二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ) (詳細)
司馬 遼太郎 (しば りょうたろう)(著)
「偉人たちが語りかけてくるような一冊」「司馬先生の期待にこたえるために」「内容は素晴らしいが・・・」「卒業祝い&入学祝に贈りたい」「感動しました」
陰翳礼讃 (中公文庫) (詳細)
谷崎 潤一郎(著)
「繰り返し読んでみる」「陰影礼賛の心」「日本の美意識」「家なんか建てちゃう人は一度読んでみては」「リビングに蛍光灯」
打たれ強く生きる (新潮文庫) (詳細)
城山 三郎(著)
「みんなほんとは打たれ弱い」「この世界は不平等」「城山さんの考え方がよくわかる」「さわやかで含蓄の深いエッセイ集」
男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫) (詳細)
塩野 七生(著)
「カエルの子はカエル、フツウの男は・・・」「男磨きの参考書」「自己弁護」「魅力的な男になりたい」「男の本質に迫っているとは言えない」
嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫) (詳細)
米原 万里(著)
「もう一度読み返したい」「時代と国境を越えた絆」「ヨーロッパは地続きである、という実感」「三色に塗り分けられたかつての同窓生、そしてロシア国旗」「中欧・東欧のお国柄」
若き日の友情―辻邦生・北杜夫往復書簡 (詳細)
辻 邦生(著), 北 杜夫(著)
「真摯な魂の交流」
窓ぎわのトットちゃん (講談社文庫) (詳細)
黒柳 徹子(著)
「面白かったです」「笑いあり、涙あり・・・ぐっとくる一冊!!!」「きみはほんとうはいい子なんだよ! 」「癒されます」「面白いけど、句読点が多すぎて読みにくい」
逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズケアをひらく) (詳細)
川口 有美子(著)
「寝たきり状態でも、そこには何かある」「考えた事もない世界」「生きてる意味も委ねる生き方」「絶望の中に見出す希望」「体験を伝えるしずかな迫力」
エクソフォニー-母語の外へ出る旅- (詳細)
多和田 葉子(著)
「言語宇宙のかなたへ」「生活の中で外国語を使っている読者には頷けることが多い一冊」「創作者の側からの挑発」
街場の現代思想 (文春文庫) (詳細)
内田 樹(著)
「とっても分かりやすい文章。それだけにアブナイ本かも。」「考えて、見る。」「買いです。」「評価される側の気持ち」「内田樹はなぜおもしろいか?」
● 米原 万里
● 中学生はこれを読め!第3回本屋のオヤジのおせっかい - 9/20
● お勧め!
● よみきかせ屋
● 日経ビジネスアソシエ CULETIVATION PROGRAMで紹介された本/DVDです。
● 中公文庫
・「偉人たちが語りかけてくるような一冊」
司馬遼太郎さんが、文字通り21世紀を担う子どもたちへの希望を書き記した本です。本の端々には、自らが歴史と向き合い、感じた人間としてのあるべき姿とその精神をとうとうと語っています。それは、あたかも司馬遼太郎という作家を通じて、司馬遼太郎さんの執筆した過去の偉人たちが子どもたちに語っているかの如く感じます。
また、「洪庵のたいまつ」も緒方洪庵が、その半生でたいまつが燃え移るが如く、弟子たちにそして後世に伝えていった意志と実績を語っています。情報が遮断されていた鎖国という状況のなかで、針の穴からの光に例えられた出島で学んだ洪庵の姿は、現在グローバルの波の中で情報鎖国になっている子どもたちにとっては、これから目指すべく方向を照らすたいまつとなるのではないでしょうか?
