1Q84 BOOK 3 (詳細)
村上春樹(著)
1Q84 BOOK 1 (詳細)
村上 春樹(著)
「(世界の終り+カフカ+ねじまき鳥)÷3 的な作品」「未完成のファンタジー」「かなり難解であり、空前のベストセラーという評判だけが一人歩きしてしまっている感がある」「典型的な春樹ワールド」「ものすごく面白いけど空虚な作品」
1Q84 BOOK 2 (詳細)
村上 春樹(著)
「ひたすら厚く、にもかかわらず絶望的なまでに薄い」「不思議な世界」「本作は純文学ではない」「私には合ってた」「愛だけは普遍で不変で不偏。」
めくらやなぎと眠る女 (詳細)
村上春樹(著)
「人喰い猫〜「めぐり逢う僥倖」」「「造園」された「喜び」に満ちた逆輸入短篇集」「素晴らしい、けれど・・・」「蟹と螢」「入門編に最適、マニア垂涎のアイテムでもあり」
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「村上春樹代表作かつ傑作」「読者が自分で翻訳する本」「喪失の哀しさ」「期待以上でした」「村上春樹はこれだけじゃないよ!」
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「性描写がなければ短編」「楽しく簡単に読める!」「ALL THINGS MUST PASS」「単純に、面白い」「人間の内面を描いた作品」
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「村上春樹にしか書けない冒険物語」「吹き飛ばされたアイデンティティー」「どんどん読める!」「全体的に緩やか。」「幻想的な現実感」
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「村上春樹 ヨイナコノショーセツ」「得意のパラレルワールド」「海辺のカフカ。面白いです。」「15歳の少年はどこへいく」「色んな謎に対しての読解力に限界を感じた」
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「村上本の最高傑作」「泣きました…大好きです★」「なにこれ」「村上春樹にしか書けない冒険物語」「申し訳無いです!わからない!」
グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) (詳細)
スコット フィッツジェラルド(著), Francis Scott Fitzgerald(原著), 村上 春樹(翻訳), 村上春樹(著)
「文学的金字塔」「村上春樹ファンなら必読の一冊」「Old Sport、という奇異な響きが頭から離れない。」「読むほどに、人生を深く愛おしく感じる小説」「野崎 孝 訳を推薦します。」
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・「(世界の終り+カフカ+ねじまき鳥)÷3 的な作品」
今まで、村上春樹の小説は、短編、長編を問わず、すべて読んでいます。この1Q84を読みはじめてまず思ったのは、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と似た話の進め方だということです。春樹作品は基本的に、パラレルワールドを描いている場合が多いですが、これを明示的に描いているのがこの「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」です。1Q84も作りはこれと同じで、別々の世界がひとつの接点で結ばれていくという感じです。また、「海辺のカフカ」で登場した中田さんのように、ある種の特殊能力を持った登場人物。ドラゴンクエストのように何かを探し続ける人たち。さらに、「ねじまき鳥クロニクル」で取られた3部構成戦略。1Q84が3部構成で終わるのか4部以降も出るのかはわかりませんが、「ねじまき鳥クロニクル」の全3部のうち最初に刊行されたのは第1部と第2部だけで、第3部以降が存在するのかどうかということは最初は明らかにされていませんでした。一種のマーケティング手法かもしれませんね。
というわけでこの1Q84という作品は、上記3作品を平均化したような、ある意味村上春樹の集大成を言える作品ではないかと思います。しかしそれでいて、上記3作品を超える面白さは、個人的には感じませんでした。
・「未完成のファンタジー」
私たちの世界である「1984年」と,それとは微妙に異なる「1Q84年」が交錯し,「月はひとつ」とか「警察官の制服はこんな感じ」といった常識が覆される。作者は,新聞のインタビューで「仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある・・・そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった。ほぼすべての登場人物に名前を付け、一人ずつできるだけ丁寧に造形した。その誰が我々自身であってもおかしくないように。」と述べている。なるほど,登場人物の日常の細かい書き込み。長い放尿だった,だの,今日の夕飯はどうのこうのと材料や調理法まで書いてある。・・・しかし,男性主人公はともかく,女性主人公の方は,プロの殺し屋であり,顔をしかめたときの異形,非常識な男の誘い方・・・どうも生身の人間というよりアンドロイドか別の世界から来た人のようである。なので,作者の意図が,読者に主人公と自分を重ね合わせることを期待していたとすれば失敗だと思う。ただ,女性主人公の非現実的な雰囲気は,作品全体のファンタジー性を盛り上げており,不可思議なエピソードの連続も,「まあ,ファンタジーなので。」と納得がいくから,これはこれでよいのかもしれない。上巻の感想なので,ここまでにしておくが,この小説,下巻まで読み終えても話として完結した気が全くしない。これだけ大々的に宣伝して多くの読者をつかみ,BOOK3まで引っ張るからには,メッセージを抽象的に伝えて終わりではなく,物語として完成させてくれることを望む。
・「かなり難解であり、空前のベストセラーという評判だけが一人歩きしてしまっている感がある」
本書は、出版社の巧妙な戦略が功を奏して、本来であれば、村上春樹の作品を読まないような人をも巻き込んで、空前の大ベストセラー小説になっている。かくいう私も、一応、彼の作品は3つ読んではいるものの、これだけ騒がれなければ、まず、本書を手に取ることはなかったと思っている。しかし、そんな人々が、果たして本書を楽しんで読めるかという点になると、なかなか厳しいと思う。
まず、本書は、物語の焦点がどこに合っているのかがなかなか見えてこないので、退屈を感じてしまうところがある。実際、私も、本書は発売直後に買っているのだが、途中で他書に目移りし、最近まで、本書に戻ってくる気になれなかったのだ。それでも、ひとたび物語の焦点が合い出すと、次第に読者を引き付けてはいくのだが、やはり、本書の最大の問題は、難解だということに尽きる。村上文学の特徴は、「文章は平易だが、作品は難解」といわれているのだが、まさに、本書は、その典型のような作品なのだ。
私には、1Q84年という概念が、よくわからない。並行世界でもなく、仮想世界でもなく、世界は1Q84年に変更され、1984年はもうどこにも存在しないといいながら、主人公らだけが入り込んだ世界ともいい、ほとんどの人が知覚できないともいう世界とは、一体、どんな世界なのだろうか?また、青豆のある究極の選択で運命が決まったはずの天吾が、その直後にふかえりと行ったある行為が、なぜ、必要なことだったのかも、よくわからない。
村上春樹は、「ノルウェイの森」では、「100%の恋愛小説」といわれた純文学で勝負していたのだが、「海辺のカフカ」といい、本書といい、現実離れした、奇妙で難解な別の世界に入り込んでしまっているようなところがある。そもそも、本書で扱われているテーマは、1Q84年だとかリトル・ピープルなどという、わけのわからない設定のもとでしか語れないようなものなのだろうか?
