・三浦綾子
・三浦清宏
・三浦哲郎
・三木卓
・三島由紀夫
・三田誠広
・光岡明
・水上勉
・皆川博子
・宮尾登美子
・宮沢賢治
・宮城谷昌光
・宮原昭夫
・宮部みゆき
・宮本輝
・三好京三
・三好徹
・その他
名もなき毒 (カッパ・ノベルス) (詳細)
宮部みゆき(著)
「深い・・・・」
「ミステリーの最高峰」「合わなかった」「ん?」「噂ほどでは。」「天才」
金閣寺 (新潮文庫) (詳細)
三島 由紀夫(著)
「狂気の物語」「読み辛く、体力の必要な「歴史的名著」」「A masterpiece by Mishima」「語りえぬもの」「認識と行動の文学」
塩狩峠 (新潮文庫) (詳細)
三浦 綾子(著)
「忘れることの出来ない一冊に!」「塩狩峠に行ってみたくなりました」「是非お勧めします」「信仰と出会い真摯に実践した青年の生涯」「「正しい人間など一人もいない」という意味」
ふたりはともだち (ミセスこどもの本) (詳細)
アーノルド・ローベル(著), 三木 卓(翻訳)
「心にジーンときました」「こころ暖まる」「子供に読ませたい」「エキセントリックなユーモアが気に掛かる」「ほのぼの」
「最後までイライラ」「ファンタジーになっていない」「期待していただけに…」「物語としては出来上がりであるが・・・」「宮部みゆきの物語観、世界観に触れる」
「素敵な宮部作品」「作者はファンタジーには向いていませんね」「序盤は我慢…」「ロードオブザリング?」「感情移入しづらい冒険小説」
ゲームの理論と経済行動〈1〉 (ちくま学芸文庫) (詳細)
J.フォン ノイマン(著), O. モルゲンシュテルン(著), John Von Neumann(原著), Oskar Morgenstern(原著), 銀林 浩(翻訳), 橋本 和美(翻訳), 宮本 敏雄(翻訳), 阿部 修一(翻訳)
「古典の復刊」「バイブル復活」「待望の文庫化」
春の雪 (新潮文庫―豊饒の海) (詳細)
三島 由紀夫(著)
「ストーカーの原型か?」「日本文学の美しい頂の一つで。」「日本文学における一つの頂点」「「源氏以来の作品」」「読み終えたくなかったが、読み終えると早く次が読みたくなる作品」
新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫) (詳細)
宮沢 賢治(著)
「星に願いを」「宮沢賢治の世界」「子供の頃、見上げた夜空の郷愁」「真っ透明な世界」「美しい・・・」
・「深い・・・・」
夕方購入し、一気に読んでしまいました。物語自体の展開は途中から少し間延びした感じがありましたが、本書が取り上げている人間の「毒」というテーマが読後胸に迫ってきます。僕の中にある「毒」はなんなのか?と、深遠な気持ちになりました。ミステリーとしての完成度が最高とは思いませんでしたが、人によっては自分の内面と向き合う機会を持てる、良い本だと思います。
・「ミステリーの最高峰」
ストーリーは,休職中の刑事に,失踪した婚約者の捜索を親戚が依頼するところから始まる.この失踪の謎を解くカギは,クレジットカードによる自己破産であった.
自己破産は,バブル時代に一時期社会問題化していたが,破産当事者やその家族がどんなに惨めな生活を送らなければならないかは,あまり多くを語られてこなかった.著者はその点に着目し,自己破産者に一筋の光明を与えている.
ミステリーの仕掛けは,非常に巧妙で,ページを繰る手が止まらないぐらいに入り込んだ.本書は山本周五郎賞を獲得した作品にふさわしく,さすが宮部みゆきと唸らせる作品となっている.宮部ファンでなくても,一読の価値があると思われる.
