人間失格 (集英社文庫) (詳細)
太宰 治(著)
「ジャケ買いの一人です。」「自分の人生は誰にとっても文学の糧であるとしたら」「買いやすかった」「まぁ、仕方ない」「自社への皮肉もあるのだろうか」
人間失格 (新潮文庫 (た-2-5)) (詳細)
太宰 治(著)
「お薦めです」「狂喜です。」「いつ読むかで感想も異なる!」「触れたくない部分に突き刺さる」「世間とは何か?」
斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫) (詳細)
太宰 治(著)
「いわゆる「お徳用」です」「壮絶なブログを読んでいるような作品群。」「読み辛い」「エンターテイメント性を読み解いてこそ」「ギュッと詰まった太宰の世界です」
ヴィヨンの妻 (新潮文庫) (詳細)
太宰 治(著)
「ヴィヨンの妻について」「家族からの逃亡。」「太宰という人はすごい」「妻のけなげさ」「太宰生誕100年」
「ああ、やっぱりね。自分に酔っているよ、この作品。」「今だから、面白い」「革命家の母」「かず子の妖しい魅力」「素晴らしい,が。」
ほんものの友情、現在進行中! (読書がたのしくなるニッポンの文学) (詳細)
新美 南吉(著), 宮沢 賢治(著), 太宰 治(著), 堀 辰雄(著), 菊池 寛(著), 国木田 独歩(著)
お伽草紙 (新潮文庫) (詳細)
太宰 治(著)
「「清貧譚」だけの評です」「太宰治には講談師としての才能があったのかも」「太宰の回心?――「盲人独笑」考」「面白い」「ああ、馬鹿な男」
人間失格 (まんがで読破) (詳細)
太宰 治(著)
「鼻にかけない人。」「人間不合格」「いいですね。」「『人間失格』は漫画向きだった!」「原作は読めませんでしたが、本書では完読しました」
「津軽にて酒三昧」「朗らかな愛郷土心。」「太宰治入門」「「津軽」から「富嶽百景」へ――逆行して、見えてきたもの」「太宰色の紀行文」
パンドラの匣 (新潮文庫) (詳細)
太宰 治(著)
「綺麗なダザイは好きですか?」「若者の心を見事に捉えた作品」「黒田先生の言葉から見る先生と弟子(イエスとその弟子と)」「お気に入りのひとつです」「清々しい青春の風音」
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・「ジャケ買いの一人です。」
自分は、小畑先生の絵に惹かれて幸運にもこの作品を読む機会を得ました。
もっとサラッと読めると思ってました、表紙からの想像で(苦笑
とんでもなかったですね。何度も何度も繰り返し読んでは、アレコレと葉蔵や太宰本人の心理を考えています。
この価格で、この作品に巡り合えたことにとても感謝しています。
個人的な好き・嫌いはあれど、この表紙をキッカケにさらに読者が増えていったら良いなァ〜と願うばかりです。
・「自分の人生は誰にとっても文学の糧であるとしたら」
自分の人生は誰にとっても文学の糧であるとしたら、それを売り渡すことは職業作家としては限界か、あるいはスタート地点だ。大江健三郎の「個人的な体験」は自分を切り売りしながらもある水準で達観し、突き放している。そのスタンスを守りながら大江はいつまでも描き続けられるのだろう。太宰にはそれができなくなり、全てを手放して絶命したのだと思えた。太宰もここまで売り渡す自分を、自分に近しく描かなければ、もう少し延命できたのではないか。この作品の先に大きな作品を物することができたのではないか。独白の文体で誰もが知っている己の人生を語れば、それはもう文学ではない。スキャンダルのセット販売だ。しかし、独白で書かれる事で読者一人一人に打ち明け話をする作家の姿が耳元にたたずむとなれば、十分な効果を上げていると言える。その手の話が人間は好きなのだという下世話な計算があったとしたら、なにもここまで自分のことを書く必要はなかったであろう。太宰は自分と作品を切り離せなかったのだ。ストーリー展開の陳腐さが、現実ゆえに許されている。