司馬遼太郎さんは、今さら言うに及ばず、多くの大作を残してきた大作家でありますが、本書が納めている2作品は国語の教科書の文章として執筆されただけに、ページ数としては多くはありません。しかしながら、司馬遼太郎さんの司馬史観に基づいた作品だけに選ばれた一言一言の言葉には重みがあります。
うちの娘も読んで何かを感じた様子でした。
これは、歴史に残る国語の教材だと思います。
・「司馬先生の期待にこたえるために」
他の方々が書いているように、短い文章ながら力強いメッセージがこめられていて老若男女問わず読み手に強い感動を誘う内容。流石、司馬遼太郎ということか。学生に限らず、人生の節目にある人に対する贈り物にも最適だろう。
21世紀になっても世界は司馬遼太郎の懸念を十分に解決できていない。私は本書の執筆当時の対象年齢層だった。そういう意味でも司馬遼太郎の思いを託されたと思い、折に触れて読み返していきたい。
・「内容は素晴らしいが・・・」
内容は文句無く素晴らしい。老若男女問わず読むべき文章であると思う。ただ・・・印刷がどうも・・・。表紙を見ても伺えるが、蛍光色のようなどぎつい色で、ページを開くたびに不自然な色の自然の写真が目にぶつかってくる。心洗われるような美しい写真とともにこの文章が読めたらどんなにか永久保存にしたい本になっただろうと思うと、実に残念でならない。そのため人に贈る本としては対訳版のほうを選んでいる。
・「卒業祝い&入学祝に贈りたい」
絵本のような大きな文字と、すべての漢字に『ふり仮名』がふってある50ページにみたない薄い本。しかし、内容はかなり濃厚。少ない文字数と簡単な言葉で、核心を突いた深いことをスバッと言ってのける。
・「感動しました」
私は中ニです。この本は本屋でみつけて、買ってみましたが読んでみてすごく感動しました。この本を私の担任の先生に奨めてみたところ、また感動したらしく道徳の授業でこの本を紹介し、朗読しました。
でも感動だけではなく、大いに考えさせられました。私達が今いる二十一世紀は司馬さんが見たかった二十一世紀なのかと。すばらしい世の中なのか?と。
だからこそ、若い担い手である私達が今の現状を見据え、これからの未来を変えていかなくてはならないのだと深く思いました。
もっとたくさんの人に読んでもらいたいです。
・「繰り返し読んでみる」
文筆家による往時を偲ぶ、感じ赴くままの吐露。それは過去と現在の接点によって生じる不均衡や調和の問題として随想されている。初版時から年数が相当に経過している内容なわけだが、その分だけ本書の価値がより高まっているとも言えるかもしれない。繊細で美的な感性によって綴られた世界の見方に対する貴重なコメント群だと思う。
もともと本書は私にとっては捉えにくい内容だった。それから数年経った今、再び読んでみたところ、多少なりとも共感できた。また何年かしたら再び手に取ってみよう。私がかわったとすれば、読後の感ずるところもまた変化していることになるだろう。これは簡単な書ではないと思う。新たなものを生み出す苦しみ、そしてそれが完成した時の美と悦楽について語っているのではないかと感じた。
・「陰影礼賛の心」
葉隠れ、詫び・寂び、粋、の構造に通じる日本の伝統美。日本の美は、明かないこと、語らないこと。はじめて、国語の教科書で「陰影礼賛」を読んだときから気づくと、その美の虜になっている。その美を追求するうちに、意識が研ぎすまされ、心が清められてゆく。「陰影」が身体の一部となってゆくことを味わうこと。そんな愉しみを教えてくれる。
・「日本の美意識」
いやー面白かったです。
以前、ある人に、デザインをやる人間は全員、陰翳礼讃を読まなくてはいけない!と言われ、購入し、読まずに積んであった本を、やっと読みました。
別にデザインをやっているわけではありませんが、読み物としても面白かったです。
さすがに描写が美しいんですね。サンテクジュペリの夜間飛行を読んだ時と同じ感覚になりました。
光と影、そこに日本の美がある。
なるほどです。
・「家なんか建てちゃう人は一度読んでみては」
大谷崎が書いた日本文化論。日本人は陰翳とともに過ごし、その中で一番美しいものを作り出した、という文化論です。陰翳礼讃は今でも我々の実感として理解できる論です。なぜかしら古い話ではありますけれども、自然に谷崎の論は理解できるし納得もできる。それは本論が日本文化論のある中心を射抜いていることの証明だし、そして僕達が日本に住んで、日本でそだった証明なのであろう。それだけ普遍的な論なのであります。是非、自分の家を建てようと考えている人は一読してみるのがいいでしょう。きっとその間取りや設計に影響があるはずです。その他の論文も谷崎らしくてよろし。
