グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) (詳細)
スコット フィッツジェラルド(著), Francis Scott Fitzgerald(原著), 村上 春樹(翻訳), 村上春樹(著)
「文学としても娯楽としてもお薦め」「訳書だと海外での評価ほどのものとは思えない作品の1つ?」「社交界の群像から悲劇の展開へ」「フィッツジェラルドの最高傑作」「ギャッツビー、村上訳で現代によみがえる」
そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) (詳細)
アガサ クリスティー(著), Agatha Christie(原著), 清水 俊二(翻訳)
「訳者が誤訳するほどのミスリード。」「現在でも最高に面白い!!」「不朽の名作」「サスペンス物としては右に出るものなし、の大傑作!」「知の構築美を感じる」
ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス) (詳細)
J.D.サリンジャー(著), 野崎 孝(翻訳)
「これぞ思春期の男の子!」「ノイズのない音楽」「ライ麦畑でつかまえてみな」「アンダーグラウンド」「人を2種類に分ける方法」
おおきなかぶ―ロシア民話(こどものとも絵本) (詳細)
A.トルストイ(著), 佐藤 忠良(イラスト), 内田 莉莎子(翻訳)
「まだまだかぶはぬけません(@_@;)」「もっとも美しい日本語で書かれたロシアの絵本」「「話の引っぱり具合」の絶妙さ!只、カブを抜くだけの話でここまで注目させるのがスゴイ!」「迫力ある絵がお気に入り」「おじいさんはカブをどうしたかったのか?」
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) (詳細)
ドストエフスキー(著), 亀山 郁夫(翻訳)
「人間の裸形」「深すぎて手に負えない!?」「海外文学などに親しみのない人たちへ」「改めてその偉大さに」「素晴らしい新訳」
夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (詳細)
カズオ・イシグロ(著), 土屋政雄(翻訳)
罪と罰〈上〉 (岩波文庫) (詳細)
ドストエフスキー(著), Fyodor Mikhailovich Dostoevskii(原著), 江川 卓(翻訳)
「一気に引き込まれました。」「これが文学だったんですね・・・」「なぜ罪と罰なのか。。。」「永遠の聖女ソーニャ」「上巻の感想」
人間の土地 (新潮文庫) (詳細)
サン=テグジュペリ(著), 堀口 大学(翻訳)
「死は生を際だたせる光だ」「空へのあこがれ」「人類の皆様へ」「「人間の土地」の意味」「時代を超えて勇気をくれる、サンテグジュペリの代表的名著」
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫) (詳細)
ドストエフスキー(著), 亀山 郁夫(翻訳)
「大審問官」「読み返したい部分はあり・・・」「なんてエネルギッシュで、思いのあふれる本なんだろう」「にわか」「脇役たちのエピソード集といったつくり。後半への伏線か?」
キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション) (詳細)
J.D. サリンジャー(著), J.D. Salinger(原著), 村上 春樹(翻訳)
「これぞ思春期の男の子!」「ノイズのない音楽」「ライ麦畑でつかまえてみな」「アンダーグラウンド」「人を2種類に分ける方法」
● 未来少年たちへ
● ともに旅した本
● 捨てない本
● お薦め本
● 丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士「文学全集を立ちあげる」アメリカ編その2
● 夢中で読んだ本2
● 村上春樹名翻訳撰
● 私の好きな米文学
・「文学としても娯楽としてもお薦め」
アメリカ文学の代表作として、また村上春樹のベストセラー「ノルウェイの森」劇中に出てくる本としても知られる小説。自分は「ノルウェイの森」はNGだったので村上氏に対する思い入れは全くないのだが、この小説と翻訳については、見事だと思った。
翻訳というのは、どこかぎこちない「いかにも翻訳した」という文章も多いが、村上氏の訳文は非常にスムーズで読みやすい。彼のこの作品に対する思い入れの深さは巻末のあとがきに書かれているが、その熱意を確かに感じ取ることができた。
肝心の作品の方は、作者フィッツジェラルドの洒脱な、言い換えれば「気取った」言い回しが少々鼻についたが、高度な比喩によって、一言では言い表せない微妙な感情、空気感が表現されていて、これは確かに見事なものだった。
ミステリアスな大富豪ギャツビーと主人公の奇妙な友情、金持ちの豪華で騒がしいパーティー、人妻への叶わぬ恋、不倫相手とのガチンコバトル、悲劇的な結末…等々が、洗練された筆致で生き生きと描かれている。正直、つまらないテレビドラマを見るよりずっと面白かった。単純にエンタテイメントとしても楽しめる小説。