・「典型的な春樹ワールド」
ジムのインストラクターでもある若き殺し屋の青豆。予備校講師をして生計を立てる小説家の卵、天吾。そんなふたりが入り込んだ「こうであったかもしれない」1Q84年を描いた近過去小説。
読み始めて感じたのは、典型的な春樹ワールドだなということ。酒と音楽とセックス。そして不思議ちゃん。別に嫌いじゃないんだけれども、どうしてここまで売れて騒がれるのかが分からない。予約数がすごいってことで話題になって、みんなそれに乗せられて買っちゃったっていうのが多いんじゃなかろうか。どちらかと言うと、俺もその口だしね。今まで春樹は文庫本になるのを待って読んでいたのに、久々に単行本で小説を読んだよ。春樹の単行本は小学生のときに読んだ「ノルウェーの森」以来です。
書評を見ると、賛否両論あふれていますが、それでもやっぱり読むと引き込まれてしまうのが春樹のうまいところ。
BOOK2のあの終わり方で、完結させて、それはそれでありだと思うんだけれども、続編のBOOK3が今春に出されるっていう話。
きっと、読んだ誰もがそれぞれの天吾と青豆のその後を思い描いているだろうから、どんな続け方にしても、そのギャップで文句は出るだろうね。
上下巻じゃなくて、BOOK1、BOOK2ってなっていたことで、さもありなんとは思っていましたが、ちょっと商業主義に走っているようで、なんだか嫌ですね。なんてことを言いながら、あんなに1,2を読んだ人がいるわけだから、BOOK3も売れちゃうんでしょうけど。って、俺もきっと買っちゃうだろうし。
http://teddy.blog.so-net.ne.jp/2009-11-25
・「ものすごく面白いけど空虚な作品」
ずっと村上春樹さんの作品を読んできました。3も予約しました。この作品はものすごく面白いです。この世界のなかに引き込まれて時間を忘れて読書に夢中になれます。そういう意味では優れた作品です。しかし、内容は恐ろしく空虚です。現実にリアルに係わり合い、それをメタファーを駆使して物語に緻密に構築することには成功しています。でも、その現実とのリアルな係わり合いから生まれてくる作品の内容のレベルの低さには愕然とするほどです。この作家は、オウム真理教とのあれだけの係わり合いからこんなことしか学んでいなかったのかという想いは読後しばらく呆然とするほどでした。3もわくわくしながら読むと思いますが、物語としての群を抜いた面白さと、内容の空疎さをこんなにも強烈に感じた作品は初めてです。
・「ひたすら厚く、にもかかわらず絶望的なまでに薄い」
いま小説家に望むのはこのように薄いぺらぺらの物語ではない。いまのマーケットで消費される物語ではなく、いまの時代を書く書き手が村上春樹ではないということはこれではっきりしてしまった。しかし、それでは誰が書くのだろう?