以前読書雑誌に本木雅弘さんが本書を推薦していたのを思い出しました。「おくりびと」につながる道をちょっと理解した気持ちになりました。
・「リビングに蛍光灯」
〜何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造する「日本人」、はいつから変わってしまったのだろうか。いつから部屋を煌々と照らし出す癖が身についのだろう。しばらく本書を読み進めると〜欧州の都市に比べると東京や大阪の夜は格段に明るい〜と記されているが、陰翳を尊ぶ「日本人」が何故現在(昭和8年)変わってしまったかの考察は全くない。ただ昔の作者の記憶の中にある暗闇を懐かしがっているだけである。 昨今やっと日本も間接照明という輸入観念で陰翳が復活?したようだが、ちょっと前まではリビングを青白い蛍光灯で煌々と照らすという暴挙がまかり通っていた。欧米の居室の陰翳、光の使い方こそ谷崎が求めていたものではなかろうか?〜暗がりの中に美を求める傾向が、東洋人にのみ強いのは何故であろうか〜と書いているが本当に日本人、東洋人だけが暗闇を尊んでいたのだろうか。そんなに尊んでいたのならそんなにあっさりとその美を捨て去ることができるだろうか。蝋燭の灯りだけで撮った映画「バリー・リンドン」を谷崎は勿論知らない。
・「みんなほんとは打たれ弱い」
ストレスが心身の健康を蝕む。そのストレスの一番は人間関係。自分が打たれ弱いから強く見える人や識者たちはどうやって乗り切っているか知りたくて読みました。そしたら城山さん自身「弱い」といっていました。嬉しくなりました。城山さんは文の中には書いてありませんが彼の知己である名だたる経済人たちや歴史上の人物の生き様を多く知ることで彼らから沢山の胆力・知力・行動力などを学び、自分の血肉としていくことで少しずつ打たれ強くなるんだと一読者として理解しました。実際の場面での城山さんは毅然として揺るがない、まさに打たれ強いイメージですが、それも長年の経験と弛まぬ努力、学び力、真摯な生き方、そして発想の転換と行動力なんですね。
・「この世界は不平等」
打たれ強い、ということはストレスが溢れるいつの世も求められる資質なのかもしれません。エッセーの中の一部にこのテーマについて語られている部分がありますが、それ以外は左遷や歴史、城山三郎氏の各分野の知人・友人の話などで多様な内容の構成になっています。
面白かったのは、演劇浅利慶太氏の「この世界は不平等と思え」「自分の時計を持て」。そもそもこの世は不平等なのだから、自分のペースで歩いていけば良い。また、城山氏自身は「肉親を愛し、よき友人を持ち、よき趣味をもち文学や芸術を通して自分だけの世界をも豊かにしておくことである。このことが打たれ強さにつながる。」と言い、仕事だけの世界に埋没してしまうことのアンバランスを諌めています。
軽妙な中にも含蓄ある言葉多いエッセー集だと思います。
・「城山さんの考え方がよくわかる」
多くの経済小説を書いている城山さんの考え方のベースが良く分かる本です。多くの経済人を取材したり観察した結果を小説化するのでしょうが、城山さんが小説化する人物のどのような発言や言動に重きを置いているのかが分かります。短編のエッセイ集の感覚で読めますし、なるほどと思わせる章も多いので、出張などでの新幹線の中で読むのには適しているかもしれませんね。
・「さわやかで含蓄の深いエッセイ集」
本書は、日経流通新聞に連載されたエッセイがもとになっている。エッセイの数は71あり、全体のトーンは表題よりむしろ著者の引用しているワルラスの「静かに行くものは健やかに行く。健やかに行くものは遠くまで行く」という感がした。山種証券の創設者山崎種二氏の「大きな耳」からはじまり、福田総理の電話の話もあれば、レオナルド熊の話もある。毛利元就を引き合いに「大望があれば、勢いにのって破竹の進撃と行きたいところだが、それよりも、目前のひとつひとつの戦いをていねいに戦い終える」ことを説く。そうかと思うとスーパーの駐車場に傍若無人に車を止めた店員を引き合いにマニュアル教育の欠陥を批判している。著者の人生の知恵が詰まっており、時々読み返したいと思った。
●男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)
・「カエルの子はカエル、フツウの男は・・・」
私の場合、過去20年近くにわたり、幾度かこの54もの痛快なエッセーを読み返してきたが、第44章「成功する男について」の要件はことごとく満たせないまま、もう結論を先送りできない人生の折り返し年齢を過ぎてしまった。