・「合わなかった」
本嫌いでしたが最近、東野圭吾の作品で本にハマった者です。今回読んだ宮部みゆきさんの火車は、無駄に長く、テンポがなく感じました。話がそれるのはいいんですが、逸れ方が楽しめない。比喩のセンスもあまり好みではありませんでした。『そば屋のレジでフランス料理のフルコース並みの代金を請求されたような顔』何度も読み続けようとしましたが、途中で本を閉じてしまいました。
過去20年間で第一位の作品らしいので、すごい作品なんでしょうけど。
・「ん?」
なんでこの作品が絶賛されてるかよく分からなかったというよりは、この作家があまり好きじゃないんだと思った。宮部みゆき原作の映画を今まで二作品見たことはあったが、初めて本を読んだ。やっぱり合わなかった。ごく稀に表現・描写に不快感を覚える。痛々しい感じで読めない分けではない。でもそのことが続きを読む気を抑え、萎えさせる。だがこの本が絶賛されているということは社会一般には受け入れられる表現・描写なんだと思う。ただ読書は趣味だ、絶対的評価ではない社会的評価がどうであろうとも自分の評価は2だ。
・「噂ほどでは。」
家族の借金地獄に巻き込まれた主人公を軸とする内容ですが噂程は衝撃的でもなく恐ろしくもなかったし期待していた分ちょっと残念だった気もしますが、読後感もよく、一度読み始めると一気に読まずにはいられない、次を予測させない面白さがありました。サラ金等で自転車操業をする若者等に『読め』と言う方も多いですが、これはまた違う話ですね。
・「天才」
凄すぎる。 世界にもこの作品のファンいます。でも無冠の作品で直木賞の選考委員の一部からは酷評でしたが井上やすし氏など偉大な方々は傑作であると評価しています。酷評された方々は時代に淘汰されました。 この本の良さが分からん人は読解力不足だろうとしか思えない
・「狂気の物語」
言わずと知れた、三島由紀夫の代表作。
吃音に苦しむ不幸な見習い僧が、 金閣寺を焼き払ったという実話に基づいた物語。
見習い僧の心理を著者が読み解くわけですが、 文章からある種の狂気を感じます。
まあ、国宝・金閣寺を放火した人を題材としているし、 三島由紀夫も割腹自殺をするような人だから、 無理もないと思います。
難解な語彙が山のように出てくるので、 辞書がないと読めません。 日本語にはこんな表現の仕方があったのか、と感服します。
・「読み辛く、体力の必要な「歴史的名著」」
良くも悪くも、50年前の物語なのだ。
主人公の感覚は、もはや手が届かない(現代だったらキチガイの一言で片づけられていただろう)。巧みに言葉を繰っているが、その7割は自慰行為的に付け加えられた、不必要な贅肉だと感じたのは僕だけだろうか。 4ヶ所だけ、矢のように刺される箇所があっただけに、とりわけ残念であった。
美しい文章と、読み辛い文章は、紙一重なのか?
・「A masterpiece by Mishima」
I read this book when I was 17 years old. This book gave me quite a shock.
This is a story about a handicapped young Buddhist who set fire to the temple of the golden pavilion - a beautifully constructed 5-story temple in Kyoto. Yukio Mishima gave me strong influence in literature and aesthetics. His novels have superb sense of aesthetics and thus got translated to English and some other languages.
But he is basically an ultra nationalist despite of his deep understanding ofWestern culture. He was a right-wing while I was a left-wing. I never agreed with his political opinions. He was surely a genius in Japanese literature but was stupid in politics.
He then committed suicide after failing to agitate Japan Defense Force on 1970/11/25.
Ironically, he evaded from the draft in 1945 (at the age of 20) using a disease for excuses. So I never regard him as a Man. But I miss his talent.