覗き見、偶然、立ち聞き、打ち明け話など、実体験ではどれだけ起こりうるものだろう。そうしたもので狂言が回される文学はメロドラマに堕してしまうか、あるいは現実の都合の良い断片の収集だ。独白の文体は危険だ。読者と親密な関係を築ける反面、作家を信用しない読者は過剰に拒絶するだろう。『僕は本当はこんな人間なんです。』という会話は、親しい友人との間ではまずしない。しているとしたら、その人とは親しくない。あるいは場末のバーで偶然隣り合った他人同士が眠れない退屈な時間を埋めるために、語るほどの教養も無く、最後の、最安値の話題を切り売りする口調だ。この作品のすごさはそこまで堕ち切った自分を、堕ちるままに描ききったことにある。だとすれば最初と最後の写真のエピソードは潔いとは感じられない。それとも、そこだけでかろうじて文学の体裁を保っているとも言えるだろう。
・「買いやすかった」
小畑さんが描かれたの表紙のオカゲで、なかなか普段は気になっても手を出さなかった「人間失格」を購入しました。
正直今までのような文字だけだとか、誰か分からない人の写真だとか、太宰さん自身でも古く感じて、手に取った覚えもありませんでした。
良いキッカケとなり、タイトルと一部の文章を知り何となく内容を知り…曖昧なモノが剥がれ、それ以上に作品がズシンと響きました。
表紙には賛否両論ではあると思いますが、なかなか手を出さない年齢層や人々に取っては嬉しいかと思います。
廃れて行くよりも、興味も持って触れる事が大切だと思います。
・「まぁ、仕方ない」
表紙が今時の漫画家に頼むのは仕方ないことだろう基本的に若者はそうでもしないと小説読まないしまぁ、表紙的にですノートにしか見えないのは難点ですが
まぁ、地獄変よりはマシですよ
・「自社への皮肉もあるのだろうか」
名作【人間失格】にDEATH NOTEの小畑を表紙に起用した。
これは「こういう商売やってる自分達は人間失格。ひいては製本に関わった人間は皆人間失格なのだ」と言ってるような気がしてならない。
ひねくれた考えだが、私にはそう捉えられた。
・「お薦めです」
イメージが先行して食わず嫌いの為40代で初めて読みましたが、とにかく面白いの一言です。人間図鑑ってタイトルの4コマギャグ漫画を活字で読んでるような感じです。いるいるこういうヤツ、あるあるこういうコトの連続。本当に一度は読んでみてください。
・「狂喜です。」
私は、これほどイカれた本を笑います。彼は弱く、汚い。枯れ葉は散り、くちていくのですか。言葉も綺麗で、果てしなくアバンギャルド。 目が離されなくなりまして、動かんようになりました。
・「いつ読むかで感想も異なる!」
私が「人間失格」を初めて読んだのは中学二年生の時でした。その時の感想は、次のようなものでした。
「この主人公、まるで私みたい……。でも、こんなふうに孤独を感じる私って……素敵かも!」 こういうのをなんて言うんでしたっけ? 中二病ですね。言いえて妙だと思います。 今改めて読み返すと、当時そう思った私自身を恥ずかしく思います。18才の今の私の感想としては、主人公に部分的に共感するところもあるってところです。
・「触れたくない部分に突き刺さる」
最も太宰治らしい作品だろうと思います。 それだけに、代表作と知りながら、なかなか手に取る事が出来なかった作品です。
ひ弱で、純粋な主人公“葉蔵”。 “NO”と言えず、人に誘われるままに行動してしまう男。 自分を「特殊」な人間と考え、「普通」に社会に対応できないと思い込んでいる男。 その癖、美男子で女性にもるので、女性に凭れかかった自堕落な生活をしてしまう。
一見、「駄目男」の典型のようですが、誰しもが、この主人公の何某かを持っています。 だからこそ、現代においても太宰の人気は衰えることを知らないのでしょう。 逆に言えば、太宰はここで「純粋」過ぎる人間は、社会からはみ出した「人間失格」(=狂人)なのかと、問いかけているように思います。 純粋に人を信じ愛する人間は、上手く社会に対応出来ず、“葉蔵”の様に精神病院に入らなければいけないのか?
