夜這い」というのは戦前、場所によっては戦後まで残っていた慣習らしい。 男女共、だいたい13歳頃になると、異性の年長者から性的な教育をされて、その後お互いに夜這いの対象となる。 で、読むまでの勝手のイメージとしては、男性優位で全くルールが無い、みたいな感じだったけど、全然そういうことはなく、ムラによって様々な規則があって、男女共相手にされない人は相手にされなかった様子。 一番安心したのは、男女平等だということ(多分)。 男が勝って気ままに、というのではなく、基本的には女性の側にもその意志があって初めて成立したもののよう。もちろん女性の側から誘うこともあったらしい。
そして、筆者の一番の強みは、解説で上野千鶴子が 「赤松民俗学のすごいところは、土地の古老に聞いた、という域をこえて、『わたしが実際に経験した』というところにあった」 と指摘しているように、明治生まれの筆者が実際に夜這いを体験して育ってきたというところである。 本書を書いた時は多分もう80代だったのだろうけれど、よく覚えてるなあと思うぐらい生々しい記述。また、いくらその頃のムラが開放的であったとしても見知らぬ民俗学者なんかに本当の性生活なんぞ教えるわけもないので、信頼されないと真実を語ってくれなかったらしいが、筆者はその点そういったムラ育ちであり、行商人として様々なムラの人と交流しており、実際の様子を丹念に聞き出せていたらしい。
また、筆者は兵庫県の出身であり、出てくるのはほとんど関西の地名である。なので、関西在住の方は読んでて面白いかも。 しかし逆にそれは、関西のみの調査を、一般化してしまうおそれもあるということ。 筆者もそれは十分に気をつけてるようだが、とりあえず筆者自身が体験したことは嘘ではない(はず)なので、ほんの少し前の日本はこんな感じだったのか、とある程度想像するための参考資料としては申し分ないはず。
現在の生活とは全く違うが、それを「不道徳」だの「汚らわしい」だの、嫌悪の対象にするのは間違っている。 ただ上にも書いたように、記述があっけらかんとしているけれども生々しいので、そういうのが苦手な人にはオススメできない。
・「完璧な図鑑。」
何より、著者が写真家なので花火の写真が綺麗。「こんなにもクリアに花火を撮れるのか!」と驚くほど花火が鮮やかです。
272pには「花火写真の撮り方」も紹介されています。これで1,764円は安い。打ち上げ花火に興味があるなら、買って損はないでしょう。歴史の記述もオールカラーで詳しくて、「花火博士」になっちゃいますよ!
・「オールカラーでお買い得、内容も○」
版元がポプラ社だけあって、小学校高学年〜中学生あたりを想定した構成となっていますが、大人も充分楽しめます。A5サイズ288ページがすべてフルカラーでものすごくお値打ち感あります。ページに余裕があるので、図版も大きく、様々な種類の花火がわかり易く解説されています。難点はボリュームがありすぎること(なんと贅沢な悩み)ですが、各ページのテキストの量はそんなに多くないので、パラパラめくりながら楽しむのにも向いています。
・「民藝の旅に出てみませんか?」
「貴方がたはとくと考えられたことがあるでしょうか。 今も日本が素晴らしい手仕事の国であるということを。」
この一文で始まる本書は現在刊行されている柳宗悦の文庫本の中で最も読みやすく、純粋に楽しい一冊です。戦前の日本全土で作られていた手仕事の品物を紹介した柳版・全国民藝品ガイドブック。他の著作に比べても格段に読みやすく、数多く掲載された芹沢ケイ(金偏に圭)介の小間絵も大変に楽しく、美しい。また、戦前までの日本の民衆文化の一端を記録した貴重な資料集でもあります。