個人的には、最後の美しい文章に込められた、理想への切ない希求―に胸をつかまれた。村上氏がこの作品に感じたものを、自分も分かち合った気がした。そういえば、自分は主人公のニックと同じ歳だった。
・「訳書だと海外での評価ほどのものとは思えない作品の1つ?」
人妻デイジーに思いを寄せるギャツビーのひと夏の物語。主人公というか物語の主な視点となっているは、ギャツビーの隣人のニックである。日本人でこの本を読んだ人の大半は、訳者の村上春樹の「ノルウェイの森」を既に読み、その中で出てくる作品だから読んだ、というのが最大の理由なのだと思う。私もその内の一人だ。村上春樹が「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本」の一つとして挙げている作品でもあるが、他の日本人読者同様、それほどの作品とは思えなかった。少なくとも私の読書経験の中でベスト3に入るような作品ではない。海外では、フィッツジェラルドの死後に評価が高まった作品のようだが、海外での評価や村上春樹のこの作品に対する評価が納得できるようになるのは、やはり英語の原文で読み終えてからなのかもしれない。
・「社交界の群像から悲劇の展開へ」
ニック・キャラウェイが隣人、ジェイ・ギャツビーらさまざまな人たちとのひと夏の物語を回想する。前半で主に舞台となるのは、パーティーの席上だ。それは、ギャツビーの豪邸で、トムの愛人のアパートで、酒と白粉の混じったような匂いを読者に喚起させる。1920年代のアメリカの上流階級(現代も、どこの国でも、上流階級のパーティーは存在するのであろうが)の生態がかいま見られる。虚無的で華やかな始まりであるが、後半、物語は暗転してゆく。結局、3人の死者を出して物語は終焉するのであるが、見事なストーリー展開と描写に圧倒された。
ギャツビーの、デイジーへの叶わぬ恋への情熱は、男性読者には、痛々しく感じられるであろう。しかし、恋、そしてそれが成就しない時に心が受ける衝撃、の隅々を、ここまで見事な文章に落としている著者フィッツジェラルドの文章力はさすがである。
訳者は人気作家の村上春樹氏である。作家「村上春樹」の黎明期、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」などの作品を読んだが、それらに比べると、本作品は非常に重層的で、密度が濃い。村上氏が、読者として夢中になり、小説家として目標の一つにしてきた、というのはまったく頷ける。
・「フィッツジェラルドの最高傑作」
20世紀最高の小説ランキングで「ユリシーズ」に次いで2位にランクされたのがこの「グレート・ギャッツビー」で、スコット・フィッツジェラルドの最高傑作とも言われている。
第一次世界大戦後のアメリカを舞台にして、男と女と金と愛を凝縮して描いてあり、(好き嫌いはあれ)誰が読んでもそれなりの読み応えはあると思う。特にギャッツビーの姿は、熱烈な恋の夢を現実に叶えようとするグレートな男そのものであり、デイジー(相手の女)の姿もシュールに描かれている。だがそれだけではなく、フィッツジェラルドの作品に共通して言える素晴らしい共通点は、自分が経験を積んで歳をとると「さらに新しい発見を見出せる」ことだと思う。
訳者の村上春樹は「ノルウェイの森」の中でも「グレート・ギャッツビー」とフィッツジェラルドを引用しているほどで、他の訳者を寄せ付けないくらいに最高の翻訳をしていると思う。それは日本を代表する(今や世界的)小説家が翻訳したからこそ出来上がったのだろう。
ちなみにフィッツジェラルドの作品で、「夜はやさし」は「グレート・ギャッツビー」をしのぐ傑作とも言われているが、ギャッツビーの方が「派手な作品」なのでこちらから読んだ方がフィッツジェラルドの世界に入りやすいと思う。また、村上春樹一押しの「バビロンに帰る」という短編(同じタイトルで短編集がある)もあるのでそちらも読んでみてはいかがでしょうか?
・「ギャッツビー、村上訳で現代によみがえる」
素晴らしい訳だと思います。現代との時代背景の違いがまったく気になりません。しかもこれほど原文を気にさせない翻訳というのはこれまであまり読んだことがありません。英語文学からの翻訳を読んでいると、ああ、この箇所には英語のこういう表現が使われているんだろうなぁ、これはきっとあの表現の日本語訳なんだろうなぁ、と、常に原文である英語が頭によぎり、それが邪魔で、結局、面倒くさいのにわざわざ原本を買いなおして、何倍もの時間をかけて読んでしまうということがこれまでよくありました。この村上訳グレート・ギャツビーに限っては、言語を超えて物語が直接語りかけてきました。お見事、の一言。ただ、比喩表現が村上氏特有の「まるで〜みたいに。」と続けて何箇所も訳されているところがあり、それが少し耳障りでした。これは氏の小説を読んでいる時も気に障る部分なので、単なる私の好みに合わないというだけですが。