作品としては素晴らしいと思いますが、読むのが辛いのです。 それは、自分の胸に深く突き刺さってくるものがあるからです。 そして、それは今まで触れたくなかった部分を的確に突いているからです。
・「世間とは何か?」
太宰が自分の半生とダブらせた、葉蔵が主人公の小説。彼の弱さから、転落人生を歩み、最後は人間失格と自分に烙印を押してしまう。でも、自分にもこの弱さはあると思った。人にどう思われているかとか常に気になったり、相手が期待している発言や行動をしようと思ったり、お店で緊張したり、値切れなくてあとで後悔したり。
逆にそのように少しも思わない人間は、協調性がなく、これだと社会性失格ということになるだろう。何事もバランス感覚が重要で、ある程度の範囲内で「弱さ」と「強さ」を身につけなくては、人間社会では生きていけないと思った。
小説の中で「世間」という言葉が気になったので、引用してみたい。
p.90 世間とは、いったい、何のことでしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実態があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きてきたのですが、(後略)
日本では、「世間」という概念が非常に重い。よく、不祥事を起こした方が記者会見で「世間をお騒がせしました」と頭を下げたり、「そんなことは世間が許さない」、「そんなんじゃ世間で通用しない」とか良く聞きます。
太宰が言うように、強く厳しいもののようですが、実体はありません。手元の国語辞典で調べてみると、「世間」=よのなか。人々のすむ社会、また、そこでの活動の範囲。英語では、Societyに当てはまると思いますが、日本の世間のような厳しさ、こわさは感じられません。日本独自の概念だと思います。そう、日本は八百万の神の信仰があります。全てに神が宿るという、アニミズムの感覚が世間には込められているように感じました。形はないんだけども、世間というのは偉いもので楯突いてはいかんという、協調性を身につけるための概念なのかも知れません。このへんは、西洋の一神教であるGODとは異なるものです。
個人的に合理的に考えてみると、世間というのは国語辞典の中の「社会での活動の範囲」というのがぴったり来ると思います。ようは、世間をさわがせると、社会で活動できる範囲が狭くなりますよ、肩身が狭くなりますよ。という意味です。
農耕民族である日本人は、人と違うことをすることを嫌い、集団で行動するように規制をされてきた影響かも知れません。。
・「いわゆる「お徳用」です」
富士山好き故に「富嶽百景」を読みたく講入
”富士の頂角は鈍角も鈍角でのろくさと拡がり...”冒頭から名峰富士の姿を腐す辺り如何にも太宰らしい ・・・・・・本当は好きなくせに・・・
11月になり御坂峠のあまりの寒さに長らく滞在した茶屋を後にするその前日旅行中の若い華やかな娘さん二人に富士山をバックにカメラのシャツターを切ってくれと頼まれる
"私はふたりの姿をレンズから追放してただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして富士山さようなら、お世話になりました。パチり。家へ帰って現像してみた時には驚くだろう。” ・・・・・・またまた、本当はちゃんと撮ってあげたくせに・・・
全558ページ11作品収録のタップリサイズです
・「壮絶なブログを読んでいるような作品群。」
太宰を卒業して幾歳月たった今、映画化するということで古い蔵書から再び読み返しました。
太宰作品の中に見られるガラス細工のように繊細で脆弱な主人公たち。そして強い対人恐怖と境界例的なパーソナリティの滞り…。それが悪いわけではありません。
それが太宰作品の大きな魅力でもあり、太宰治自身の投影でもあるのでしょう。
生きづらかったでしょうに…。心が痛いです。
メンタル面のカテゴリにいる方の壮絶なブログを読んでいるような作品群。
「人間失格」は当時の作家や評論家に太宰は女しか書けないと批判されたことへのアンチーテーゼでしょう。ネガティブなドン・ファンを書きたかったという太宰の苦心がうかがえます。この作品からほどなくして入水自殺してしまう太宰治。あぁ…。合掌。
・「読み辛い」
文字が、ページの内側ギリギリまで印刷されており、目一杯開かないとしっかり出て来ない。確かに太宰の代表作を網羅したのは良いのだが、この様に、少々無理のある形での製本と言うのは長い目で見ると余り面白くない。これから買う方は、余裕を持って読書出来る製本かどうかと言う観点で見るとこれはイマイチと言う事だけ知っておけば良いと思います。
あ、そうそう、新潮文庫だと本編の終わりにまとめて紹介されてる本文の用語解説が、こちらは必要なページに逐一載せて有る点は分かりやすくてグーです。
・「エンターテイメント性を読み解いてこそ」
「人間失格」のような作品ですらも、エンターテイメント性を失わないところにこそ、太宰の凄さがあり、同時に彼がどれほど病んでいるかを示しているように思います。