・「不思議な世界」
書き出しからグッと引き込まれる文章力はさすがです。
特に第1巻の冒頭部分は凄かった。
2巻では、核心に迫ろうとする部分ではぐらかされているもどかしさがありました。
読後もなんとなく1Q84の世界にいるような気分を感じました。
内容から得られるものは特になかったですが3巻も読んでみようと思います。
・「本作は純文学ではない」
2009年6月16日の読売新聞に村上春樹のインタビュー記事がある。
「バルザックのような世俗そのものを書いた小説が好きで、この時代の世相全体を立体的に描く僕なりの「総合小説」を書きたかった。純文学というジャンルを超えて、様々なアプローチをとり、たくさん引き出しを確保して、今ある時代の空気の中に、人間の生命を埋め込めればと思った」(抜粋)
また過去にインタビューで「今の日本人には『カラマーゾフの兄弟』は長いし、難しい」と言っていた。つまりバカにしているのだ、見下しているのだ。チミたち、ガチで怒りたまへ。歯食いしばって読め。ロシア正教をウィキで調べろ。亀山郁夫のドストエフスキー関連書籍を全て読め!ファウストも読め!!そして春樹に言ってやるのだ。「はぁ?『カラマーゾフの兄弟』ぐらいチョロイし」と。まぁ、でも実際のところ深いとこまで読める人は絶対的少数だよね。割合としては1割も厳しいような気がする。某外務官僚は「日本人の実質識字率は5%」と言ってるし。
本書の中身について。Book1のレビューで遠まわしに「もう、これ純文学じゃなくなってるよね?」と書いた。筆者本人が「純文学というジャンルを超えて」といってる様に、本作は純文学作品ではない。倫理観(善悪)、DV、宗教、物語、人のつながり等々色んなテーマがてんこ盛りの本作はとっちらかし過ぎていること、文体が読み易すぎることでひっかかりがないものになっていて、心にあまり響いてこない。けれど、それなりに楽しく(自分の中では漫画を読むに近い感覚で)読めたのでエンタメ小説として面白い、という評価。
ところで、Book1とBook2あわせて原稿1984枚で書いているのだから、氏はBook3を出すつもりは最初なかったと思うので(インタビュアーに「続編を期待する声も上がるが」と聞かれ、氏は「どうなんだろう。この後どうするかということは、ゆっくり考えて行きたい」と言っているし) Book3は蛇足になると思うのだけど、どうよ?でも、出たら出たでとりあえず読むのだけど。実際蛇足かどうか判別するためだけでなく、エンタメ小説として楽しむために。
・「私には合ってた」
今までに読んだ村上作品の中で一番良かった。万人に向けた文章になったと思います。なんだか安心感。
いろんなジャンルの事がちりばめられているので何度も読めるんじゃないかと楽しみ。
個人の成長だけじゃなくて、日本の成長についても考えさせられました。出てくる単語がワールドワイドな感じ。
独自性のこと、依存症のこと、神経症のことなんかを考えました。リトルピープルは依存症だと思う。良くも悪くもなる。
この話は十分免疫つけるのに役立ちました。どうもありがとう、と言いたい。いろんな人がいろんな気持ちになるといい。そういう目的の本じゃないかな。
これからもこういう、頭がすっきりするようなお話をたくさん作っていって欲しいです。
・「愛だけは普遍で不変で不偏。」
この本は,内容が一切明らかにされていない前評判の段階から「超有名」になり,店頭に並んだとたんにベストセラーになった。なので,うさんくさいなぁと思い,ひねくれて読まなかったが,やっぱりどんなもんか気になるので今更読んでみた。物語の中には,NHKの受信料の集金がこの世のすべてだと確信している人,とある宗教がすべてだと確信している人,ドメスティックバイオレンスに及ぶ男は殺してもかまわないと確信している人,その他色々な人たちが出てくる。どの人たちの確信も同じ世界にいる人の間では「あまりに自明」のことであろうが,外から見れば「そんなことないでしょ」と一蹴されるようなことである。だとすれば,私たちが当然だと思っていること,たとえば,セックスは愛情交歓,快楽,受胎のためにあるということ,空に浮かぶ月は一つであること,なども自明ではないのかもしれない・・・つまり,すべての物事は多義的である(それを受け入れる柔軟さが必要である)ということが言いたいのかな,と思った。そして,その中で,後半になってメロドラマ的にクローズアップされる「愛」。これだけは,1984年だろうが1Q84年だろうが,不変で普遍で不偏である。さしあたり,自分はそのように理解してみたが,しかし,「以上,物語は終わりです」というわけには行くまい。ストーリーは中途半端であり,その場限りの面白さだけでは,テレビのバラエティ番組と同レベルである。4月に「BOOK3」が出るというが,1984年の延長線上に生きる者にも理解できるように1Q84年の謎を解き明かしてほしい。それはそれとして,この人の小説はよくおいしそうな料理が出てくる。主人公が夕飯に作るエビとマッシュルームとセロリの炒め物が読むからにおいしそうだったので,マネして作ってみたら,思ったとおりおいしかった。料理のレパートリーが増えた。
・「人喰い猫〜「めぐり逢う僥倖」」
「人喰い猫」を読んで、僕は、そうだったんだ、僕だけじゃなかったんだと得心した。「他の人間に対してはなかなかうまく説明できないことも、彼女に対しては自分でもびっくりするくらい正確に説明できた。」 そういう経験って、確かになかなかなくて、というかほとんどないのだけど、そんな邂逅にこの上ない幸せを感じてしまう。「ひとりの人間が自分の気持ちをあるがままにしっくりと、十全に伝えることのできる相手にめぐり合う(原文では「会う」ではなく「合う」となっています。)機会というのは驚くほど少ないのだ。それはたぶん奇跡とか僥倖とかに近いかもしれない。」「それは、世間一般に考えられている愛というものとはそれほど関係のないことなのだろう。」 この短編を読んでいて、あれぇこんなのあったかなぁと思ったのだけど、巻末の説明では「村上春樹全作品1979−1989」第8巻とあり、1991年7月の書き下ろしでした。どうりで初読だったのでした。