・「語りえぬもの」
一見、難解に思われがちな本作だが、禅との共通点を指摘されることの多いウィトゲンシュタインの哲学、つまり『世界は語られるものではなく示されるものだ』という真理を通して見るとき、幾分理解しやすくなるのではないかと思う。簡単な例を一つ挙げると、果物屋で「赤いりんごをください」と言われた店員は、赤いりんごを頭の中に思い浮かべて、言葉の意味を解釈しながら行動する必要はなく、そのシチュエーションに従ってほとんど反射的、スムーズに行動するのが普通であり、本来的には、その行動によって初めて規則が世界に示されるのである。「金閣寺」で、その哲学に照応していると思われる箇所は、散々美文を連ねたあとの、実にあっさりとしたラストの文章であろう。主人公は解釈の象徴である金閣寺を焼き払うことによって初めて、「仕事を終えた後の一服」というシチュエーションで、人々がごく一般的に抱くような感慨に到達することができたのである。しかし、ここで注目したいのは、金閣寺の放火という、大それた行為をしなければ、その感覚を抱くことのできない、主人公の「ズレ」である。この「ズレ」が青春特有のものであり、「ズレ」を補正していくことが成長すること、つまりは「老い」だとするならば、三島の自決はその拒絶でもあったといえるだろう。私たちがあくまでも現実世界で生きていくことを望むのであれば、ウィトゲンシュタインの言うように、「最後に全てを理解したとき、昇りきった梯子を捨てなければならない」のである。「金閣寺」が『世界は語られるものではなく示されるものだ』という真理をどれほど的確に“語った”書であったとしても、「世界が語りえない」ものである限り、それは現実世界とは何か別のものを表してしまうのだから。私たち読者は、頭の中の「金閣寺」を焼き払い、ささやかな行為を、少しずつ積み重ねながら、日々を生きていくしかないのである。
・「認識と行動の文学」
『金閣寺』に邂逅したのは中学生の時だった。 晦渋な表現が多かったので、辞書を引きながら時間をかけて読んだのを覚えている。 この作品を読むまで「三島由紀夫」という人物について「凄絶な自裁を行った作家」といった程度の知識しか持っておらず、未知の思想や過激な行動に対する反撥や軽蔑、畏怖の念のようなものを抱いていたが、著書に触れたことにより、先行していた印象が一変したのは言うまでもない。 その瞬間まで、私は書物に圧倒されるという経験をしたことが無かった。実在する事件をモチーフにしたこの作品は、金閣寺を「牢固として存立する美の化身」として偏愛する主人公が、金閣に火を放つまでの心理を巧妙に描出したものである。 物語に登場する「柏木」と「鶴川」は、吃音のコンプレックスに苦悩する主人公という存在を浮き彫りにする上で効果的な役割を果たしている。 主人公の唯一の理解者である柏木は、内翻足というコンプレックスを抱えていたが、認識を改めることにより克服している。 一方、鶴川は性根の優しい美少年で、コンプレックスとは隔絶された存在である。 つまり、この二人は、劣等感に気を病む主人公の対極に措置された存在であり、主人公と対をなす彼らとの関係性に着目しながら読めば面白いだろう。『金閣寺』は、三島文学の精髄である「認識と行動」というテーマを最も端的に表現した作品であるように思う。 なぜなら、柏木は「認識」の象徴であり、主人公は「行動」の象徴に他ならないからだ。 「世界を変貌させるのは行為しかない」という主人公の信条通り、作品の著者である三島由紀夫も、認識(=作家)ではなく、行動(=武士)による帰結を体現したのだ。 果たして、それが「純粋日本原理の模索」や「葉隠への傾倒」であったなどと云えようか。ニヒリズムの拡張ではなかっただろうか。
・「忘れることの出来ない一冊に!」
私はキリスト教の信者ではありませんが、この本には心を揺すぶられました。ましてや、この物語が実際にいた人物の行為や心情を書かれていることについて、驚きを感じざるを得ませんでした。もちろん、小説ですから作者のフィクションや意図が、当然のことながら入っているでしょう。それを差し引いても、十分に読者に考えさせ、感動を与えてくれるでしょう。