村上氏もあとがきの中で述べられていますが、この小説は冒頭と結末の部分が圧巻ですね。小説として、ここまで明確に簡潔に主題が述べられているというのも珍しいですし、そしてその主題を巡ってこれほどドラマティックな、全ての出来事が最後のその一点に辿り着くように緻密に筆が進められていることは、まさに職人芸。喧騒さというか色のトーンというのか、行間から湧き上がってくる香というのかが、前半と後半では見事に180度正反対で、話の筋とは別の次元でいつも読む度に酔っ払ったような気分にさせられます。フィッツジェラルドはこれらを計算しつくして書いたのでしょうか。結果としてそうなったのでしょうか。いずれにしても天才だ。
●そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
・「訳者が誤訳するほどのミスリード。」
このレビュータイトルの所以は本書の『邦訳』の中で訳者の誤訳によって明かされる。
これは各々の登場人物の心理描写から読み取れるものだ。最も重要なことは、10人の内に『犯人がいる』のだから、その内の1人は必ず『犯罪者の心理』でなければならない。本書が三人称で書かれている以上これは守られていなければならない絶対条件だ。にも関わらず生存者全員『被害者の心理』で訳されている箇所があるのだ。
ゆえにレビュータイトルの『訳者が誤訳するほどのミスリード』となる。これは訳者の力量がどうというよりアガサ女史を素直に讃えたい。それに私も友人に指摘されて初めて気付いた口なのであまり偉そうには出来ないし。
一から全てを解説すると異様な長文になるためここでは以上とさせてもらう。詳しくは若島正氏による考察(Wikipediaの同書の項目のリンクから飛べる)を参照されたし。
注)ただ新しい版、新装版等では該当箇所が修正されているやもしれぬので悪しからず。
・「現在でも最高に面白い!!」
不朽の名作で古典ですが、古典と言っても馬鹿にできません。非常に描写がうまく、本当に面白いです。とってもスリリングです。やはりアガサクリスティーの中でもオリエント急行と同じくらいはまりましたね。誰が犯人かはわかりませんでした。うまくできた内容ですね。とてもぐいぐいとひきつけられてあっという間にスラスラと読んでしまいましたね。「これが古典!?」と思うほど古典という感じが全くなく、むしろ新しいという感じがしますね。さすが不朽の名作だけあります。ミステリを読むことを始めようと思う方にはお勧めですね。
・「不朽の名作」
ミステリ小説史上もっとも偉大な作品であり、全てのミステリ小説の中で未だに頂点に君臨し続けている大傑作です。世界的な評価でも、勿論日本での評価もこの作品を超える作品はありません。全世界で1億部を超える大ベストセラーでありロングセラーです。 ミステリファンは勿論必読ですが、そうでない方も一度読む事をお勧めします。この作品はミステリファンで無くても感心させるだけの魅力があります。
・「サスペンス物としては右に出るものなし、の大傑作!」
本書は「童謡殺人もの」の代表として、また「孤島もの」代表として知られる、アガサ・クリスティーの最高傑作。
島に集まった10人の男女が童謡の歌詞どおりに順番に殺されていくというのは、今でこそ使い古された設定のように思われるが、当時としては斬新な設定であったばかりでなく、本書に関しては今読んでも少しも古びた感じがしない。
本書の後、雨後のタケノコのように似たような設定の作品が林立するが、結局本書を越える作品は未だかつて登場したことがなく、そしておそらく今後も登場することがないだろう。
・「知の構築美を感じる」
久々に読んでみたが、内容をすっかり忘れていたために、新鮮に読めた。
原題は、「ten littlle niggers」であることからもわかるように、実質的な登場人物は10人である。彼らが島に隔離され、迫り来る恐怖と良心との葛藤の中、独りずつ死んでいき、最後は誰もいなくなる。ただ、最後の一人が死んでも、その後のロンドン警視庁の調査でも真相はわからない。謎は意外な形で解答が示される。 推理小説としての構成は抜群であるが、現実に起こりうるかという点で、リアリティー重視派には不向きであろう。好き嫌いが分かれるかもしれない。
・「これぞ思春期の男の子!」
16歳らしい反発でありとあらゆることにケチをつけるさまが思春期の心情をよく表しており同年代で共感を覚えないということはないだろう。いきなり学校をホッポリ出させる経緯も抜きにスタートするところなんかはイカシテルし、折り合いをつけられない16歳の僕の独白で話しはずんずん進んで行くので読むほうも目が離せない。
しかし読み進みに当たって主人公ホールデンがジェラシーを燃やす気になる女の子が登場せずじまいに終わったのには肩透かしを食らった気分だw
・「ノイズのない音楽」
読み終わっての率直な感想。読みやすかったです。
僕には原文で読んで理解できるほど、英語力はありません。だから野崎訳と村上訳、どちらが良いのかは正確には分かりません。購入するにあたり一番のポイントになったのが、読みやすいかどうかでした。僕には野崎訳は合わないみたいです。文章の表現というか、リズムというか読んでいてノイズのある音楽みたいで、素直に頭に入ってきませんでした。「グレート・ギャツビー」を買う際もそうでした。当初、価格の安い野崎訳を購入しようとしましたが、どうも読みづらくて、その後村上訳を読んでみたらノイズがなく自然に頭に入り、心に染み込んできました。