・「ギュッと詰まった太宰の世界です」
39歳で逝った天才作家の作品を11作品も納めた贅沢な文庫です。使える時間と気分に合わせて順不同で読むのがお勧めです。 「満願」「葉桜と魔笛」は女性の心理を見事に描いた短編。「トカトントン」「ヴィヨンの妻」はユーモアが溢れ、「人間失格」「斜陽」は、太宰の自己表現の代表作として、重く、読み応えがあります。 左ページの左端の注釈はとても分かりやすく、思考を中断せずに読み進めることができます。また、巻末の「太宰治伝」や「作品解説」、年譜は、太宰をより深く知る手掛かりとなります。今年は、太宰生誕100年で、作品の映画化も複数あるとか。かつて読んだ太宰作品を読み直したり、未読の作品を数多く読んだりしてみたくなりました。
・「ヴィヨンの妻について」
主人公の妻のような女性がこの世にいれば嬉しいなと思いました。借金、お酒、女性問題、とあそこまでの悪夫に文句一つ言うことなく尽くす様子から妻が夫をこよなく愛しているのだと思いました。夫の強盗事件を契機に妻が椿屋で働くようになってから、妻が生き生きとしだしたのは、よんでいて気持ちが良かった。 マンネリ化した人生を打破したいと思う人には参考になるんじゃないかと思った。妻が働き始めると夫の妻に対する態度も変わりましたよね。『誰かを変えようと思うなら自分が変わる事が大事だ』ってゆうのがこの小説のテーマなのかなって思いました。
・「家族からの逃亡。」
映画『サイドカーに犬』の中で 竹内結子が読んでる本。
そっか。 家族からの逃亡を集めた短編集だったんだ。
家族。 何気に縛り付けられてるもの。 どこか心の片隅でいつも意識してしまうんだよね。
・「太宰という人はすごい」
太宰という人はすごいです。 妻や子を犠牲にしてまで、文学にのめりこんでしまうなんて 執筆にのめりこみ、女性に酒に薬にのめりこんでしまい、家族を顧みない太宰 こんな人はいないでしょう。 戦争が太宰というひとをつくったのか、はたまた太宰が戦争で変わってしまったのか? なんともすごいひとです。
・「妻のけなげさ」
「ヴィヨンの妻」に登場していた妻は本当にけなげだ。夫は酒をたくさん飲み、浮気をし、おまけに借金まで作っている。それでも妻は仕方がないと健気に生きている。この作品の読みどころは夫が雑誌で批判されていて、夫がそれをうまく弁解した後に言った一言だと思う。こんなだらしのない夫にこのような言葉を言える妻はそういないと思う。
・「太宰生誕100年」
太宰自身を投影させた様な短編集。晩年の自殺行動を髣髴とさせる作品に共感できる部分は少ないですが、自己中で酒を飲んで借金をしてドロボーまでして浮気を繰り返しても明るくしなやかについていく妻。そんな、奥さんに少し憧れをいだいた今日この頃です。
・「ああ、やっぱりね。自分に酔っているよ、この作品。」
若い頃、必死になって読んだ本の一つ。
かず子の日記を当時読んだ感想は、「これ、女性じゃないと書けないだろう」。案の定、かず子さんにはモデルの方がいらして、その日記を彼女の恋人だった太宰氏が借りたとか。そして組み上げたキャラクターは男にとっての理想像な女性だったわけだ。かず子は太宰のモデルの小説家と恋仲になって、相手を傷つけないように身を引く。実際のモデルの女性は血のにじむような苦労をされたらしい。太宰が彼女の日記を拝借したことも世間では無視された。子どもさんを育てるために、泥をすするような生活。作り物の小説の主人公に比べてなんと哀しい人生だったか。
ロマンチックなお話だと喜んでいた自分が恥ずかしい。記憶から消し去りたいお話。現実のお話はもっとシビアで惨いものだった。よくぞ、恥ずかしげもなく刊行し続けているものだ。
・「今だから、面白い」
もっと早くに読んでおけばよかったと思う本は、過ぎ去った若いころを舞台にしているから。でもこの本はまさに今の私ぐらいの年の人が出てくるから、早くに読んで「つまらない」と思って片づけておかなくて良かった、と思えるような作品だった。
太宰は「暗い」というイメージはいつの間に作られたのだろう。最近私が読み始めた太宰には「暗さ」というオブラートに包まれた「生きる強さ、たくましさ」を中心に据えたものが多い。自殺願望の強かった太宰が本心とは反対の気持ちを文章に表したとは思えない。
死が「暗いもの」という気持ちは太宰にはなかったのではないか。私には「死」は「恋」や「幸せ」と同レベルで書かれているような気がしてならない。
そんな気持ちになれる内容だった。面白い、震えるほどに面白い。年をとればとるほど、面白味は増していくんじゃないかな・・・。
・「革命家の母」