物語は、明治42年2月28日に、塩狩峠で起きた鉄道事故で、主人公が「犠牲」を払って乗客を救うに至るまでの、生い立ちやその成長の過程における心の動きを綴っています。
脱線転覆しそうな列車を止めるために線路に身を投げ出すと言う、「命」を賭しての「犠牲」の精神はどうして培われたのか?それを知ることは、読む者が「生きる」と言うことを改めて考えさせられることです。更には、「愛」とは何なのかについて考えさせられることです。
作りものでない迫力が、主人公の「生きる」ことに対する真摯な態度と共に、ひしひしと胸に迫ります。
忘れられない一冊になりました。
・「塩狩峠に行ってみたくなりました」
この小説を読んで、久しぶりに小説は面白いものだと感じました。
東京で繰り広げられる過ちと迷いと、北海道で繰り広げられる信仰深さと美しさが対照的で素敵だと思いました。
軽薄短小な近頃におすすめの一冊です。
・「是非お勧めします」
もう20年も前に何気なく買って読んだ本ですが,とても大きな影響を受けました。あえて何も書きません。すばらしい本です。
・「信仰と出会い真摯に実践した青年の生涯」
本作は、明治時代にあって旧弊の中で生まれ育った少年が、かけがいのない出会いや別れ、青年期の葛藤を通じて信仰と出会い、大人になってからキリスト教徒として生きることを決意し、そして信仰と実践を繰り返す果てに世俗的な幸せを超越して行動する…、その人生の軌跡を、実在した人物(あとがき参照)をモデルに描いたものです。
本作は元々キリスト教徒向けの雑誌に連載されていたものであり、永野信夫青年の生涯は、イエス・キリストの生涯と重ねて描写されているように思います。事実、作者によれば本作のテーマは「犠牲」、それもイエス・キリストが全人類の罪を背負って十字架刑を甘受するという、キリスト教の根本的な部分にかかわるものです。
しかし、そのようなキリスト教色が強いにもかかわらず、本書が多くの方に受け入れられるのは、たとえキリスト教が媒介するにせよ、永野青年が真摯に内省して成長していく姿に感銘を受けるからでしょう。そして、本書のクライマックスは唐突に訪れますが、すでに永野青年の成長と内省の過程で、当然に予期されていたものです。
まだまだふらついた人生を送る自分も、いつか彼のような澄んだ境地に至りたいものだと思えました。そのためには、まだまだ出会いや自省の時間が大量に必要でしょうが…。
・「「正しい人間など一人もいない」という意味」
あとがきの解説において、本書のモデルとなった長野氏の人柄について語る知人の手紙が引用されています。その手紙の最後で「(前略)長野氏がかつて人を非難し批評したことを私は知りません」とあります。本当にこんな人がいるのでしょうか。本当だったらとてつもないことだと思いました。正しく生きろ、と言われるよりもこちらのほうが100倍難しく思えます(すぐに人を否定したくなる俗物の私には絶対無理です)。
しかし主人公信夫にも確かにそうした長野氏に通じた態度があります。もちろん心の中では他人との関係において悩み、恨みやねたみや自己嫌悪等のジレンマを抱えています。彼は正しくありたいと思い何が正しいのかを常に考え抜いて行動しているに過ぎません。思考停止した絶対的正しさを拠り所にして突き進んでいるわけではありません。だから結果的に信夫の口からは他人を安易に否定する言葉が出てこないのだと思います。逆に言えば他人を批判するのはその人が「自分は正しい」のだと思っていればこそで、一歩間違えば単なる傲慢に繋がりかねません。 なぜ傲慢かと言えば本書に出てくる言葉、「義人なし、一人だになし」だからということに尽きると思います。
「正しい人間などこの世にいない」という前提があるからこそ(答えがないからこそ)何が正しいのかと悩み考え努力し続けることをやめず、そしてその困難さを知っているからこそ、ついつい自分の欲や弱さに負けてしまう人の気持ちも理解でき、許す気持ちも持てるのだと思います。だからこそ信夫の行いは「結果」に過ぎず、行い自体が尊いとは思っても「正しい」「そうあるべきだ」などとは私は全く思いません。我が身かわいさと恐怖から、信夫のように人のために命を投げ出せなかった「結果」を自分で責め恥じた人がいたとしても、その前提となる「正しくありたい(のに出来なかった)」という気持ちの存在もまた尊いものに思われます。絶対視された「正しさ」を自分のモノサシとして「正しく生きる」だけなら何も難しくはありません。 本書は、絶対的正しさなどないと自覚してこその「正しくありたい」と願い生きることの困難さゆえの尊さを示してくれています。