どちらの訳が優れているのか。それは前述したように原文で理解できない僕にはわかりませんが、僕にとっては村上訳がベストでした。結局はどちらの訳が自分に合っているかで判断すれば良いのではないかと思いました。もしどちらの訳を購入するか、迷っている方がいるなら20ページほど読んで、比べてみたら如何でしょうか。どちらが自分にとってノイズのない音楽なのかを知る為に。
結局、読書は自分ひとりで行う行為です。だったら少しでも心地良く読める文章を選択した方が楽しいです。まわりの声ではなく自分の声。自分が読みたいと叫ぶ訳書を選択すれば良いと思います。ただタイトルは「キャッチャー・イン・ザ・ライ」より「ライ麦畑でつかまて」の方が良いですね。名訳だと思います。
作品について。読み終わった今の感動はとても小さいです。世間の評価ほどの感動が今の僕には訪れていません。だかから現時点では、星は四つです。だけど、この小説はこれから僕の人生において何度でも読むことになる。そんな予感がします。そしてそのたびに感動が増していく予感がします。僕はこういう小説を探していました。今よりも5年後、5年後よりも10年後。読むたびに感動が強くなっていく小説。これこそが僕の求めていた小説です。
・「ライ麦畑でつかまえてみな」
ホールデン君の独り言を初めて読んだのは高校生の頃。 面白く読んだ覚えがある。 すんごい自意識過剰で、強がりで、そのくせ傷つき易く、独り善がりで神経症気味なホールデン君は。 ライ麦畑で遊ぶ子供たちを、崖に落ちる危険から救う受け止め役になりたいっていう変わった夢を持ってた。
ふと思ったのは。 果たしてホールデン君は逆の立場だったとしたら、果たしてホールデン君のような受け止め役に受け止められたがるだろうか。ということで。 なーんかホールデン君はそんな人が受け止めようとするのをサッとよけてしまいそうな感じがした。 で、崖から落ちて後悔すると同時に『誰がつかまるかよ』と思うのかなと。
『Catch me if you can』のディカプリオ演じる主人公がけっこうホールデン君と感じとしては似ているような。 でもまぁホールデン君の方が救いはない気がするけれども。
『ライ麦畑でつかまえて』は『ライ麦畑でつかまえてみな』 なんではないのかと。 ふと思いました。
・「アンダーグラウンド」
この作品を読み人で高校時代や大学時代の青春を字の如く謳歌した人ははっきりいってなんとも思わないでしょうしかしそういう華やかなアメリカでいうなら「プラム」日本で言うなら「文化祭」を楽しめなかった者にとってそれは正にアンダーグラウンドな思想の悶々とした妄想でしか自分を保管できなかった若者にとってこの作品は映画「タクシー・ドライバー」と同じくらい特別な意味を持って胸に訴えかけてくるものがある
ホールデンは全ての柵を捨てて出て行こうと決心するそれは愛した妹でさえ捨てて「目も耳も聞かず、そして同じような奥さんをもらってライ麦畑のキャッチャーになろう」と決めてそれは規則にまみれた社会へのいくら足掻いても結局は大人にならなくてならない憤りへのホールデンなりの反抗のだったのだ
しかし結局何も出来ずに戻ってきてしまうそれはたった一夜だけスターになった「トラヴィス」と同じやるせなさがある
かつのニュー・シネマの主人公達がそうだったように本来の若者たちは胸の中の闇を抱え悶々と生きるべきなのに今の若者は若いうちから達観しすぎている
ホールデンがいきなり切れる理由も何もかも判ってくれない社会や他人に対する「もーどーでもいいっス!」的あきらめを上手くあらわしている
他人は口だけだですよ本当にそれは「幸運を祈るよ!」などと軽く口ずさむくらいに今の社会には「元気出せよ!頑張れよ」的な軽い言葉が溢れ返ってます
若いうちとはいわないからせめて自殺するまえに読め!
・「人を2種類に分ける方法」
「やさしい人」と「やさしくない人」こんな風に人を2種類に分けたりする。
「ライ麦畑でつかまえて」に「共感できる人」と「共感できない人」人を2種類に分ける方法として優秀な方法だと思う。
・「まだまだかぶはぬけません(@_@;)」
子どもの頃演劇をしたのをよく覚えています。子どもにこの本をよんであげると・・・「知ってる」「わたし孫役だもん」と。むかえた12月の生活発表会は本人の言う通り孫役でした!
今も昔もあのリズムある文は人気みたいです★
・「もっとも美しい日本語で書かれたロシアの絵本」
光村図書という国語の教科書で小学一年生の時に学習します。小学校一年生の教科書に載せてあるぐらいですから、やはり意味があるのです。私は声に出して朗読していると、あまりの言葉の美しさにいつも涙が出てしまいます。作品の中に込められた思想や日本語の音韻、そして最も簡単な日本語の語彙に感激するのです。
これは母が枕もとで読んでくれたお陰でしょう。最も美しい日本語をぜひ、幼い時にあなたが最も大事なお子様に読み聞かせてあげてください。一生の財産になります。
「とうとう株はぬけました」ここに永遠の普遍性を感じます。
・「「話の引っぱり具合」の絶妙さ!只、カブを抜くだけの話でここまで注目させるのがスゴイ!」
ただ「でっかいカブを土の中から引き抜く」っていう何らドラマにもなりそうもないお話で子供心を引き付けたという事実がまず凄い!