追伸 今にして思えば「カンガルー日和」は「バナナフィッシュにうってつけの日」へのオマージュだったのですね。英訳の「A perfect day for kangaroos」を見て、初めて気が付きました。
・「「造園」された「喜び」に満ちた逆輸入短篇集」
第1弾だった『象の消滅』は黄色だったが、今作は赤色(濃いピンクか??)の装丁。ちょっとクリスマスカラーっぽくもあります。
・「素晴らしい、けれど・・・」
もし、他の作家の短編集との比較をするなら、星10個でも足りません。ただ、「眠り」「ファミリーアフェア」「踊る小人」といった大傑作と比べると・・・。ハルキ初心者は、「黄版」から手に取ることをお薦めします。
・「蟹と螢」
切なさではタイを張ることのできる「蟹」と「螢」。手に入れた後に手から離れたという点では同じカテゴリーなのかもしれない。それにしても24編の短編をこのように再構成すると違った作品に見えてくる。やはり場の雰囲気というものは大切なのだ。
・「入門編に最適、マニア垂涎のアイテムでもあり」
著者の代表的な短編が、余さず収録されています。
初期の代表作「貧乏な叔母さんの話」から、優れた小品である「スパゲティーの年に」や、さらには最新の短編集「東京奇譚集」の作品群まで。
1Q84で村上春樹を読み始めた方に、短編の魅力も知っていただくには最適です。
***
また、全集にしか収められていない「人喰い猫」や、書き下ろしの「蟹」が、マニアをも満足させることでしょう。
特に「蟹」は、とても興味深い作品ですよ。あの名作「野球場」のなかで、登場人物が書いた小説を、村上春樹氏自身が作品化したというものです。
***
装丁もお洒落で、値段も(ボリュームを考えれば)手頃です。プレゼントにも向いているかもしれません。
・「村上春樹代表作かつ傑作」
とにかく、この本が好きだ。初めて読んだ時から、何度読んでも、何年経っても好きだ。初期村上作品に登場する「僕」と同じ性格であろうと思われる「ワタナベ」と「直子」、そして「緑」との若き日々を記録した物語。どうしてこれほど、この物語が若い頃から私の心に居着いて離れないのだろう。それも性的な描写がふんだんに盛り込まれているにもかかわらず。まずは、登場人物のキャラクターに依るところが大きいのだと思う。この物語以前の村上作品には、とにかくクールな人物ばかりが登場し、やや浮世離れしていた感はある。しかし、「ノルウェイ」ではみんなが生きている。特に「緑」の生へのエネルギーは読む者を快く圧倒する。静的で内向的な「直子」とは非常に対照的であるところが、物語を面白くする。その間で「ワタナベ」は揺れ動く。こう端的に書くと、若者がただ二人の女性の間を揺れ動くだけの物語になってしまうが、まったく違う。これ以上深く書くとあらすじになってしまうのでやめておくが、そんな薄っぺらい話ではない。故にあれから20年近く経った今読んでも心を打つ内容なのだ。なぜならそれは、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」このテーマが、この小説の頭から最後まで一貫して色濃く流れているからだ。だから、悲しいほどに物語の中の「性」的な描写が「生」の象徴として違和感なく流れていく。
改めて読み返して、この本からも自分は影響を受けていたことをまた見つけてしまった。数年前まで、酒のツマミにピスタチオを好んで食べていたのは、そういえばこの小説の影響だった。
・「読者が自分で翻訳する本」
村上春樹はすごい作家だと思いました。平易な読みやすい文章は象徴的で、意味を読者に委ねる空間が空いているような独自の世界。まるで翻訳しているような気分になりました。ここからは、私なりの翻訳。スプートニクの恋人ではあちら側の世界としていたものが、この作品では直子の療養施設の近くの森にあるという架空の井戸穴であり、直子は結局そこに落ちてしまったのかなと思います。(スプートニクでは、あちら側は"ここではない別の"世界として描かれており、意味は少し違うと思いますが)無駄に多いとされる性行為の表現に関しては、心と身体が深いところで共鳴するようなものに関しては、それは生を意味しているのではないかと思います。生は、生々しいものだからです。直子の身体は、本能は、生きることを望んでいた。だからこそ20歳の誕生日に、直子の身体は"井戸に落ちないであろう"僕を求めたのではないでしょうか。ですが、愛するものを失った哀しみは、残されたもののなかに死の種を植え付けます。直子のなかにある死はあまりに深く、癌細胞のようにその進行を止められなかったのでしょう。直子と対照的に描かれているのが緑ですが、彼女もまた両親を亡くした死と縁が深い人物です。ですが、彼女は自分のなかの死に対処し、生きる意思をもって生きています。僕は緑と直子、生と死の世界の境目を行ったりきたりし、最後は緑を選びますが、直子は死に、あとには深い喪失感と井戸穴のある風景が残ります。現在の僕は、文字通り、死を自分のなかにしまい込みながら20年の歳月を生きてきたでしょう。どこまでも深く暗い穴のある井戸の、場所を確かめながら。それは、見えていれば落ちないから。
・「喪失の哀しさ」
この作品には精神を病んだ人が何人も登場し、自殺しています。なのに、不思議なことに読後苦々しさはなく、哀しさを感じるのみです。これは村上文学の特徴だともいえるのでしょうか。これを読むと自分が若かったころを思い出し、たとえその時どれほど楽しかろうが苦しかろうが、過ぎ去った過去でしかないという感傷的な気分になります。青春時代を 思い出したい方におすすめします。
・「期待以上でした」
映画化を前に一度読んでみようと思い購入。純愛物語と聞いていましたが、なかなかどうして大人の内容。中学生の子供がいるのですが、性に対する理解の入り口にいる時に読むととても良いなと感じました。
・「村上春樹はこれだけじゃないよ!」
20年ぶり位に読みました。楽しかった。村上春樹はこの『ノルウェイの森』が初めてだったのですが、その後『風の詩を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』そして『グレートギャッビー(村上春樹訳)』と読んできました。