本作品では、敗戦による上流社会の崩壊といった、一般的なテーマの下層に隠されている別の意図が読み解かれなければならない。それはかず子に付された聖母マリアの比喩である。 敗戦で「男の時代」が終わった、と作品は告げる。戦争に荷担しなかった男たちも「男」としての責任を免れない。男たちは直治のように自殺するか、上原のように飲んだくれになる他ない。 一方、かず子は女としての特殊な方法で「革命」を起こそうとする。かず子の師匠はマルクスではなくマリアである。語りは随所にキリストの影を忍ばせるが、その母の存在については巧妙に隠蔽されている。しかし戒律厳しいユダヤ人社会で、誰とも知れぬ人の子を宿し、救世主までに育て上げたマリアが「革命家」でなければ、世に革命家は存在するだろうか。『斜陽』には「蛇のように賢い」かず子がマリアを受け継ぐ「キリスト再降臨劇」が含意されているのである。
・「かず子の妖しい魅力」
全編に漂う、主人公、かず子の妖しい魅力。好きな男に飼われる為なら相手の返答が無くても何度でも手紙を送りつけ、自身の不気味な人生観を語り上げるかず子の異様な性格は、ミザリーに匹敵しますw比較的短い物語の上、後半尻すぼみになって行き描写が足りない部分が有りますが、それをおぎなう物を感じさせるのは、元ネタとして自分の浮気相手の女の日記をパクったと言う下地ゆえでしょうか。ナンパなペテン師太宰治の最高の作品です(笑)
・「素晴らしい,が。」
兄の本棚から拝借して読み始めました。
「私が早熟を装って見せたら、人々は私を、早熟だと噂した。私がなまけものの振りをして見せたら、人々は私を、なまけものだと噂した。私が嘘つきの振りをしたら、人々は私を、嘘つきだと噂した。私が金持ちの振りをしたら、人々は私を、金持ちだと噂した。私が冷淡を装って見せたら、人々は私を、冷淡なやつだと噂した。けれども私が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は私を、苦しい振りを装っていると噂した。
どうも、くいちがう。 」
この部分は忘れられなくて何度も読み返しました。その時期,神経過敏症になっていたこともあり、自殺願望が常にありました。
この小説が自殺願望を促進させたのか、減退させたのかは分かりませんが,今も私は生きています。闇のない所に光はないように,こういう闇を知っておくのも将来に役立つと思います。
ただ、何度も読み返したいと思えるものではありません。毒にも薬にもなりそうな1冊。
・「「清貧譚」だけの評です」
昔々、高校教科書で読んだ「清貧譚」をふと読み返してみました。聊斎志異が下敷きということですが、これって、ものすごく現代的なファンタジーではないですか。
・「太宰治には講談師としての才能があったのかも」
そのように思わせるくらい、読んでいて、とにかく面白い。「人間失格」とも「走れメロス」とも違う太宰治が、そこにあります。個人的には、「かちかち山」がイチ押し。タヌキとウサギのかけあいが落語みたいで、笑えます。それでいながら、どの話にも哀しみが漂うのは、太宰が、話をご都合主義的にハッピーエンドで終わらせず、人間の浅ましさ、業の深さを正面から描いているからでしょう。幸福な話ばかりではないのに、おかしみがある。このような小説を戦争中に書いたというところに、太宰治のすごさを感じます。
・「太宰の回心?――「盲人独笑」考」
「盲人独笑」がおすすめだ。何がいいと言って、挿入された歌がいい。 「上もなき 仏の御名をとなえつつ 地獄の種を まかぬ日ぞなき」。 この作品のあとがきのようなところで太宰は、これは、葛原勾当の日記を借りて創作した、ある一時期の自分の姿だ、と書いている。ある一時期とは、いつのことだろうか。 太宰とキリスト教とのかかわりは、深い。そこで今挙げた歌の「仏」は、キリスト教の「神」に読みかえられないだろうか。そう私は考えた。 福永収佑氏は『太宰治論―キリスト教と愛と義と』のなかで、太宰はその友人に、「僕はキリストを見た!」と語ったことを紹介している。太宰は、キリストをその目で確かに見た。すると彼の「目から、うろこのようなものが落ち」た。回心したパウロのように。ある一時期の太宰の姿、とはつまり、キリストを見る前の、ある一時期を指すのではないか。太宰はキリストを見る前の自分を「盲人」にたとえたのではないか。――んにゃわきゃ、ないか。
・「面白い」
個人的に太宰の真骨頂は、中期に書いた短編、中篇のあると思う。というわけで新潮からでている一連の文庫の中では本書が一番のおすすめです。面白いです。
・「ああ、馬鹿な男」
「人間失格」「斜陽」「走れメロス」などと比べると知名度は劣りますが、これは面白いと思います。『新釈諸国噺』は西鶴から題材を借りた短編集で、太宰らしい現代語調と自意識、ユーモアによって丁寧に新訳されています。太宰らしさが感じられない作品もありますが、もととなる時代の雰囲気に、太宰の言葉がひょっこりと顔を出すと妙に可笑しくなりました。 『お伽草紙』は特にお薦めです。カチカチ山や瘤取り爺さんなどの昔話を独特の想像力で広げて、人間の有り様をユーモラスに書き出しています。どの話もまとめ方が絶妙に上手いので、教科書の『走れメロス』で止まっている方や、『人間失格』で暗いから嫌だと敬遠されている方もカチカチ山だけでも読んでみてください。ああ、狸が憐れだ。いくらなんでもあんまりだ、となりますから。