・「男磨きの参考書」
著者の鋭い男性観察にたじたじとなる本。私のようなだらしない男には色々手厳しいことが語られているが、フツウの男を一人でも多くフツウでない男にしようとする著者の提言を参考にして、手遅れかもしれないが男磨きにでも励みますか。それにしても著者が求める「フツウ」のレベルが少々高すぎはしないか、と思うのは私だけでしょうか。
・「自己弁護」
半分あたりまで付き合ったのだが、読み進めるに耐えられず本を置いた。男たちへ…?本当にそうなのかな。これを痛快と感じる方もいらっしゃるのでしょう。男性へ。買うなら少なくとも最初の一章でいいから立ち読みしてからを強く勧めます。
・「魅力的な男になりたい」
副題にあるように、女性にとって、というより塩野七生さんにとって魅力的な男とはいかなるものか、というテーマにそった文集である。あくまでも軽いノリの文章だし、ここに書かれていることを鵜呑みにして真似をすればいい男になれるわけでは決してない、と文中にも指摘してもある。それでも、男の私としては、半分くらいはマジで読んでしまい、このような知的で魅力的な女性からイイ男と見られるようになりたいものだなあと思った次第である。自分にあてはめてみると、ファッションについては、‥‥うーんこれは将来的な努力目標とさせてもらいましょう。内面的なことや行動面のことでは、男は楽天的であれ、ということに大いに共感した。男から見ても、例えば部下が惚れ込んでしまう上司とは、困難な状況に立ち向かいつつも常に楽天的な姿勢を持つ器の大きな人物である。そのような男に、なりたいものだ。本書には、著者の女性としての感性が伸び伸びと表現されている。これを読んでから、「ローマ人の物語」を読み続けてみると、なるほどこれはローマの歴史を飾った数々の魅力的な男の物語なのだなあ、と思えてきた。特に現在読んでいるユリウス・カエサルには、塩野さんぞっこん惚れ込んでいるようだ。そういう意味では公平な歴史とは言いがたい面もあるのかも知れないが、読むのにはおもしろい。
・「男の本質に迫っているとは言えない」
雑誌に連載されていたエッセイを集めた本というのは作者が日頃からよく考えていたことを述べているものと締切に間に合わせるために適当な味付けをしただけのものが混在するのは仕方ないもので、この本も半分くらいは女の視点から男をこんな風に批評するのかと感心するものもあるが、残りは男の外観とか男の心理の表層的なところまでしか切り込んでいないものがあり、不満を感じる。本来、男は女が男をどう見ているか、その深い部分に触れたときは新鮮な感動を覚えるものがあり、逆に女も男について同じことが言えるだろう。そういうものがここにはあまりない。最初に丹波哲三、向田邦子、和田勉の鼎談の紹介が出てきて、これは面白かったが、後は男に関する女の意見として参考になるものはあるにせよ、感心するほどではない。 「ローマ人の物語」というあれだけの大作を仕上げた人がこれほどミーハー的であったというのは失望した。
・「もう一度読み返したい」
民族闘争や政治、戦争、いろんなことがいくつも重なる時代を一生懸命にいき、子供なのに大人にならざるを得なかった子供たち。。自分がいかに小さな世界でぬくぬくと生きているのかと思い知らされ、知らないことを恥ずかしく感じさせられました。
・「時代と国境を越えた絆」
少女時代にプラハのソビエト学校に通っていた著者によるノンフィクション。
旧友との再会や'60年代以降のヨーロッパの歴史がテーマになっており、シンパシーや理解力といった点で読者を選ぶ作品と言える。
・「ヨーロッパは地続きである、という実感」
誰にでも学校時代があり、それを懐かしむことはあるけれど。米原さんのように、プラハからの帰国子女、かつ9歳から14歳までの多感な時期を、旧ソ連の子女が通う学校(現地人の学校ではない)で過ごす、という経験をした日本人は滅多にいないだろう。
旧ソ連の社会主義崩壊がきっかけとなって、1990年代、米原さんはかつての同級生の消息を尋ねてゆく。それは単なる再会にとどまらない。ギリシャ、ルーマニア、旧ユーゴという出身地を持つ3人が、歴史の変化により人生を左右され、それでもなお淡々と、あるいはしたたかに生きる現在の姿を直視することでもあった。
地続きのヨーロッパ。イデオロギー、民族、育った土地、国籍とは一体何なのか?米原さんの弱者に対する優しさ、妥協しない姿勢、そして生けるものに対する慈しみとともに、それを考えさせられる。
・「三色に塗り分けられたかつての同窓生、そしてロシア国旗」