レビューを見ていると、理解不能だとか、面白くないだとか言う意見も結構あって、人それぞれだなぁと感心しました。一度デビュー作から読んでみてはどうでしょう。案外面白くなると思いますよ。
・「性描写がなければ短編」
人間関係は簡潔で 時代背景もほとんど主人公たちには影響無し長い性描写を除けば 極めて短くなる話
・「楽しく簡単に読める!」
上巻302p・下巻293pの読み応えある作品です。 全て読みきれるか不安に思う方もいるかと思いますが、 終始平易な文体で書かれ、また随所にユーモラスがちりばめられているので、飽きがこないようになっていると感じました。 登場人物全てが色濃い存在で、かなり親しみを感じる人物もいれば、激しく憎しみを覚えてしまうような人物もいました。これほど感受移入してしまうのは、一人一人に弱い面や人と明らかに異なるあるからだと思いますが、その弱い面や自分の偏向性を皆が見つめています。それゆえに登場人物全員が読者を魅了します。 時々性描写があり、赤面してしまう方もおられると思いますが、僕はこの性描写も好きです。なぜなら、ただ売れるために書かれたものではないと強く感じるからです。むしろこれがないと「愛」の形が表明的なものとなってしまい、作品全体が壊れてしまいます。激しい描写もありますが、僕は村上さんの性に対してオープンな姿勢が好きです。 非日常的経験や、ドキドキ感を味わえることは間違いありません。
・「ALL THINGS MUST PASS」
この本を読み終わったとき、(JOHNがLIVING THIS CRAZY WORLDと歌ったように) 世界はなんて無常なものだろうとおもった。人は必ずいつか死ぬし、時間は自分が何をしていようが無常に過ぎていく。時間は限られている。誰もが運命から逃れることは出来ない。そばにあるものは必ずいつかなくなるし、その重要性に気付くのは、いつだってそれをなくした後だ。誰もが自分の理想を追い求め、理想を実現するべく前に進もうとするが、なにもかもが思い通りになるはずはなく、自分の居場所もわからず、理想の森をさまようことになる。そういう意味で、この世界全体がノルウェイの森であり、そこかしこに野井戸があいている。野井戸の深さは落ちた人にしかわからない、ワタナベが直子の闇の深さを認識できなかったように、人の心の闇はその人自身にしかわからないのだ。
・「単純に、面白い」
88年ころの高校2年生か、3年生のころに読みました。残っている印象は、やたら人が死ぬ、やたらすぐに寝るということだけでした。ただ、面白くて一気に読んだ記憶があります。2010年、39歳、レイコさんの年で改めて読み直しました。それも初めての病気入院のベッドの上で。やはり面白い。一日で一気に上下二冊を読みました。そして、ああ、こんな話だったのかと初めて読むように面白く読めました。何が面白いのかと考えるに、表現の軽妙さもさることながら、主人公のワタナベくんのこだわりのなさ、川に流されるように漂う感じが物語が次にどうなるのかと読ませられてしまうのだろうと思います。ただ、最後、さすがにワタナベくんとレイコさんの話には驚きましたが。あら、びっくり、そうくるか、とさすがに39歳でも思いました。
・「人間の内面を描いた作品」
初めて読んだときには、はっきりいって何がいいのか全くわからなかった。それどころか性描写が多かったり、まわりくどい表現に嫌悪感すら感じた。しかし、2回、3回と読み返すうちに、人間の内面の描写の奥深さに感嘆し、この作品を見る目が180度変わった。村上春樹作品全般にいえることだと思うが、この人は人間の心の奥、喪失感や孤独を描くのが本当にうまいと思う。この作品もしかりだ。登場人物の心の動き、孤独や悩み、葛藤や喪失感が実にうまく描かれていると思う。村上作品はかなり好き嫌いが分かれるし、あわないと感じる人の気持ちもわかる。しかし、この作品を評価するのであれば、2回以上読んでみてからにしてほしい。
●世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)
・「村上春樹にしか書けない冒険物語」
とにかくものすごいパラレルワールド。まず、「ハードボイルド・ワンダーランド」。首都東京の地下では「やみくろ」が跋扈し、計算士と記号士がお互いにしのぎをけずる。計算士である主人公は、地下道の奥に住む博士から秘密の依頼を受けて徐々にトラブルに巻き込まれていく。そしてもうひとつのストーリー「世界の終わり」。高い壁で周囲を覆われている、とある街。そこには争いも、悲しみも、欲望さえも存在しない静かで完璧に完結した街だった。主人公は両目に「夢読み」としての刻印を入れられ、図書館で毎夜一角獣の頭骨から淡々と古い夢を読むのが仕事だった。このまったく繋がりがないかのような二つのストーリーが交互に展開していく。「ハードボイルド・ワンダーランド」で、博士から一角獣の頭骨をお土産にもらった主人公は、その頭骨を調べた時から図書館に勤める女の子と親しくなる。「世界の終わり」で、図書館で一角獣の頭骨から夢を読む主人公は、そこで世話をしてくれる「心がない」女の子に好意を抱く。一角獣。図書館。奇妙な接点を見せながら進行していく二つのストーリーは、終盤に驚くような展開をみせる。「ハードボイルド・ワンダーランド」で、主人公が行なうシャフリング。これは、頭の中で行なう暗号化だ。シャフリングとは、記号士の脳の奥深くに暗号化に必要な手術を行なうことによって、記号士本人にも気づくことが出来ないうちに暗号化を行なうこと。主人公はシャフリングの手術を受けると同時に、ひそかに主人公の意識の核を人為的に映像化したもうひとつの「意識の核」を脳内に組み込まれていた。「世界の終わり」では、最初に「影」と身体を切り離された主人公は、自らの「影」から街の地図を描いて届けるように依頼される。門番の警戒を潜り抜けて「影」に地図を届けた主人公は、街から抜け出す方法を「影」から知らされる。