・「鼻にかけない人。」
原作を何回か読んだことがあるので、読もうか迷ったが読んで良かった。
絵にすると太宰の不安が強烈に浮かび上がってきてどれだけ生きるのが辛かったのかが伝わった。原作では太宰の自虐的な面がどこか面白みがあって、深刻さよりそっちに気を取られていた。こういう生き方はしたくないが人間失格のうちに入らないのに、自分のことを人間失格とするあたりにひきつけられる。
・「人間不合格」
昔、私は姉から、「お前は人間不合格だ」と言われた事がありますが、それはさておき、この作品は、読者の好き嫌いがかなり激しい作品であろうと思います。こう、人間のドロドロした部分を抉り出していて、自分の醜い姿を晒されたような錯覚を覚えましたよ。ただ一つ。私は絶対にこの物語の主人公のような人生は歩みたくないですね。
・「いいですね。」
文学が高度に芸術的になるためには、人間の負の部分をえぐりだしてゆくものなのかなと思う。 向上心もなく流されて怠惰に生きている主人公は、象徴的には魚座的な性格の負の面といってもいいだろう。誰にも存在している原初的で幼児的で退行的な心理が描かれる。 主人公の住む世界は狭い、視野が狭い。視野を広げてあげたいなんて、母性本能をくすぐられるかもしれない。 ところで当時の社会には階層というものが明確にあり、作品の背景にも存在しているのがわかった。 今日、日本は高度経済成長を実現、石油ショツクも戦時的計画経済体制で乗り切り、無階層社会へ突っ込んで、受験競争は激しくとも社会はやっと落ち着いたところであったが、新自由主義によって格差を意図的に再生されたわけだ。そうしてみると作品の見方は本当に客観的になるものである。 こうして漫画として、読んでみて、高度な文学とは酷く暗いものだ確認できて非常に感謝している。
・「『人間失格』は漫画向きだった!」
この漫画は非常によく出来ていると思います。そもそも原作がビジュアル表現に向いた内容だったということに気づきました。漫画での見せ方が実に効果的です。
そもそも小説って、本質だけを端折っていくと、実は数ページで足りるはず。いや、極端なことを言えば1行でも足りるものもあるだろうから、この漫画の適度な圧縮の仕方は素晴らしいの一言。
もちろんこれでは原作の全てを味わえるべくもありませんが、一方でむしろ文字だけを読むよりも得られる感想もあることでしょう。
名作が一時間もかからず読みきれるので、とてもありがたいですね。
・「原作は読めませんでしたが、本書では完読しました」
昔からずーと気になっていました。しかし、原作は私には難しく、2回トライしましたが読み切ることなく終わってしまいました。本作品は、とても良くできています。個人的に絵のタッチも大好きです。
内容は、大筋でいうと「嫌と言えない自分が嫌で、世間が怖くなり、それから逃げるために酒と女におぼれていく」物語です。
読んだ後、しばらく考えさせられる作品でした。
・「津軽にて酒三昧」
太宰の生まれ故郷は津軽・金木。昭和13年に、太宰が故郷の津軽半島を、3週間かけて旅した際の紀行的小説。その内容は、表面的なものではなく、太宰独特の細やかな人情の機微にも富んでいます。また、太宰自身の考えや内面が、細緻に描かれています。
・「朗らかな愛郷土心。」
太宰さんの私小説の中で最も仄々としている良作がこの本である。
作者自身が津軽半島を巡り歩いた経験を元に書いた紀行文風の小説であるが、物語の随所で津軽の文化・歴史・風土がユーモアを込めて紹介されており、とても微笑ましい。
作者の津軽に寄せる思いは、素直な愛着に微量のコンプレックスを足したものだと思う。このコンプレックスが物語に若干の苦味を醸してくれて心地良い。
ちなみに現在の津軽半島は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BD%93%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E5%9B%B3_02307.svghttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BD%93%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E5%9B%B3_02387.svghttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BD%93%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E5%9B%B3_02205.svgとなっている。太宰の同胞たる津軽人の性が垣間見える例である。
・「太宰治入門」
旅行雑誌を毎月講読していると、津軽地方の記事のなかでこの作品が時々登場する。最近でも、岩木山の描写のところで、この作品が紹介されていた。そこで、生まれて初めて本書を手にとってみた。