米原万里氏の死は早すぎた。世界は社会主義の崩壊を見た多感な少女の目線を永遠に喪った。
「リッツァの夢見た青空」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「白い都のヤスミンカ」この三色は、ロシア国旗の色では、「忠実」「勇気」「高潔」を表す(意味には諸説ある)。
祖国ギリシアに強い憧憬と望郷の念を持っていたリッツァは、ドイツで暮らしている。故郷は遠くに在りて想うもの。帰ってみれば、相容れない習慣や価値観がある。異国でも、自分を必要とする人や、忠実な友がいる。彼女はそれこそを故郷とする。そして、たとえ今いる場所が曇り空でも、確かに故郷の青空と繋がっているのだ。衛星放送のアンテナが、力強くそれを証明する。
ルーマニア人のアーニャは嘘をつき、その嘘を自ら信じ込む。矛盾や相違は見ないふり。というより見えない。知識は彼女に新たな目線を与えるものではなく、目隠しにだけ利用される。「国境なんて意味がない」と言いながら、「私の中のルーマニアは10%、90%はイギリス」などと、国境に縛られまくりの発言をする。自分の恵まれた環境を自覚せず、母国の遅れを蔑む。著者は心中の異議を口にしない。アーニャには現実を見る勇気が無いから。嘘で塗り固めた幸せでも、アーニャは曲がりなりにも幸せなのだ。
ユーゴスラビア出身のヤスミンカは、聡明で達観した少女だった。客観性を、恥の意識を持つ稀有な少女。著者と少数派である悩みを打ち明け合い、無二の親友になる。社会主義から冷遇された母国は、更に国家の分断、民族や宗教という寸断に晒される。しかし彼女は、大統領の娘という立場に対する逆差別と闘いながらも、己の信念によって高潔に生きる。結局、国家や民族や宗教を形作るのは、個人なのだ。少なくとも根本的には、個人である筈だ。
ソビエト学校という組織の中において、多種多様な人物に邂逅した米原氏。それらの細かなエピソードを掬い取り、この作品にまで仕上げた鋭く柔らかな感性。あまりにも早く、その目は閉じられた。しかし彼女の作品は、永遠に人の胸を打つ。
「ロシアでは才能はみんなのもの。妬み引きずり下ろすものではない」世界中の国々が、人々がこうであったら、人類はもっと早くより良い世界に住めるだろう。
・「中欧・東欧のお国柄」
著者の趣旨とは反するのかもしれないが、著者の友人三人の人となり、行動、成長ぶりがいかにも中欧・東欧の各国の個性を反映しているように思えるところが面白い。社会に根づいた貴族制度(平等の軽視と格差の容認)というのは社会主義革命程度では消え失せないと思った。これは中国も同じですね。最も複雑で陰影に富んでおり日本人には理解が難しいのが旧ユーゴスラビアだろう。旧ユーゴのイスラム系インテリ家族の気高さ、芸術への感性、悲喜劇は印象に残る。
・「真摯な魂の交流」
辻さんの『回廊にて』『背教者ユリアヌス』や、北さんの『どくとるマンボウ青春期』『楡家の人々』を、夜が更けるのも忘れ、朝方まで読みふけった若き日を思い出しました。お二人の交友はつとに有名ですが、本書簡集の主要部分が掲載された月刊『新潮』2009年9月号を読むまで、これほど深い友情で結ばれていたとは知りませんでした。旧制高校の先輩である辻さんが北さんを文学の世界へと誘なうことになったわけですが、今度は先に文壇デビューを果たした北さんが、小説を書くことの意味に確信が持てず懊悩する辻さんを励まし、作品を発表するための実際的な便宜を図る過程が、本書によって、手に取るように明らかにされています。一時代を代表するような作家二人が、青年時代から互いへの尊敬と愛を失うことなく真摯な魂の交流を続け、ともに大を為すというのは、文学史上でも稀な出来事ではないでしょうか。私信でありながら、一枚の葉書、一通の手紙からも文学の香気が漂ってくる、美しい書簡集です。
・「面白かったです」
この本は 発行部数が700万部を超えたと言われています。昭和の初期にこのような自由な学校があったのにはびっくりしました。1人ずつばらばらの教科を勉強していて、算数をやっている隣で理科の実験をする子がいるなど ユニークな授業風景だったと思います。いわさきちひろさんの絵もとても素敵な絵です。この本に良くあっています。涙あり笑いあり、楽しい本です。
・「笑いあり、涙あり・・・ぐっとくる一冊!!!」
子どもの頃から、名前だけは聞いたことがありましたが、今になるまで読んだことはありませんでした。ところが、ある別な本のなかで、この本の一部が紹介されていたのをきっかけに、トットちゃんに興味を持ち、即!購入しました。読書があまり好きじゃない私が、面白くて一気に読んだ本です。母になり、自分の子どもの成長に悩んでいる時だったこともあり、とても勇気付けられた本です。本当に子どもの成長を見守るとはどういうことなのか・・・?原点に戻って考えることができました。そして、黒柳徹子さんがとても羨ましく、また大好きになりました。