引っ張る→抜けない→人が追加される→また引っ張る
の繰り返しなんだけれど、「カブの引っ張り方」以上に「話の引っ張り方」が絶妙(笑)。これは小さいお子さんに朗読して聞かせてあげるべきお話だと思いますね。
「リズミカルな繰り返しを声に出す」ことでまさしく「生命(いのち)を吹き込むに等しい行為」になるのです。
つまりね、このお話を作ったのは名も無き人だったとしてもです、「このお話自体に実際に生命を吹き込んであげて、素晴しいものに仕上げてあげるのは読者」なんですよ。
「読者参加型」って、こういう意味なのかもしれませんよ。
・「迫力ある絵がお気に入り」
おじいさんが愛情をこめたかぶは見事に大きく育ちました。おじいさん一人ではなかなか抜けないので、おばあさんを呼んできて一緒に引っ張ります。やはりかぶは抜けないので、おばあさんは孫を呼んできて…と、次々と協力者を呼んできてはかぶを抜こうとします。 おじいさんのごつごつした手や、勢いよく伸びるかぶの葉など、絵に迫力があります。また助けを待っている間のおじいさんが、だんだん疲れてくる様子が笑えます。
・「おじいさんはカブをどうしたかったのか?」
教科書にも載っている、有名なお話です。子供が宿題のプリントで「おじいさんはかぶをどうしたかったのですか?」の問に(答えは「抜きたかった」)「シチューにでもするか(おじいさんの口調を真似ているらしい)」と、書いていました。ちょっとおかしかったので「ロシアの話だからボルシチにしたら?」と言ってみました。子供は、文字の間からいろんなものを吸収しているようです。
・「人間の裸形」
この小説には人間のすべてがある。高潔さには愚かさを、高邁な理想にはもろさを、敬虔な信仰には揺らぎを。カラマーゾフの兄弟達は一様に荒々しいものを胸のうちに持っている。人のもつ葛藤をそのままに取り出し登場人物達に収めた結果、小説そのものが雄叫びをあげているような激しい作品になったのだと思う。
また各巻末の読書ガイドで亀山氏が述べている通り、構造的な面も非常に良くできていると思う。1巻で人物の下地を作り、2巻で膨らませ、3巻で一気に物語の核心にまで迫り、4巻で総括する。アリョーシャの一代記として読むと、中途で終わっている感があるが、一つの事件の顛末をつづった小説としてはしっかりまとめてきっており、読後感も良い。
評判の新訳ということでしたが、これがとても読みやすい。読みやすすぎて若干物足りなく感じてしまうのは、贅沢というものか。また時期をおいて『罪と罰』や『悪霊』にも手を伸ばしてみたい。
・「深すぎて手に負えない!?」
紹介する本で初めて4点をつけてしまいました・・・ドストエフスキーなのに・・・世界3大文豪なのに・・・アホか!という声が聞こえてきそうです。
光文社古典新訳文庫で非常に読みやすい訳ということで、東大教授の亀山先生が訳されて、確か100万部以上売れたはずです。古典が100万部というのは驚異的というより奇跡じゃないかと思うのですが、まだまだ日本の読者も捨てたもんじゃないですね。
訳はそれはそれは読みやすいです。あっという間に5巻まで読めました。各巻の末尾についている解説も面白すぎて、こんな面白い古典を今まで読んでなかった僕っていったい・・・と思いました。 それなら5点でいいじゃないかと思われそうですが、サクサク読めてしまっただけにちょっと考えこんでしまうのです。
この作品は父と子の愛憎劇、誰が父親を殺したかというミステリー、神とは何か・信仰とは何かという根源的な問い、など非常に多くの要素を持っている間違いなく世界文学トップ3に入る名作です。 ただあまりに奥が深すぎて、特に神・信仰の要素については正直一度読んだだけではまったく理解できませんでした。理解できないのは当時のロシア正教のことを全く知らないからだと考え、他の本を読んだりしましたがそれでもよくわからない。多分僕は死ぬまでにあと3回は絶対に読むと思いますが、それでもいったいどれだけこの作品の価値を理解できるのか・・・正直自信がありません。
これを5点とすることは「カラマーゾフの兄弟」の全てを理解したと宣言してしまうことになる気がしたので、4点にしました。作品が面白くないということでは決してありません。高校生以上なら誰でも読めます。ドストエフスキー入門には「罪と罰」より僕はこちらをお勧めします。「罪と罰」の主人公はかなり心を病んでて、暗すぎます(笑)
この作品に5点をつけることのできる日はくるのでしょうか・・・
・「海外文学などに親しみのない人たちへ」
ロシア文学どころか基本的に海外の文豪にはほとんど触れたことがなかったが、ちょっと不思議な装丁に惹かれて読んでみた。はじめは「う〜〜〜〜む」という感じ。この亀山訳はかなり読みやすく現代風に訳されていると他レビューなどには書いてあるが、普段日本のミステリーなどに親しみの深い普通の読者にはやはりかなりとっつきにくいと思う。
・「改めてその偉大さに」
再び『カラマーゾフの兄弟』のブームが来そうな予感がある。ロシアの連続テレビ大河ドラマで『カラマーゾフの兄弟』が始まったというニュースが出ていた。きっと日本でも公開されて話題を読むのだろう。となると遅まきながらも、読まざるを得なくなって、ようやく第一巻を読み上げたところだが、キャラが立っている、というのが第一印象だ。要するに、登場人物がすべてそれなりに現代人の顔をしているのだ。また、カテリーナとグルーシェニカの訳の方法もなかなか見事である。要するに、描写的でないのだ。描写的でないからこそ、声の訳しわけに最大の配慮がなされているからこそ、この翻訳は生きているし、次から次へとほとんど自動的にページをくることができるのではないか。これはきっと翻訳という概念の根本にかかわる大きな発見を含んでいるような気がしてならない。これから第二巻へ進む。世の中は、少しずつ『罪と罰』へ移っているようだが、あえて『カラマーゾフの兄弟』の再度の読み直しが来ることを願っている。
・「素晴らしい新訳」
岩波文庫版と比較し格段に読み易くなっています.反面,現代語訳となって,ロシア文学独特の,あるいは,ドストエフスキー独特の,どよ〜んと重い文体が消えているため,多少の違和感を覚えました.