こういう「とてつもない」独特の物語を書くことが出来るのは、やっぱり村上春樹しかいないのだ。登場人物が困難な状況に陥っても、誰一人狼狽しない。これだけの冒険物語を、心静かに読ませることが出来るのは彼しかいない。
・「吹き飛ばされたアイデンティティー」
最後の最後まで、登場人物の名前はだれ一人として明かされることはない。
博士が計算士である『私』に告げた「『世界の終わり』で取り戻されるはずの『失われたもの』」とは、『私』自身のアイデンティティー、じぶんが自分として存在するための意味や価値だったのでは。
自分が生きる価値をどこの世界に求めるのか、なにが自分にとっての現実なのか。
限りなく非現実的な世界を描き出していながら、頭の中に浮かんでくるイメージはどこまでもリアル。
脳が痺れた。
・「どんどん読める!」
メカニカルでアップテンポな物語と、寓話的な物語がエンディングに向けてリンクし始める様が脳を刺激します。ストーリーに引きずり込まれ、集中して読んでしまいますが、一度では作家の真意は掴めないのでは?掴めない僕は、何度読めばその真の世界観を共有できるのでしょうか。
・「全体的に緩やか。」
上巻と同じペースで緩やかにストーリーは進み、緩やかにトーンは下がる。細部の描写は比喩も含めて上質ではないが、かと言って飽きる程でもない。徐々に終熄というか、収束に向かい、最終的にハッピー過ぎずアンハッピー過ぎない終幕。レビュアー自身、下手に結論を急いだ物語の終わりが好きでないので、この終わりは好きな部類。全体的にのっぺりとしていて、前半・後半とも感想としては変わらない。
・「幻想的な現実感」
村上作品はノルウェイの森以来2作目。ハイテンポで現実的なハードボイルドワンダーランドとローテンポで幻想的な世界の終わり
その相反する二つの世界が繋がり重なり合う。
「私」が使うことが出来るシャフリングという能力に隠された謎。そのキーである「世界の終わり」という言葉。突如手にする事になる一角獣の頭骨。計算士と記号士。やみくろという謎の種族。システムとファクトリー。太った女とリファレンス係の胃拡張の女。そして博士。
「僕」が訪れた「世界の終わり」という街。心を持たないが故に穏やかな永遠の日々を暮らし続ける人々。「僕」の記憶の大半を持つ引き剥がされた「僕」の影。街に住む一角獣。古い夢と呼ばれる一角獣たちの頭角。夢読みである「僕」の手伝いをする図書館の女の子のなくしてしまったはずの心。「僕」の影の脱走計画。
全ての謎が優しく、それでいて複雑に絡み合い二つの世界は除々に重なってゆく。本当にいい作品に出会えた。
・「村上春樹 ヨイナコノショーセツ」
カフカ君と同年齢の自分からみてこの“海辺のカフカ”は良く出来てるなぜかって言うと作者の村上春樹は自分達の年頃の気持ちを良くわかってくれてるだから読んでて気持ち良かった読み終わって自分もカフカ君やホシノちゃんのように一歩成長したんじゃないかってくらい
10代のキミはぜひ読んでみてね(ムズイって人もいるがそーでもないかも)
・「得意のパラレルワールド」
村上春樹得意のパラレルワールドが展開していく。 世界一タフな15歳を目指す「僕」は、昔から「カラスと呼ばれる少年」のアドバイスを受けながら抑圧された日々を送っていた。 そして、15歳になった彼は父親からの自立を目指して、一路高松を目指す。 たどり着いたのは個人が設立したとある図書館。 名前を聞かれ、彼が名乗ったのは「田村カフカ」。 彼は受付の大島さん、館長の佐伯さんと不思議な距離感を保ちつつ、図書館で暮らし始める。 一方、戦時中の小学生時代に不可思議な現象を経て、一切の記憶をなくしてしまったナカタさん。 彼は猫の言語を話すことが出来るために、家出猫を探すことでわずかな報酬を得ながら暮らしていた。 ゴマという子猫を探している時だった。 公園で黒い犬に先導され、とある屋敷を訪れたナカタさんは「ジョニーウォーカー」さんから、とあることを頼まれる。 ふと我に返ったナカタさんは、西へ向かうことにした。 自分でも理由はわからないまま。 道中、トラック運転手の星野青年と行動を共にすることになり、彼らがたどり着いたのもなぜか高松だった。 田村カフカは、佐伯さんが昔出したレコード「海辺のカフカ」と、壁に飾ってある「少年の絵」をきっかけに佐伯さんの心の中に入り込んでいく。 ナカタさんと星野青年は、「カーネルサンダース」の力を借りながら、「入口の石」を探す。 田村カフカとナカタさん。 これまで何の接点もなかった二人が、なぜか徐々に近づいていく。
ファンタジーの香りがするがファンタジーではなく、推理小説風だが、推理小説ではない。 荒唐無稽な現象が続発するものの、この物語の中ではそんなことが当たり前に思えてしまう。 読者はそうやって村上春樹に感化されながら、不思議な好奇心を維持し続けながら、最後まで読み続けてしまう。
やはりこの作品にも、村上春樹のテーマである「生と死」が根底に流れている。 死があることによって生が強烈に浮かび上がる。 しかし、生と死が対極的に描かれているわけでもない。 この描き方が村上春樹独特な雰囲気を醸し出しているのだと思う。
そういえば、田村カフカが森の中で入り込む世界は、「世界の終わり」の街に非常によく似ている。
・「海辺のカフカ。面白いです。」
「あの頃は何も考えなくてよかった、と彼は思った。ただそのまんま生きていればよかったんだ。生きている限り、俺はなにものかだった。自然にそうなっていたんだ。でもいつのまにかそうではなくなってしまった。生きることによって、俺はなにものでもなくなってしまった。そいつは変な話だよな。人っていうのは生きるために生まれてくるんじゃないか。そうだろう?それなのに、生きれば生きるほど俺は中身を失っていって、ただの空っぽな人間になっていったみたいだ。」
個性的で、読み始めたら止まらず、読後にいろいろなものを残す作品を名作と呼んでいいとすると、この小説はその条件を満たしている。
テーマは普遍的で、ヒントやモチーフはいろいろなところから借用されている。ギリシャ神話だったり、シェークスピアだったり、それ以外の西洋文学作品であったり、日本の古典であったり、著者自身の過去の作品であったり。