・「きみはほんとうはいい子なんだよ! 」
この本に初めてふれたのは、たしか小学5年生のときだったと思う。毎日、担任の先生が読んでくれた。
その先生は、どの教科もほとんど教科書を使わなかった。授業時間中に、近くの山に行ったりもした。その自由ぷりっに一部の先生や親からはよく思われていなかったらしいが、私たち生徒は、少なくとも私は、とても印象的な毎日を過ごせたことに感謝している。忘れられない先生の一人だ。
そんな先生が、読んでくれる『窓ぎわのトットちゃん』が、毎日楽しみだった。
先日、あらためて読んだ。あの楽しい時間を思い出しつつ、親や先生に近い目線でも読むことができた。あのときと同じように体の真ん中あたりが温かくなる感じがした。
私の大学時代の後輩に、若くして4人の子どもを持つお母さんがいる。一番上の小学生の男の子が、ちょっと元気がよすぎて、学校でしょっちゅう怒られて呼び出しをくらって、さすがに親子ともに、心も身も疲れてしまって悩んでいると聞いた。
その後輩に、『窓ぎわのトットちゃん』をすすめてみた。彼女は、涙を流して読んだ。自由奔放なトットちゃんとわが子を重ねたのかもしれない。
『きみは、ほんとうは、いい子なんだよ!』
校長先生がトットちゃんを見かけたときにかける言葉が心に響いたのかもしれない。そして、毎晩子どもたちに少しずつ読んでいる。「もっと読んで、もっと読んで」と大好評で、少しふさぎこみがちだった長男の表情にも元気が戻ってきたそうである。
・「癒されます」
感動の名作、といった肩肘張った感じではなく、ほんわかするような癒し系の本。理想の教育ってこういうやつだろうな〜と思った。進学塾講師のバイトをやっていた頃、この本に出てくる教育と自らの稼業を比較して、虚しくなったこと再三であった。
それにしてもこのトットちゃんの魅力といったら。今の黒柳徹子を見ていると、本当に昔はこんなだったのか? と目を疑いたくなる。ある程度、美化して書いているんだろうけど。トットちゃんが美人なんていう記述はどこにもないんだが、いわさきちひろのイラストも相俟って、何となくカワイイ気がする(笑)
・「面白いけど、句読点が多すぎて読みにくい」
実際にあった話が物語として書かれているので面白いです。フォントにも工夫がされていて、他の本を読むときとは違った感覚になります。ただ、句読点が多すぎて読みにくかったので★3つです。
●逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズケアをひらく)
・「寝たきり状態でも、そこには何かある」
寝たきりの状態にも、何かある。自分自身が寝たきりになった時、その何かで生きることも想像することがある。
ただ、この著者の話を何度か聞いたが、そこに到る選択肢、一つ以外の選択肢は排除されることに、どうしても納得できないかった。この本を読んでみても同じ。それを想像しなさいということなのか。
・「考えた事もない世界」
自分が、ALSと言う病は知っていたものの「体が動かなくなると言うことを具体的に考えたが無かった」と言う事実を教えてくれた本です。生きる、死ぬ、介護、家族、幸せと色々と考えさせられました。
・「生きてる意味も委ねる生き方」
川口有美子さんの「逝かない身体」を、あっという間に読み終えた。大宅賞を受賞する前から話題になっていたが、やはり、とてもたくさんのことを考えさせる本だった。これは多くの人に勧めたい。
・「絶望の中に見出す希望」
人間誰しも大なり小なり悩みがあるだろう。だが、もし自分の悩みとこの本の著者が置かれた状況のどちらか1つを選べと言われたら、後者を選ぶ人は一体何人いるだろうか。
・「体験を伝えるしずかな迫力」
ほかの方も書いていらっしゃるように、“闘病記”と呼んでしまうことには躊躇を覚えます。単なる“介護記録”でもありません。著者は、ALSという難病を生きる母を見つめ、その母を介護する自分を見つめつつ、家族介護の閉じた関係性にこもってはいませんでした。またこの本は、「ALSという特殊な病気のお話」でもありません。人間なら誰でも病気にかかるという点で、誰にでも通じるテーマだと思います。
学問で言うなら、社会学、倫理学、看護学、政治学……いろんな分野へのヒントが詰まっていました。この物語が、いわゆる論文ではなく、文学として提示されたのは、必然であったと考えます。病いをめぐる人間の営みをくまなく記述し伝えたいと思えば、ものさし一つではとうてい足りないからです。