もちろん、柳の民藝論をしっかり学びたい人には『民藝四十年』を柳思想の深淵を知ろうとするなら『美の法門』をお勧めしますが、もっと肩の力を抜いた柳に触れるのであれば、この本が最もお勧めです。ぜひ手元に置いて、紙上民藝旅行に旅立ってみてください。
・「追憶すべき記録」
日本各地(北海道を除く)の手仕事の案内書である。 また、日本の過去の「追憶すべき記録」でもある。 著者は、日常の道具の美しさを発見し、それを「民藝」と名付けた。 「日本の手仕事」ではなく「手仕事の日本」である。 戦時中に書かれたものであるが、青少年を読者対象としているのでたいへん読みやすい。 ページを繰ると、芹沢ケイスケの美しい小間絵(カット)が目に入り、嬉しい文庫本である。 平明な言葉で、「どの地方にどんな物があるか」ということが日本の自然と共に綴られている。 美しい手仕事を通したディスカバー・ジャパンともいえる。 巻末の地図と詳しい索引も重宝である。 著者は、実用こそが「美しさの手堅い原因」であるとして、「健康な美しさ」を賞揚する。
・「良い本だとは思うけど」
今から約60年前の太平洋戦争中に書かれた本です。著者が20年に渡って、日本中を旅して記録した素朴で美しい道具の数々が紹介されています。恐らく、本書に記されている道具の総数は1000個近くになるでしょう。乱暴に言うと、本書は、これらの道具を、ただただ紹介し続けるだけの本です。でも、読んでいて、不思議と飽きないのです。それは恐らく一つ一つの道具につけられた紹介文に鍵があるような気がしました。何というか、ひらがなが多めの、易しく、短い文章だけれども、的確で、かつ前後の文とのつながりが絶妙なんです。驚くべき文章力だと思いました。もう少し、ちゃんと読み込んで、この本の文章の秘密を解き明かしてみたいと思っています。
・「日本人に生まれて良かったと思わされる素晴らしい本。」
とても淡々と日本国中のいい手仕事のものを紹介し、叱咤し、誉めるという内容の本だ。 書かれたのが戦中なんだが、この頃からダメ出しされてたものたちは、今ではほとんど死滅してしまっているものや伝統工芸ももちろんあるだろう。 その淡々とした語り口と対照的に、なんと筆者の熱さとこの本およびその調査の素晴らしさ、意義が強烈に語りかけてくることか。 「美しさ」と「いい仕事」と「重さ」と「丁寧さ」と「品」について、これでもかと語り続ける本。 読み終わると、日本人に生まれて良かったと思わされる。こういった読後感の本て、貴重だと思います。日本人なら必読・必携。
・「各地の民芸品探しの目次として。」
着物に興味を持ち、織や染めの地を訪ねると随所で柳氏が登場します。戦後の民芸復興を推し進め、絶滅しかかっていた織や染めを復活させる働きかけをした人として。
その柳氏が子供むけに書いた日本の民芸を紹介する本です。北海道を除く各地の特色ある品(陶芸、染織、籠・食器・農作業具などの日用品)を紹介しています。それぞれについては名前と特徴をざっくり説明する程度。挿絵も全てについているわけではなく、知らないものについては想像のしようもないのが残念です。しかし、世田谷の日本民藝館にはこの本で紹介されている品のほとんどが納められているそう、近々見に行こうと思います。
この本は戦前に書かれ、戦後に出版されたとか。同時期に準備していた「民藝図録 現代篇」という大人向けの民藝紹介の本の原稿は、戦災で焼失したそう。こちらは図録が豊富だったそうです。惜しい。
・「鬼さん」