・「心にジーンときました」
快読100万語!ペーパーバックへの道 (ちくま学芸文庫)の中で、初級レベルの代表として紹介されていたので読んだ本。気楽に読んでみたのですが、その内容の衝撃を受けました。これぞ友情という感動的なストーリです。
・「こころ暖まる」
年長の息子に読んであげるも、不覚にも自分が感動してしまった絵本。二匹の仲良しなカエルがまごころとやさしさを彼らの生活を通してゆっくりとした歩調で物語る。子供にあった一話の長さやユーモアを交えた工夫など、ストーリのみならず著者のやさしさを感じる。
将来息子が幼少期に読んだことがある絵本として記憶してもらえたら何より。
・「子供に読ませたい」
このシリーズは大好きです。とても心温まるし、どこか懐かしい気持ちがします。
・「エキセントリックなユーモアが気に掛かる」
ややグロテスクと云えなくもない絵柄だが、小学二年生の教科書に名作「おてがみ」が採録されていたため、それを含んだ短編集である本書を手に取ってみた。
「おてがみ」ほどしみじみとくる短編はなかったがちょっとエキセントリックなユーモアが読後、とても気に掛かってしまう。
・「ほのぼの」
最初はとっつきにくい絵だなーと思ったのですが、物語を読み進めていくうちに味わいのあるやさしい絵だと感じるようになりました。
pureな気持ちになれるシリーズだと思います。大人の絵本としてもどうぞ!
・「最後までイライラ」
上巻のレビューが皆さんベタ褒めだったので買ったのですが、正直この本は読んでて辛かった。
主人公のユリコの成長物語と言いながら、最初から最後まで、すぐ癇癪起こすわ、泣くは、グズるはとその言動にイライラしっぱなし。そのくせ、都合の良い時だけ異様に理解力が良くなり、妙に大人な対応をしたりする。
残念ながら、私には不快感ばかりが残る読書となりました。
・「ファンタジーになっていない」
はっきり言って内容は、ファンタジーになっていませんね。
只、闇雲に主人公の葛藤を文字にしているだけで、物語になっていないです。
『辻村深月』の作品の様なダラダラと、面倒臭い強引な内容でした。
『ICO』『ブレイブ・ストーリー』『ドリーム・バスター』と読んできましたが、宮部女史はファンタジーには向いていませんね、やはりミステリを書くべきですね。続編が無い事を鑑みると、『ドリーム・バスター』も行き詰まったのでしょう。
現在では、無理矢理ライトノベルにジャンル付けされてしまっていますが、十数年前からファンタジーをかかれている幻想小説家さん達を、見習う巾ですね。
・「期待していただけに…」
主人公・ユーリが小学生というのは、どうにも無理過ぎました。オルキャストは、子供でなくてはならない。兄が中学生だから、彼女は小学生にしなくてはならなかったとしても、やっぱり小学生じゃないですよね…。作品の序章が長すぎて、なかなか物語に入っていけない。世界観を描くためにページを使い過ぎたのでは…?新聞の連載だったせいか、全体の配分が悪かったように感じます。最初にページを割き過ぎた割に、尻つぼみに終わってしまったような…。ブレイブ・ストーリーでも感じたのですが、物語の山の一つでもある戦闘シーンの描写が宮部さんは、あまりお上手じゃないかも…。
兄を追いやった中学生たちや、先生達に対する憤りは伝わるのですが、結局、犯してしまった罪が重すぎて救いがなかった。ご自身が紡ぐ人である宮部さん、ファンは期待しております。期待していただけに、ちょっと中途半端でザンネンでした。
・「物語としては出来上がりであるが・・・」
物語としては出来上がったようですが、ハッピーエンドではないので、読み終えた今はかなり複雑な気持ちです。展開がすばやく進む部分もあるので、もう少し膨らませて3冊くらいにした方が、個人的には良かったです、ハッピーエンドを含めて。 宮部氏の著作のラストシーンはこんなパターンが多いような気がします。後味の悪い方が印象に残るということなのでしょうか?