田村カフカ少年がその一部になる図書館という舞台は、様々な思い出や知識の基本を支える記憶が存在する場所として象徴的。一方、もう一方の重要人物のナカタさんにはそれがほとんど無く読むこともできない存在として対比される。現実と異次元の混在。効果的に配置された小道具。よく考えられた個性の登場人物たち。性や暴力といった人間の基本的な欲求もその存在と不可分なものとして絡み合う。音楽。そして、多少のユーモアと皮肉。メタファー。変わっているのに必ずしも意外ではない展開。
たぶん、世界で一番タフな15歳になる旅は、多くの読者に対しても一筋縄ではいかないタフな時間を与えてくれる。変わった小説だが、なかなか面白かった。
・「15歳の少年はどこへいく」
15歳の少年、田村カフカ君はどこへいくのでしょうか? 下巻では佐伯さん(42章で死んでしまうのは、意味があるのでしょうか) ナカタさんとキーマンが相次いで死んでしまいます。 普通の人の理解を超える世界へと話は展開していきますが、これも15歳の少年、思春期の少年の世界だからこその展開なのでしょう。 思春期だった自分に戻ってみると、不可解な世界が少しわかるとおもいます。
・「色んな謎に対しての読解力に限界を感じた」
上で色んな謎がばら撒かれ、下で回収するということを期待していると全く肩透かしを食らう。
私自身の読み方だと「そこは解決するのにあそこは放り投げたまま??」という不思議さが残る本。それぞれの読者の想像力と読解力が試される一冊。
象徴的なものがたくさんでてくるので、それぞれの人生経験によって読み方が変わってくると思う。物語そのものは不思議な世界に包まれ面白いので楽しめるが私自身はまだまだ未熟なのか?の多い内容でした。
●世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)
・「村上本の最高傑作」
20代の頃に村上氏の他作品と共に何度か読み村上氏独特の比喩表現に感心しましたそれが村上本の価値そのものであると思っていましたが長らく押入れで眠っていたこの本を50代になった今読み返してみたところ不思議なことに私のこころの中に巣くっていた老いや死に対する恐怖感が失せたような気がしました人により様々な評価があるでしょうが文句のつけようのない傑作だと思います一通り読んだ後に「世界の終り」だけを読みその後に「ハードボイルド・ワンダーランド」だけを読んでみたりもしくはその順序を変えてみたりとにかく何度読んでも新しい感慨を覚えますそれはこの本が私にとって自分を映しだす鏡のような役目を担っているからなのかもしれませんそれ故年齢を重ねるにつれ異なる感慨を覚えることになるのでしょう
・「泣きました…大好きです★」
私は個人的にこの計算士の彼が大好きです☆こんな人が実際にいたら絶対ホレちゃいます。物知りで何でもこなしてステキ。そして内容…。言葉でうまく表現できないけど、私を支えるたくさんのことに感謝しなきゃいけないと思わせました。所々で心打たれた。泣いた。他のレビューで何度も読みたいと書かれてる方がいらっしゃいますが、私は逆に怖くて読み返せないです。なにせどっぷり物語に浸かりすぎて、しばらく夢から覚めることができなくなるから…。
・「なにこれ」
めっちゃくちゃひとりよがりな内容。次から次へとよくまあここまで読者を置いてけぼりにして駄文を書き連ねることができるものだ。とにかくつまらない。いつもの作風が行き着くところまで行き着いてしまい、結果やりすぎの駄作になった典型。
・「村上春樹にしか書けない冒険物語」
とにかくものすごいパラレルワールド。まず、「ハードボイルド・ワンダーランド」。首都東京の地下では「やみくろ」が跋扈し、計算士と記号士がお互いにしのぎをけずる。計算士である主人公は、地下道の奥に住む博士から秘密の依頼を受けて徐々にトラブルに巻き込まれていく。そしてもうひとつのストーリー「世界の終わり」。高い壁で周囲を覆われている、とある街。そこには争いも、悲しみも、欲望さえも存在しない静かで完璧に完結した街だった。主人公は両目に「夢読み」としての刻印を入れられ、図書館で毎夜一角獣の頭骨から淡々と古い夢を読むのが仕事だった。このまったく繋がりがないかのような二つのストーリーが交互に展開していく。「ハードボイルド・ワンダーランド」で、博士から一角獣の頭骨をお土産にもらった主人公は、その頭骨を調べた時から図書館に勤める女の子と親しくなる。「世界の終わり」で、図書館で一角獣の頭骨から夢を読む主人公は、そこで世話をしてくれる「心がない」女の子に好意を抱く。一角獣。図書館。奇妙な接点を見せながら進行していく二つのストーリーは、終盤に驚くような展開をみせる。「ハードボイルド・ワンダーランド」で、主人公が行なうシャフリング。これは、頭の中で行なう暗号化だ。シャフリングとは、記号士の脳の奥深くに暗号化に必要な手術を行なうことによって、記号士本人にも気づくことが出来ないうちに暗号化を行なうこと。主人公はシャフリングの手術を受けると同時に、ひそかに主人公の意識の核を人為的に映像化したもうひとつの「意識の核」を脳内に組み込まれていた。「世界の終わり」では、最初に「影」と身体を切り離された主人公は、自らの「影」から街の地図を描いて届けるように依頼される。門番の警戒を潜り抜けて「影」に地図を届けた主人公は、街から抜け出す方法を「影」から知らされる。
こういう「とてつもない」独特の物語を書くことが出来るのは、やっぱり村上春樹しかいないのだ。登場人物が困難な状況に陥っても、誰一人狼狽しない。これだけの冒険物語を、心静かに読ませることが出来るのは彼しかいない。
・「申し訳無いです!わからない!」
村上春樹の作品の中でも群を抜いて評価の高い本作品。、、、申し訳無いです、私全く面白さが解らなかったです。五年程前、上巻の1/4ほど読み進めた所で全然物語に入り込めず一度断念しました。
そして最近、凄い時間をかけて読み終えたのですが結局は「ハードボイルドワンダーランド」の計算士の主人公の脳内世界が「世界の終わり」って事しか解らず、要するに1,「ハード」ではやみくろとの戦い2,「世界の終わり」では失われた影との惜別って事で宜しかったンでしょうか?