たとえば、母上の病気が進行し眼球の動きもとまってまったくコミュニケーションがとれない状態になったときに著者はこう書いています。「想像には限界があった。だから母のために私に何かができるのだとしたら、それはありのままの母を認めて危害を及ぼすようなことは一切しないことだ。」(p.199) 人工呼吸器を止めれば母は楽になれるのではないか、という考えを反芻した末に、著者がたどりついた結論でした。「家族の代理意思決定」だの「慈悲殺の是非」だのといった聞き覚えのある言葉では語り得ないことだと感じました。
言語的なコミュニケーションがとれなくなってからも、母上がその身体でさまざまなことを伝えてきた様子もつぶさに書かれていました。身体からなにを読み取りどう応えるかは、ひとえにケアにあたる側の感受性にかかっています。押さえた筆致からは、著者が意図するのは読み手を感動させることではなくて、人間の生がはらむ可能性を見逃さないでほしい、大切にしてほしい、という気持ちなのだとわかるのですが、やはり体験から紡ぎ出された言葉には、人の心を動かすしずかな迫力があります。
これからわたしは折々にこの本を読み返すことになると思います。そして、読むたびに新しい発見をしていくことになるだろうと思います。
・「言語宇宙のかなたへ」
多くの読者は、この本を読んで多和田葉子の豊かな言語感覚に嫉妬せざるをえないだろう。彼女は常人では届かぬ言語宇宙のかなたに行ってしまっている。そして、読者に言語の持つ新たな可能性を手際よくみせてくれる。ほとんどの言語学者は言語を死物のように扱いただ分析するだけなのだが、彼らの書く愚にもつかぬ本をいくら集めてもこの『エクソフォニ-』には及ばない。
多和田葉子という希有な水先案内人とともに言語宇宙を旅しようではないか。
・「生活の中で外国語を使っている読者には頷けることが多い一冊」
第一部は書き下ろしで、幼少時代に使って身につけた母語とそれ以外の外国語で思索・創作するということについて思いをめぐらせた小論を20編あつめています。 第二部はNHK「テレビ ドイツ語会話」のテキストの連作エッセイを加筆修正したもので、ドイツ語の興味深い単語や表現について著者独自の視点から切り込んでいます。
第一部は、起承転結が明確ながっちりした小論文というよりは、自由気ままに思いつくまま筆を書きすすめたという緩やかさを伴った文が続きます。話題も変幻自在といった感じに転じていくので、えてして「で、そもそも何を論じようとしているの?」という思いも抱かないではありませんが、「自分の言葉」と「他人の言葉」の両方の間を往来しながら生きている著者ならではの「自在さ」があらわれているという風にも取れなくもないなと感じた次第です。
第二部はドイツ語を外から眺めて初めて見えてくる、ドイツ人自身も気づかない「隠れた個性」に目を向けさせてくれるなかなか面白い文章が並んでいます。私はドイツ語と出逢って四半世紀が経過していますが、それでもなるほどと思わせてくれる話が載っていて楽しめました。
しかしもともとが「会話番組のテキストの購入者」という限られた読者を対象にしている文章なので、おそらくドイツ語に多少なりとも知識がないと楽しむことは出来ないと思います。
・「創作者の側からの挑発」
このエッセイ集は、一言でいうと、クレオール文学、越境者の文学、移民文学、外国人文学など、創作者本人ではない他人からの定義を冠されてきた多和田をはじめとする母語ではない言語で創作を行う作家を、新しい視点、つまり、「母語の外に出て書く=エクソフォニー」という創作する行為から見て定義しよう(あるいは定義から解放されよう)というものである。彼らが母語ではない言語の選択にいたる原因だけではなく、結果として広がる豊かな現実、あるいは危険と隣り合わせである緊張感にあふれた創作行為そのものに目を向けようとしている点で、こういった主題を扱っている他の本に対する一種の挑発とも思える。
かかれている内容としては、彼女が旅先で経験したことを都市の名前を冠した章ごとに語!るというものであるが、端々に垣間見えるのは、ただエクソフォニーを礼賛するだけではなく、二言語で書きたいことが書けるという一種の特権性に対する謙虚さや、ドイツの作家がなぜドイツ語創作にこだわるのか、という事情への考察、そして、日本が他国に押し付けたエクソフォニーに対する目配りもあり、創作者ならではの視点と反省とである。「旅することと住むこととはわたしの中ではもはや相対的なもの」と語る作者の、危うくも快感をもたらす綱渡りのような、身を張った創作行為の舞台裏を見ることが出来る。