旅好きの私の期待に違わず、津軽半島を中心とした風土、歴史などがみごとに描写されている。そして、そこには主人公が久しぶりに帰郷して懐かしい人たちと心触れ合う温かい雰囲気が常に漂っている。ラストの再会シーンには特に感動した。
これからもこの作者のいろんな作品を、短編長編問わず、読んでいきたいと思った。
・「「津軽」から「富嶽百景」へ――逆行して、見えてきたもの」
本当の気品、てのは、むさい岩に、可憐な花一輪、これなんだ。 だいたい、そんなせりふが、「津軽」には出てくる。あれ、と思う。このせりふ、何かを思い起こさせはしないか。 富士には、月見草がよく似合う。 これである。<むさい岩>と<富士>、<可憐な花一輪>と<月見草>が、それぞれ照応しているのである。 太宰が生きた時代は、男性的なるものが隆盛を極めていたのではないか。その時代を、自分がものした文芸によって、母性の時代へと変容させたい、「富嶽百景」には、太宰のそんな祈りが込められているのではないか。 吉田和明氏は「太宰治はミステリアス」のなかで、言っている。〈富士〉=〈世間〉を修飾するものとして、〈月見草〉が登場している、と。そのうえで、<月見草>は石原美知子さんを象徴しているのではないか、と解釈なさっている。また、小説の最後近くに登場する女性二人は、<罌粟(けし)の花>にたとえられている。どうやら、「富嶽百景」において、植物は、女性を表象するものとして登場しているらしいのである。もし、私の見方が正しければ、小説の最後で<酸漿(ほおずき)に似て>いた、という<富士>は、女性なるもの、あるいは、母なるものを象徴しているのではないか。とすれば、〈どてら姿に、ふところ手して傲然(がうぜん)とかまへてゐる大親分〉と形容された(極めて男性的な)〈富士〉が、母性的なものへと変容した、と言える。この変化のきっかけは、なんだったのか。〈月見草〉である。 <おや、月見草>とつぶやいた老婆が、主人公「私」の老母に似ていた、という記述を軽視したくない(このことは、吉田和明氏「太宰治はミステリアス」のレビューに書いたので、ここでは省略する)。<月見草>が、<金剛力草>と形容される事実も見逃したくない。<金剛>という単語に注目しよう。別の場面で「私」が、<金剛石も磨かずば、といふ唱歌を、繰り返し繰り返し歌>う場面がある。<金剛石>とはダイヤモンドのことである。ダイヤモンドは、宝玉である。 誰も見ていない事実だって、この世の中にはあるのだ。そうして、そのような事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ。それをこそ書きたい、というのが作者の生甲斐になっている。 太宰はそんな文章を書いている。「惜別」執筆の頃、「津軽」執筆の頃とほぼ同時期にである。「富嶽百景」執筆の頃、すでに太宰は自分の生甲斐を見出していたのかもしれない。 誰もが目にし、耳にもするような事実、それを太宰は<富士>や<むさい岩>に、<誰も見ていない事実>――つまりは、文芸――を、<月見草>や<可憐な花一輪>に、たとえたのではないのか(なお、「富嶽百景」の本文引用は、青空文庫によった)。
・「太宰色の紀行文」
他のレビューにもある様に、太宰治にとっての故郷「津軽」、西海岸での「たけ」との出会いが今作品のメインだと思います。これらの内容は、最後に書かれている「解説」を読めば、十分に理解できますので、太宰治を全く知らない人でも問題ありません。 でも、私が注目したのは、この紀行文の独特さ!!地理上の内容、名所の感想なんかすっとばして、ひたすらに旧友とのどんちゃん騒ぎばかりが続く!! 僕は、風景の描写がだらだらと続く本が苦手なのですが、太宰にそういった風景描写は、紀行文なのに全く見当たらない(笑)本州の北の最果てまで行って、そこの感想が「鶏小屋」。
名所の風景を見て、檻の中の野獣みたいで人間の匂いがすると言い、自然に触れて、ただおそろしいと言う。こんな、素直な感想の中に、太宰の色が溢れていて、そして実際に旅行に行ったときは、やっぱり絶景なんかよりも旅先の人と過ごした日々が中心にあり、でも、そんな関係の中でふっと「津軽」が見えてくる。そういうものだと思いました。 ゆえに、紀行ものや旅行が好きな人にも、お勧めです。こんな記録の仕方もあったんだって、格好つけてた自分に気づかされると思います。
・「綺麗なダザイは好きですか?」
斜陽や人間失格など晩年の作品が脚光を浴びたせいで「太宰=暗い」というイメージが形成されてしまったのは仕方ないと言えば仕方ないのですが、じつは彼は非常に多彩なテーマと文章形式で作品を書き分けられる屈指の技巧派作家でありました(そのぶん自分だけのスタイルというものが安定していなかったとも言えます)。
で、そんな彼のいくつもの側面のひとつ、「明るい太宰」の代表的な作品がこちら「正義と微笑」と「パンドラの匣」。女生徒や津軽も良いですが、私は俄然この2作品が好きです。書簡体の小説はえてしてクセがあるものですが、これらに限っては普通の物語と同じように気持ちよく読める。やぱり太宰は天才だなと思わされます。