・「宮部みゆきの物語観、世界観に触れる」
物語が映像として頭にどんどん描かれていくので、まるて映画を観ているかの様。
作者のゲーム好きが現われているせいなのか、本書を読んでいる最中、過去に親しんだゲームのBGMが脳内を駆け回ったりもしました。
ストーリーの本流は、少女が行方不明の兄を探すために異世界を旅する、というもの。 ファンタジー小説です。 その旅の最中で仲間と出会い、困難のぶつかり、希望と絶望を体験する。そうして少女は一つの成長をする。
ファンタジーの要素がこれでもか、というくらいふんだんに盛り込まれています。
少年を主人公にしたブレイブストーリ−と似た路線をたどりながら、少女を主人公に配したことにより、まったく別のストーリーが成立しています。
小説版ブレイブストーリ−ほど、主人公が絶望的な体験をするわけではないので、 割合と明るい気持ちを保ったまま、一気読みができます。
15歳前後の主人公を描くのが多かった宮部みゆきが、15歳前後の兄をもった小学生の少女を主人公にしたという意味でも、新鮮な一冊。
宮部みゆきの世界観、物語感を垣間見ることもできます。
・「素敵な宮部作品」
久々に読んだ宮部作品。レビューはあまり良くないようですが、面白かったです。最近、他の著者による、子供が主人公のミステリーを読みまして…。そちらの読後感が重かったのに比べ、爽やかな気持ちで読み終わることができました。
・「作者はファンタジーには向いていませんね」
完全に『ブレイブ・ストーリー』の作品構成と一緒、読む気がある方は文庫待ちした方が、懸命です。
・「序盤は我慢…」
ファンタジーが好きで購入しました。表紙のイメージでダークな感じを受けたのですが 私の好みの冒険もので 楽しめました。
器 輪 領域 という定義を理解できるのに少し時間がかかりますが 読み進めていく内に いつのまにか理解できています! 理解させるために 序章的な内容がかなり長くなっている気はしますが…
それでも 続きが気になり一気読みしてしまうような魅力! 続編がありそうな終わり方なので 期待ですね!
・「ロードオブザリング?」
宮部みゆきは「私の好きな作家ベスト10」からはずれたことのない作家です。今まで彼女の作品を途中で投げ出したことはなかったのですが、これがその初めての本となりました。 「ロード・オブ・ザ・リング」と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を足して2で割ってぬるま湯で10倍くらいに薄めた感じです。残念っ!
・「感情移入しづらい冒険小説」
宮部みゆきの新作。著者の作品は必ず読んでいますが、著者の構築する世界観の緻密さには、いつも感心させられます。
主人公は小5の少女、兄を助ける為に冒険に旅立ちます。ストーリーがどんどん展開し、楽しく読み進んでいけるエンターテイメント小説となっています。イメージがどんどん広がる細かな記述もあいかわらず。加えて、本著では、著者が愛する”物語”に対する敬意、愛情が心地良いです。
但し、主人公にはなんとなく感情移入ができず。自分とは年が離れ過ぎているからか(『ICO』や『ブレイブ・ストーリー』は大丈夫だったのに)、 あまりに主人公が理性的だからか。。。
個人差があるとは思いますが、僕としては、ちょっとだけ消化不良な感触が残るファンタジーです。
・「古典の復刊」
原著は2年前に刊行60周年という事で記念する版が出た(Theory of Games and Economic Behavior (Commemorative Edition))が、この翻訳は、東京図書から1972-73年に掛けて翻訳された物の文庫のようだ。原著60周年版にはHarold Kuhnの前書きとAriel Rubinsteinの後書きなどが含まれている。そういう意味では、この文庫版は残念。ただ文庫版解説というのが、第3巻目につくようなので、それを見ない事には判断できない。文庫1巻目を見ると、誤植などは訂正されていると思うが、追加や訳注は無いようだ。用語も、最近使われている物とは違うような気がする(「零和」は「ゼロ和」になっているが「ゼロサム」としてない)。とは言うものの、文庫で読めるというのありがたい。
・「バイブル復活」