想像にも容易いものかと思いますが、鬼とは寂しいものです。何よりも孤独です。歴史の中に、鬼はその系譜を絶やすことなく、ひっそりと生き続けてきた。ある時は世情の不安が、ある時は芸術の関連で、ある時は歴史的な事件が、鬼を生んできた。すなわち鬼とは、現代にも存在しうるという、示唆の書です。さて、全編通して鬼に対する愛情の満ちあふれたこの本。客観的な検証がおろそかな気もしないでもありませんが、日本の風土を「鬼」という角度から斬る。その着眼、内容共に面白い読み物であることは確かです。オススメ。
・「『それをかく鬼とはいふなりけり』」
歌人でもある著者が、鬼に感情移入して始まった研究なので、文章は情感たっぷりで、冷静な文体とはいえないと思った。 それでも、なお、古代から近世まで、「鬼」を網羅し、一冊まるごと「鬼」で埋っている事例豊富な本として、入手する価値はあった。 文体は、読んでいくとすぐに気にならなくなった。読了する頃には、この達者な文章がむしろ心地よくなっていた。 文学や絵画に描かれた鬼を研究対象としているので、鬼そのものの研究というよりも、鬼を描いた人間・鬼を伝えた人間に、むしろ関心のウエイトがあると感じた。 鬼物語が最も多く語られたのは、平安時代だという。大和朝廷に従わなかった「山の民」「棄民」と、その末裔の存在が、「山で集団生活する鬼たち」の伝説の背景に読み取られる。また一方で、政治的な思惑のうずまく王朝の中で、何が「鬼」と呼ばれたか。伊勢物語にある『それをかく鬼とはいふなりけり』とは、いったい何を見たのか。「天狗」にも一章が割かれている。 中世に多くの名曲がつくられた能楽の「般若」面などをつける「女の鬼」への考察もたっぷりある。
日本人は、さまざまなものを「鬼」というひとくくりの名で呼んできた。その内実がこの本で明らかにされる。著者のように、芸術的衝動と共に「鬼」に惹かれるのは、「鬼」の一面を見ているからにすぎない。ほかの残虐な「鬼」もあり、その、著者の理解からは離れるのかもしれない「鬼」のことも、この本はちゃんと含み、記述している。
・「行間から聞こえてくる鬼哭」
鬼哭という言葉が行間から聞こえてくるような趣がありました。主に平安時代から中世にかけての鬼の成立、その生々流転の変化の相貌と衰亡の跡をたどって行きます。「鬼」に向けられた著者の眼差し、著者の思いが、ひしひしと伝わってきます。
鬼たちの声なき声が著者の心の底で受け止められ、考察され、嫋々たる管弦の響きを思わせる文章が素晴らしい。鬼に変身した後の「鉄輪(かなわ)の女」の気持ちに思いを馳せる件りなど、胸を発止と打つものがありました。
映像として殊に印象的だったのは、朝倉山の上から、大笠を着けた鬼が下界の葬列の光景をじっと凝視している姿でした。<< 遺骸を運ぶ喪の列を、深々とした大笠の下からじっと見ていた鬼がいたというのは、まことに深い、静かなおそろしさを感じさせる。>>と著者が書いている、その「深くて静かなおそろしさ」にぞくりとしました。
「鬼」たちの発生と変転、そして衰亡を見つめる著者の深い情がこめられた眼差し、きりりと引き締まった文章の凛とした味わい。
とても読みごたえがあり、心に残る一冊。
・「鬼とは何ぞや」
鬼とは、かくも悲哀と滑稽、妖艶と優美さを表す、モノなのか─。歌人でもある馬場あき子が著した鬼の研究の名作。夢枕獏の「陰陽師」の『生成り姫ノ巻』の最後の言葉の意味は、ここにある、といっても過言ではない。何十年も前に書かれた本であるというのに、古さを感じさせないというのは凄い。鬼の哲学書であるから、ただ読むだけでも面白い。内容は、歴史的な鬼の研究ではなく、古典研究の鬼、謡曲の鬼、である。「鬼とならねばならなかった一人の女の内側を連綿と余すなく語って」いる謡曲鉄輪。「つねに深い羞恥の心が孤独な〈艶〉をたたえて流れて」いる謡曲葵上。ぜひ一度、御覧あれ。
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