夢を追う少年の揺れ動く情緒と葛藤、潔癖な幻想や蒼い苦悩を描きだす極上の青春小説「正義と微笑」。誤解を恐れずに言えば、太宰文学最高にポップでハートフルな清純ラブコメ「パンドラの匣」。どちらも遜色なく素晴らしい。ヴィヨンの妻、斜陽、人間失格あたりで太宰を知ったあなたに是非とも手にとってほしい、青春と希望の太宰文学。もちろん、鋭敏な感性を抱える思春期の少年少女にもお勧め。
・「若者の心を見事に捉えた作品」
太宰治にこんな「青春小説」があったのは意外でしたが、それ以上にその素晴らしさに圧倒されました。
その中でも個人的には、「正義と微笑」が気に入りました。 自分の行く先を決めかねて懊悩しながらも、役者としての道を見つけ突き進む若者の姿に感動さえしました。 主人公は盛んに自分のことを卑下していますが、とんでもない、現代の若者たちよりもずっとしっかりしていると思います。 常に考えているからこそ、その先の「光」が見えてくるのだと思います。 是非とも、今の若い人たちに読んで欲しい作品です。
表題作の「パンドラの匣」は、「正義と微笑」が日記形式で書かれた小説であるのに対し、こちらは書簡形式の小説になっています。 この書簡形式であるが故に、文章は主人公の主観によるものになりますが、作者はそれを上手く利用しています。 二人の看護師の間で揺れる主人公の本心が、ラストになってようやく明かされます。 主人公の二人への想いがどんなものかを、見事に隠し通しています。 と同時に、思春期の青年の異性への思いや態度が、実に見事に描かれており、納得の一編です。
二編とも見事に若者の心を捉えており、しかも書かれた時代を考えると、信じられない思いです。 太宰にこんな作品があったのを今まで知らなかったのが、非常に残念です。
・「黒田先生の言葉から見る先生と弟子(イエスとその弟子と)」
遠藤周作さんは『イエスの生涯』のなかで、自分を十字架につけた人たちは、愛し方を知らなかった、彼らをお許しください、と神に訴えるイエスを描いている。また、奇跡が行えず、「無力」で役に立たない、それゆえに「愛」にあふれたイエスを描いている。これらのことと、この本に収められている「正義と微笑」に出てくる黒田先生の発言とは通じているように私には思われる。黒田先生は、教え子の元を離れるにあたって、こんなことを言う。 生活に直接役に立たない勉強こそ、その人の人格を作る。勉強なんてものは、覚えてすぐ忘れてしまってもいいものなんだ。大事なのは、カルチベートされる、ということなんだ。カルチベートされる、というのはつまり、愛する、ということを知ることだ。まことにカルチベートされた人間になれ! 好き嫌いをせずに勉強すること。それは、キリストの教えの一つ、敵を愛せ、にも通じているような気がする。「愛」は直接役には立たず、それゆえに尊い。遠藤周作さんが太宰の作品に触発されたのか、あるいは、偶然にも両者は「愛」の観念を同じくしたのだろうか。 黒田先生と教え子との別れにせよ、「佳日」の「恩師」とその教え子とにせよ、「風の便り」での手紙のやり取りにせよ、藤野先生と「周さん」との別れにせよ(「惜別」)、……太宰の意識の下には、いつもイエスとその弟子とが沈んでいたのではあるまいか。 また、とんちんかんなことを書いてしまいました。失礼しました。
・「お気に入りのひとつです」
主人公の20歳の青年は自称「新しい男」である。その青年から、ある詩人の親友に宛てた手紙の内容ということで物語は進む。結核治療のサナトリウムならず、「道場」において、新しい男に生まれ変わった主人公が様々な人と出会い、心揺れ動いて成長する様をユーモラスに描いてある。もっと彼の今後を見てみたいものだが、手紙は唐突に終わる。しかし、その先は明るい日を目指す蔓にたとえて締めくくられている。
周りがいうところの「トンチンカン」な主人公はまぁ今で言うところの「天然」といったところでしょうか。(その反面、本人は、新しくなったと言ってはいるが、まだ多少ニヒリスト気取りの部分もある)その天然のもつ明るさが、人間模様に深く影響していくのがとてもコミカルで楽しい。
太宰の作品であるということを忘れ、ゆったりと読んでしまう。でも、これも太宰であるとやっぱり思ってしまう、そんな作品じゃないでしょうか。
・「清々しい青春の風音」
本書には「正義と微笑」と表題作「パンドラの匣」が収められていますが、どちらも、とても清々しく感じました。
まるで青春のお手本のような作品です。
やはり「人間失格」が、私の中で太宰のイメージを決定づけていましたが、こういった作品も書けるのだなと、新しい太宰を発見したような気持ちになりました。
文豪・太宰治の文章は、とても言葉で言い尽くせないほど、レベルが高くて、この文章に触れられることに喜びをおぼえました。
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