しかし,原文を読んでいない(読めない)ため何とも言えませんが,現代語訳になっても世界最高の文学作品としての魅力と本質に変わりはなく,むしろ,現代語訳になって読み易くなった分だけカラマーゾフの敷居を下げたという点では,光文社古典新訳文庫の功績は大きいと思います.
・「一気に引き込まれました。」
すべての人間が、「凡人」と「非凡人」にわかれる・・・凡人は、服従を旨として・・・非凡人は、・・・かってに・・・を越える権利を持っている。『ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ』、どこか親近感を感じることも・・・危ないかな。カラマーゾの兄弟に続いて、この作品を読んだ。次は悪霊、そして白痴と決めていたが、しばらく、ドストエフスキーから離れたほうがよさそうだ。
・「これが文学だったんですね・・・」
なぜか突然、初めてドフトエフスキーを読みたくなった。ロシア文学は難しそうな気がしていたが、江川卓さんの翻訳はとても読みやすく、ぐんぐん惹きつけられた。3日間で3冊読破しました。人間の心の描写がここまで深くできるものかと、驚嘆するばかりだった。それに、私は果たして主人公のようにここまで自分の存在の意味、人生を考えてきたか・・・と考えさせられた。これから、「悪霊」や他の作品も是非読んでみたいと思いました。
・「なぜ罪と罰なのか。。。」
なぜこのタイトルなのか?それが知りたくて読みました。時代背景や宗教観にちがいはありますが、現代社会においてもこの本が伝える罪と罰の真理は変わらないと思いました。
陰と陽、天使と悪魔、裕福と貧困、権力と暴力。。。時代は変わらない。
どの年代で読み返しても色々なことを考えさせてくれる一冊です。
・「永遠の聖女ソーニャ」
僕は旅に出て、列車の待ち時間が長いときなどよく町の図書館にふらりと入ってたいてい置いてあるこの小説を手に取る。そして、この本の真ん中あたりを開く。そこにこの小説の白眉のシーンがあるからだ。ラスコーリニコフがソーニャに自分の犯した罪を告白するシーンだ。純真なソーニャは人間の持つ邪悪さというものを想像することさえできない。本当に天真爛漫な人間の持つ善良さがこれほどリアルでかつ魅力的なまでに描写される小説を僕は他に知らない。もし現実にそのような女性がいるならば本当にめぐり合ってみたいと思う。人生の旅とはそのようなものでありたい。
・「上巻の感想」
ラスコリーニコフが質屋の老婆とたまたまその現場に居合わせてしまった妹のリザヴェーダを殺害してしまう。彼は、大学を辞めてからずっとその考えを温め続け、長い思索とイメージトレーニングの末にその計画を実行するが、なぜ彼がそこまでしてあの老婆を殺さなければいけなかったのかがいまいちよく理解できない。きっと、その時代のロシアの状況に関連しているのであろう。そしてまた不可解なのが、その殺人を正当化していることろである。なにか、彼にその使命でもあるのかのように思っている。ところが、殺害してみると、その正当性がいったいなんだったのか全くわからない。彼自身もよくわかっていないようである。そして、自分の犯した罪にびくびくし始め、混乱し、おかしな言動と行動を繰り返す。読んでいると自分が発狂したような気分になる。それだけ、ラスコリーニコフの混乱が続くのである。一体、この殺害の大義名分は何なのか、ラスコリーニコフは何のために生きているのか、そして、このタイトル『罪と罰』の示す意味とはなんなのか、上巻ではまだ読めないところである。時代背景をもう少しつかんで次の巻を読んでいきたい。
・「死は生を際だたせる光だ」
「彼は地図をひろげ、匪賊の侵攻を、さながら美しい王女様の伝説でも語るように、示された」 死は生を際だたせる光だ。自ら進んで死と共に生きることがゆるされた時代のおとぎ話。
・「空へのあこがれ」
ああ、なんておもしろいのだろう。胸がときめく。高鳴る。翻訳した堀口大学の、わざと引っかかりを作ったような日本語も、読者の冒険への憧れをつのらせる。雲海の上、静寂を突っ切って飛ぶ心持ちや、遠い空港からの通信。危険な旅に命を落としてゆく僚友たち。「冒険」という言葉が人の心に呼び起こす高揚や儚さ、果てのない広がりが、この1冊にすべて収まっている。表紙をかざる宮崎駿のイラストもいい。わたしが男の子で、15歳のときこの本に出会っていたら、飛行機乗りをめざすか、叶わないなら飛行機乗りの登場する冒険活劇を作りたいと思ったにちがいない。
・「人類の皆様へ」
10年前に読んだら意味がよくわからなかったけど、今なら十分理解できます。聖書が「book of books」といわれることも納得ですね。
・「「人間の土地」の意味」
内容については他のレビュアーの方が書かれている通り、素晴らしいものです。一度で終わらず、事ある度に読み返したりしています。この本は基本的にはサン=テグジュペリの自伝です。なのに、タイトルは「人間の土地」。それに、内容は、飛行家としての体験、行く先々で出会った人間や同僚の話ばかり。なぜ、このタイトルなのか?それを悟ったとき、なにか新しい目を持ったような気がしました。是非読むことをお勧めします。
・「時代を超えて勇気をくれる、サンテグジュペリの代表的名著」