・・・わからん。。
・「文学的金字塔」
流麗かつ音楽的な文体で綴った、ひと夏の物語。
文章から情景をイメージする力、詩的なものに対する感受性が相当に発達している人、あるいは当時のアメリカ社会に精通した人でない限り、この作品のエッセンスを汲み取り、味わうのはほとんど不可能に近い。
・「村上春樹ファンなら必読の一冊」
派手で空虚なパーティに明け暮れる、自堕落で破滅的な登場人物達は、時代背景を抜きにしても、現代の日本人の価値観からは共感しづらいかも知れない。
それでも、ギャツビーの純粋さと孤独には、彼のために物語を書くだけの強い説得力を感じた。「ノルウェイの森」の主人公が、どうしても直子の物語を書き留めなくてはならないと感じたように。
最後の数ページの描写は、限りなく美しい詩のようだ。情景が目に浮かぶような海岸の夜の風景に、主人公が馳せるギャツビーへの想いが静かに深く重なっていく。その奇跡のようなバランスは、まさに芸術と呼ぶにふさわしい。
翻訳の文体だけでなく、全編を通じて流れる喪失感からも、村上作品に通じるものを感じる。「この作品に巡り合わなかったら、小説を書いていなかったかも知れない。」というほど村上春樹氏が絶賛する本であり、評価は相半ばするとしても、村上春樹ファンなら一度は読んでみる価値のある作品だと思う。
・「Old Sport、という奇異な響きが頭から離れない。」
かの村上春樹氏が人生の中で出会ったもっとも重要な書物を3つあげろと言われたら、カラマーゾフの兄弟ロング・グッバイグレート・ギャツビーの3つをあげる。しかし、一つだけ、といわれたら間違いなくグレート・ギャツビーを選ぶ、とおっしゃるほどの作品。早速、村上版グレート・ギャツビーを読んでみました。 あっという間に引き込まれて1日で読んでしまいました。
舞台は1920年代のアメリカ、謎を秘めた成り上がりのリッチな若者、ギャツビーのミステリアスな半生をその友人の目を通して語るもので、全篇に切ない純愛と少しのミステリが織り交ぜられ、物語が非常に美しい文体で語られています。村上氏は、残念ながら日本語ではこの作品のすごさは理解し得ない、しかし、現時点で最高の訳を作りたくて新訳を出されたと言います。確かに、修辞、語順など相当工夫して訳しておられます。ギャツビーが英国でみにつけたと思しきOld Sportという親しい友人を呼びかける言葉、アメリカ的にいえばBuddyとかMy friendのような意味だと思いますが、これが相当頻繁に出てくるため、熟慮の結果『オールド・スポート』とそのまま訳すことにしたとのことです。最初、相当奇異な感じでしたが、同じ英語でもアメリカ人には奇異な表現であることを考えれば、決して妥協の産物ではないと思いました。しかも、途中で慣れてきて違和感を感じなくなりました。日本語では理解しきれないのかもしれないが、珠玉の文章の美しさには魅せられました。
・「読むほどに、人生を深く愛おしく感じる小説」
15年前10代の時に初めて読んだグレートギャッツビーは、訳の違いもあってか始めの10ページで挫折した。その苦い感覚もあり、各所でグレートギャッツビーが絶賛されるのを横目で見ながら手に取れずにいた。
30を過ぎて、ふと手に取った。1回目は、他の小説と同じように最後まで読み通したという程度のものだった。しかし、気がつけばふと手に取り、偶然開いたページに暫く読みふける。あらすじは当然知っているので、その後のまたはそれ以前に起こった登場人物達の出来事を思い、胸が苦しくなりページを閉じる。数日後、その数日後何度も同じことを繰り返していた。
そのうち、「これはなんなんだろう」と思いはじめた。グレートギャッツビーで語られること、もしくはそれぞれの頁で起こる出来事、語られる言葉、行動にストーリーやプロットという一言では言い表せない大きなうねりのようなものを感じるようになった。
電車の中で、フローリングの床で、グレートギャッツビーを胸に抱き目を閉じる。 自分は何者でもないが、それでいいのだという大きな安堵に包まれる。
・「野崎 孝 訳を推薦します。」
この作品が、米文学の最高峰の一つであることは間違えないが、この訳は個人的にがっかりした。(あくまでも好みの問題として)この小説の、最後の2行を比較すれば、この差は歴然としているが、それをここに書くべきではない。タイトルの後の引用部分(”ふたたびゼルダへ”の前)で比較してみる
野崎訳「さあ、金色帽子を被るんだ それであの娘がなびくなら あの娘のために跳んでみろ 見事に高く跳べるなら きっとあの娘は叫ぶだろう”金の帽子すてき 高跳びもいかすわ 恋人よ あんたはあたしのもの”」
村上訳「もしそれが彼女を喜ばせるのであれば、黄金の帽子を被るがいい。 もし高く跳べるのであれば、彼女のために跳べばいい”愛しい人、黄金の帽子をかぶった、高く跳ぶ人、 あなたを私のものにしなくては!” と彼女が叫んでくれるまで。」
ちなみに、私は「マイ・ロスト・シティ-」他の村上訳を読んでいますので村上春樹の訳者としての業績を否定するつもりは毛頭ないことを付け加えておきます。
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