・「とっても分かりやすい文章。それだけにアブナイ本かも。」
この人の本を読むのも何冊目になるかな。どれも非常に平易で明快な文章。この本でも書いてあったかけど、大学の入試問題に採用されるのが多いと言うのも肯ける。基本的にはこの人の言ってることは、納得できるし、そのとおりだなって思うことが多い。でも、その文章力、論理的な組み立てによって誤魔化されているような気もする。こういう文章を書く人には気を付けなきゃね。特に、文化資本主義の話とか勝ち組、負け組の話は、そのとおりだと思うな。でも、だからこそ、その結論はもう少し保留して自分で考えたい。本当に彼の文化資本の戦略によって日本の社会の階層化は防げるのか、「勝ち負け」という区分は実定的基礎付けがない幻想なのかを。
・「考えて、見る。」
モーリス・ブランショが作家について述べた言葉。
「作家はその作品を通じて、自分を発見し、自分を実現する。 作品以前において、作家は自分が誰であるかを知らないし、 現に何ものでもない。 作家は作品を始点にして存在し始める」
この中の「作家」を「人間」に、 「作品」を「労働」に置き換えてみてください、と 著者は言う。
俯瞰すること。 物事を見通す術の一片を見た気がする。
・「買いです。」
この人の書くものを読んでいつも感じるのは、なににつけてものバランスのよさです。本書も筆者に寄せられた悩みや戯言に丁寧に、しかし時に大きく振りかぶって一刀両断に答えていくのですが、題名にあるような現代思想を例に引くことも多い割には自然に、たいへん示唆に富んだ箴言を連発します。肩肘を張らず、思考のトレーニングを行うことができる一冊です。
・「評価される側の気持ち」
裁判員制度が始まった。自分が裁判員に選ばれたらどうするか、凶悪な犯罪者に対し極刑の判決を下すことができるのか、等々、議論ともつかない議論が中途半端にマスコミをにぎわしているが、いずれも裁く側にとっての裁判員制度の是非であり、裁かれる側にとってのそれが議論されているのを見たことがない。 なるほど裁判員制度の導入によって刑が軽くなるケースもあるであろう。しかしそうはならないケースも当然考えられるし考えなければならないはずである。裁判官にではなく一般市民によって死刑を宣告される犯罪者の気持ちはいかなるものであろうか。 例えばわれわれはある特定の人物から社会的に評価されることが多い。学生は教師から、サラリーマンは上司から。低い評価を不当と感じることもあるだろうし「何も分かっちゃいねえ」と毒づくこともあるであろう。 しかしそう毒づくことができるのは「ほかのみんなは分かってくれている」という信憑があるからである。その信憑が裏切られたときはどうなるだろうか。全ての同級生が、全ての同僚が、自分に対し低い評価しか下していないことが明らかになったら。 誤差を含む主観的評価だからこそ救われているという現実がある。本書の「完全能力主義社会というのは完全な地獄だ」という内田の言葉を読んだとき、わが意を得たりの思いがした。 もう一つ興味深い論点として文化資本主義という考え方が提示されている。「気がついたら身についていた」教養を持つ「血統による文化貴族」に、「気がついたら身についていなかった」教養を持たない「学歴による文化貴族」は決して追いつくことができないという格差社会論は、環境決定論をほぼ肯定しているように見える。このような考え方は嫌いだし正しいとも思わないが、内田に説かれると正しいような気にさせられてしまう。雄弁家の功罪ともいえよう。
・「内田樹はなぜおもしろいか?」
世の中には、何となくおかしいと思うが、筋道を立てて反論しにくい、というたぐいの正論がある。例えば「人事評価制度を公明正大にせよ」とか「がんばって教養を身につけるべき」とか。まあ、反論出来ないのは自分の論理力の問題なのだが・・
内田樹はそういうこと(対象領域は何でも)に対して、少し次元を変えた論を起こし、一般的でない結論を提示しようとする。その中のいくつかは、「何となく思っていたけれども、自分ではうまく言語化出来なかったこと」という読者のモヤモヤとシンクロする。そのスッキリ感が、内田樹の本(またはブログ。どちらでも同じだが)をむさぼり読んでしまう理由だと思われる。
読後は「俺は元々そう思っていたんだよ。内田樹もたまたま同じことを言っているように」と勘違いが残る。愉悦である。
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