「経験は僕らに教えてくれる、愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだと」。
フランス文学の代表的な名著のひとつ。最初に私が本書を読んだのはもう20年以上前のことだ。しかし、本物は時代を経ても色あせない。飛んで、戦って、愛して、生きたサンテグジュペリの魂が、本書を開くたびにまた新しい勇気をくれる。「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ」。そして、ああ、そうだった、まだ何かできることはあるかな、と思う。
気の利いた言葉をくれる書物は巷に溢れている。しかし、「ぼくは、死を軽んじることを大したことだとは思わない」などと断言する知識人が現代に何人いるだろう。本書と、ヤワな自己啓発本や机上理論だけの哲学書の違いは、実はかなりはっきりしている。
「人間と、そのさまざまな欲求を理解するためには、人間を、そのもつ本質的なものによって知るためには、諸君の本然の明らかな相違を、お互いに対立させあってはいけない」。サンテグジュペリの著作は若いころにいろいろ読んだが、一冊となるとやはりこの本に行き着く。訳は確かにもう古いかもしれない。ただ、だからといって本書の価値が失われているわけではない。
・「大審問官」
5巻あるけど3巻でフェードアウト気味に読書終了してます。1巻目は「あの!ドストエフスキーの名著だから」と思って読んだが、感想はまあまあ。(もちろんドストエフスキーがWikipediaに「文学界に空前絶後の影響を及ぼした」という言葉を受けて読んだのであって、例えば書店でふと手にして読んでハマることは無かったと思う。)
そしてこの2巻目、1巻とは打って変わって一瞬で読んだ。大審問官の場面ではちょうど自分自身が、現在社会のあり方や周りに対する失望(期待しすぎるがあまりの反発だろうけど)から、その場面には深く納得する部分が大いにあった。大審問官の告白は心をスーッと溶かされた感じ、「腑に落ちた」という感覚になった。このように深い部分での納得、共感があるとその後の考え方、思考の根本になってくるとおもう。
なんだか、3巻でしんどくなって4巻に行く前にすっかり時間が空いてしまった。自分のような幼い頃から読書に親しみが無く、日本で生まれ育った者としては名前がロシア人だと誰が誰だかいま一つしっくり理解できていない。ロシア語でロシア人として読んだらまた違ってくるだろうな。
蛇足だけど、この表紙カバーの抽象画がなかなか印象深いと思いません?
・「読み返したい部分はあり・・・」
ある意味お正月の初詣にくらいしか「神」の存在を感じることがない日本人にはこの2部は難しいかもしれません。「大審問官」は難しく感じましたが、「ゾジマの教え」は何度でも読み返したい。ようやく2巻目にして他の翻訳でも読んでみたいと思えるようになった。誤訳が多いと言われているだけに、定評のある新潮版か、岩波で読んでみたいと思います。
・「なんてエネルギッシュで、思いのあふれる本なんだろう」
「たとえ人生が信じられなくなり、大切な女性にも世の中の秩序にも幻滅して、それどころか、すべてが無秩序でのろわしくて、ひょっとして悪魔の混沌そのままなんだとまで確信して、人が幻滅することからくるいろんな恐怖にうちのめされたって、やっぱりおれは生きていたい。人生という大きな杯にいったん唇をつけた以上、最後までこれを飲み干さない限り、ぜったいに手をはなさない、ってな!」 。人生という壁に思い切りぶちあたって、味わいつくして、壊してしまうような、激しいインパクトに魅了される。100年近く前の古典といっても、今読んでも新鮮に心に響く。脱帽。
・「にわか」
まず通常の人間ならば新潮のほうを買ってるはずです。
こんな翻訳のを買ってる人間は流行りに流されて本を選ぶしかも本が本だけにタチの悪いスノッブです。
この本は聖書をよく読み耽り社会とは?国家とは?キリストとは?幸せとは?人生とは?人間とは?神とは?そういうことを日常から追求している人じゃないと絶対に理解できない
今の日本の漫画ばかりみたり文字を追うことを読書だと勘違いしてるこの本を購入した皆さんは
典型的なエセ読書家ですね
・「脇役たちのエピソード集といったつくり。後半への伏線か?」
フェラポント神父に始まり、スメルジャコフやスネギリョフ大尉などカラマーゾフを固める役者達が続々登場する。エピソードを通じて詳細な人物像が浮かび上がる。でもこの時点では、これが後半どのようなことに結びついていくのかはわからない。
わからないと言えば、「大審問官」も同じ。ゾジマ長老のアンチテーゼとして登場した感があるが、なぜかこの部分だけ邦訳そのものが難解。後半を読めば、第2巻でのエピソード群がどのような意味を持つのかわかるだろうと思いながら読み進めた次第。
一方、ミーチャの精神状態とフョードルとの関係はいずれも益々悪くなっていく。不安を抱えながら、第3巻へ突入する。
●キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
・「これぞ思春期の男の子!」