後の経済学に絶大な影響を及ぼした本書は、人間行動を数学的に記述することを試みています。著者らは、今まで経済学において数学が適用されてこなかったのは、経済学の問題が定式化されてこなかったことと、経済における経験的事実(すなわちデータのことでしょうか)がきわめて限られていたことにあると説きます。フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンは、物理や化学など、数学がいまや主要な分析道具になった分野においてさえも、事象を数学的に記述することは不可能だ言われた時期があったのであり、人間行動においてはそれが不可能であるということはできないと主張します。著者らはまた、物理学における数学の適用過程に微積分が生まれたように、新たな分野に数学を適用する際には、数学そのものも進歩するのだと述べています。
そんな人間行動を数学的に記述する書と聞くと、壮大で大上段から事物を論ずるような本を想像しがちですが、著者らは、分析は地味で控え目なものと述べています。しかし同時に、分析の対象が地味であることは、その研究の価値が低いことを決して意味しないと著者らは説きます。次の文章には、一度ならず繰り返し読む価値があると思います。
「どのような科学においても偉大な進歩が生ずるのは、究極の目標に比べて控え目な問題を研究してゆく中で、後にますます拡張されてゆくような方法が開発された時期である。自由落下は全くありふれた日常的な物理現象であるが、力学が生みだされたのは、まさに、この実に単純な事実の研究の結果であり、それを天文学のデータと比較考量したおかげであった。」
そして、次の文章は、僕が普段行っている仕事と関連しても、また、研究一般においても、非常に重要な心構えについて述べていると思います。当たり前の事柄を厳密な形で記述することを積み重ねることによって、理論は経験的な「常識」を上回る可能性を有するに到るのですね。
「理論が最初に適用されるのは、結果が自明であって、しかも理論など実は必要としないような初歩的な事柄でなければならない。この初歩的な段階での適用は理論を補強するのに役立つ。つぎの段階は、理論が多少複雑な状況に応用されるにつれて展開されてくる。この段階までくれば、理論はすでに、自明なことや常識的なことをある程度超えた結果を導いてくれる可能性がある。この段階では、理論と応用とは互いに他を補強しあう。この先に真の成功の領域が横たわっている。つまり、理論による正真正銘の予測がそれである。周知のように、数学化されたあらゆる科学は、これら一連の発展段階を通過してきたのである。」
・「待望の文庫化」
さて、ゲーム理論を構築したノイマン、モルゲンシュテルンの原著の翻訳がありましたが、長らく品切れで再版されませんでした。今回、3分冊で文庫化で名著が戻ってきました。既に評価の定まった本だけに多くを語る必要はないと思います。ゲーム理論はここから出発した原典が文庫という形で一般の人向けにも手に取ることが出来るようになり、益々ゲーム理論ならびにノイマンの仕事について考えて見ましょう。筑摩書房の嬉しい企画です。
・「ストーカーの原型か?」
【ネタばれ】
・「日本文学の美しい頂の一つで。」
多くの方々が一つの誤解の上に三島のこの作品もまた評価している。三島の文章は美しい文章かも知れないが、けっして「美しい日本語」ではない。それは過剰な外延のバロック的氾濫であり、醜と紙一重の、危うい均衡の上に構築された、良く言えば巧緻な、悪く言えば大仰な、畸形の日本語なのだ。三島の作品を読んでいて、後頭部に観念の滓が重たく沈殿していくような感覚に襲われるのは、そのせいである。三島が最後に渾身の力を揮って彫琢した、人工の鋭鋒。その純白の峰々から紫の薄雲を透かして、今、我々の前には、どんな眺望が射影してくるのであろうか。願わくば、それが豊穣の海であらんことを!!
・「日本文学における一つの頂点」
これほどにまで美しい日本語に触れた事はありません。読んでいて震えと溜息が止まりませんでした。
今は失われてしまった(三島氏に言わせると戦後の経済発展と共に我々が棄ててしまった)、美しい精神がまだ活きていた頃の四季豊かな日本に触れる事が出来ます。(三島氏の発言については『果たし得てゐない約束−私の中の二十五年』を参照されたし)
何より素晴らしいのが、瞼の裏に鮮やかに浮かびあがる情景描写の圧倒さ!そして手に取るように伝わる清顕や聡子達の心理描写に於ける表現力の巧緻さ!