16歳らしい反発でありとあらゆることにケチをつけるさまが思春期の心情をよく表しており同年代で共感を覚えないということはないだろう。いきなり学校をホッポリ出させる経緯も抜きにスタートするところなんかはイカシテルし、折り合いをつけられない16歳の僕の独白で話しはずんずん進んで行くので読むほうも目が離せない。
しかし読み進みに当たって主人公ホールデンがジェラシーを燃やす気になる女の子が登場せずじまいに終わったのには肩透かしを食らった気分だw
・「ノイズのない音楽」
読み終わっての率直な感想。読みやすかったです。
僕には原文で読んで理解できるほど、英語力はありません。だから野崎訳と村上訳、どちらが良いのかは正確には分かりません。購入するにあたり一番のポイントになったのが、読みやすいかどうかでした。僕には野崎訳は合わないみたいです。文章の表現というか、リズムというか読んでいてノイズのある音楽みたいで、素直に頭に入ってきませんでした。「グレート・ギャツビー」を買う際もそうでした。当初、価格の安い野崎訳を購入しようとしましたが、どうも読みづらくて、その後村上訳を読んでみたらノイズがなく自然に頭に入り、心に染み込んできました。
どちらの訳が優れているのか。それは前述したように原文で理解できない僕にはわかりませんが、僕にとっては村上訳がベストでした。結局はどちらの訳が自分に合っているかで判断すれば良いのではないかと思いました。もしどちらの訳を購入するか、迷っている方がいるなら20ページほど読んで、比べてみたら如何でしょうか。どちらが自分にとってノイズのない音楽なのかを知る為に。
結局、読書は自分ひとりで行う行為です。だったら少しでも心地良く読める文章を選択した方が楽しいです。まわりの声ではなく自分の声。自分が読みたいと叫ぶ訳書を選択すれば良いと思います。ただタイトルは「キャッチャー・イン・ザ・ライ」より「ライ麦畑でつかまて」の方が良いですね。名訳だと思います。
作品について。読み終わった今の感動はとても小さいです。世間の評価ほどの感動が今の僕には訪れていません。だかから現時点では、星は四つです。だけど、この小説はこれから僕の人生において何度でも読むことになる。そんな予感がします。そしてそのたびに感動が増していく予感がします。僕はこういう小説を探していました。今よりも5年後、5年後よりも10年後。読むたびに感動が強くなっていく小説。これこそが僕の求めていた小説です。
・「ライ麦畑でつかまえてみな」
ホールデン君の独り言を初めて読んだのは高校生の頃。 面白く読んだ覚えがある。 すんごい自意識過剰で、強がりで、そのくせ傷つき易く、独り善がりで神経症気味なホールデン君は。 ライ麦畑で遊ぶ子供たちを、崖に落ちる危険から救う受け止め役になりたいっていう変わった夢を持ってた。
ふと思ったのは。 果たしてホールデン君は逆の立場だったとしたら、果たしてホールデン君のような受け止め役に受け止められたがるだろうか。ということで。 なーんかホールデン君はそんな人が受け止めようとするのをサッとよけてしまいそうな感じがした。 で、崖から落ちて後悔すると同時に『誰がつかまるかよ』と思うのかなと。
『Catch me if you can』のディカプリオ演じる主人公がけっこうホールデン君と感じとしては似ているような。 でもまぁホールデン君の方が救いはない気がするけれども。
『ライ麦畑でつかまえて』は『ライ麦畑でつかまえてみな』 なんではないのかと。 ふと思いました。
・「アンダーグラウンド」
この作品を読み人で高校時代や大学時代の青春を字の如く謳歌した人ははっきりいってなんとも思わないでしょうしかしそういう華やかなアメリカでいうなら「プラム」日本で言うなら「文化祭」を楽しめなかった者にとってそれは正にアンダーグラウンドな思想の悶々とした妄想でしか自分を保管できなかった若者にとってこの作品は映画「タクシー・ドライバー」と同じくらい特別な意味を持って胸に訴えかけてくるものがある
ホールデンは全ての柵を捨てて出て行こうと決心するそれは愛した妹でさえ捨てて「目も耳も聞かず、そして同じような奥さんをもらってライ麦畑のキャッチャーになろう」と決めてそれは規則にまみれた社会へのいくら足掻いても結局は大人にならなくてならない憤りへのホールデンなりの反抗のだったのだ
しかし結局何も出来ずに戻ってきてしまうそれはたった一夜だけスターになった「トラヴィス」と同じやるせなさがある
かつのニュー・シネマの主人公達がそうだったように本来の若者たちは胸の中の闇を抱え悶々と生きるべきなのに今の若者は若いうちから達観しすぎている
ホールデンがいきなり切れる理由も何もかも判ってくれない社会や他人に対する「もーどーでもいいっス!」的あきらめを上手くあらわしている
他人は口だけだですよ本当にそれは「幸運を祈るよ!」などと軽く口ずさむくらいに今の社会には「元気出せよ!頑張れよ」的な軽い言葉が溢れ返ってます
若いうちとはいわないからせめて自殺するまえに読め!
・「人を2種類に分ける方法」
「やさしい人」と「やさしくない人」こんな風に人を2種類に分けたりする。
「ライ麦畑でつかまえて」に「共感できる人」と「共感できない人」人を2種類に分ける方法として優秀な方法だと思う。
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