登場人物の感情は勿論の事、感触、温度、匂いといった五感、更にはその時の心拍数に至るまでが、まるで我が事かのように強烈に伝わって来ます。私は毎回、読後は余りの表現の美しさに当てられてしまい、暫くは酔ったように上気し惚けてしまいます。
日本に生まれ日本語を話せる事を本当に良かったと思える一冊です。まあ、話せるのと理解するのは別の問題なんですが。知らない日本語がバンバン出てくるので国語辞典と首っぴき状態でした・・・
海外でも多くの国で翻訳され愛されている三島作品ですが(翻訳数では特にイタリアなど)、しかし他国語に翻訳すると、この作品が放つ繊細な日本語の美しさが損なわれて表現しきれないのではないか?と思ったりもします。三島作品は日本語でこそ最も輝くのだと!
私は、ドストエフスキーにトルストイ、ヘッセやシェークスピアなどを原文では読めず、訳者のセンスに頼るしかない海外作品に触れる時、少し寂しくなる事があります。「今、読んでいる翻訳された作品は、著者の私生児のような物なのか? 原文(嫡子)を読んでいる人達の受ける感動に、限りなく近付けたとしても決して同列になれないのでは?」という引け目を感じるからです。(訳者の先生方、すみません! 原文が放つ音の美しさなどを知る、知らないは私の学力の問題だと百も承知です。)
しかし、もう寂しくありません!何故なら日本語には三島作品があるのだから。三島作品を一番楽しめるのは我々なのだから。
日本人の文豪は三島由紀夫以外にも居ますが、日本語の表現力にこれほどにまで感動したのは初めての経験でした。おかげで日本語に誇りを持つという、巡らせた事もない考えに目覚めました。当たり前に使用し過ぎていて価値に気付かないでいたんですね。三島先生、有難うございました。
没後40年近くになりますが、私はまだ世間の三島由紀夫への評価は不十分だと思っています。未だに三島事件の印象が強すぎて、戦後の事勿れ主義的欺瞞な平和主義に浸りきった我々日本人には著者への冷静な評価が出来ないでいるのだと。哀しい哉、三島文学は世界の方がよっぽど評価しているのが現状です。
新渡戸稲造の『武士道(Bu-shi-do)』や映画『ラストサムライ』のような逆輸入型自国再評価、再認識の羞恥をあと何回繰り返せば我々日本人は自国を誇れるのでしょうか?先達が遺した自国の文化、芸術ぐらい自国民で評価出来ないでどうするのか!?
他国の評価を窺う事は謙虚でも美徳でもない。自分の産まれた国ぐらい自分達で誇れないでどうしますか?それを傲慢だ!尊大だ!というのは、大きな間違いなのです。今の日本を思う度、三島氏の遺した『憂国』の言葉が私の中で重みを増すのです。
三島文学が50年後、100年後には今よりももっと冷静で正当な更なる評価がされているのを信じて止みません。
偉人を知るには我々はまだ彼の死に近すぎるのだと思います。
・「「源氏以来の作品」」
「源氏以来の作品」、そう川端康成が評した『豊饒の海』四部作の第一部。
きらびやかな意味でのその文章表現の美しさは近現代の文芸作品の中でも他を圧しており、あるいは日本が文字という不可解なものを手にして以来、古今絶無ではあるまいか。いづれにしろ日本文学を愛好する者なら一度は手にとってみなければ話にならない作品で、この第一部は、未だ四部作全体の難解なテーマにあまり頭を煩わされなくても済むうちに読めるので、安心して陶酔できる「わかりやすい」美しさで彩られている。
あらゆる意味での、三島の総決算である『豊穣の海』はまた、多くの意味で日本文学の総決算でもあり、現代日本への大反逆でもある。
日本にはもう本物の日本文学と言うものが生まれないんだ、と言うようなことを晩年の彼はもらしているが、奇しくも彼自身がその日本文学の終止符となってしまった感が否めないことは、現代に生きる者として寂しいことで、読み重ねるごとに陶酔よりも失望を新たにすることが多くなる。
まったく、三島由紀夫はとんでもないものを置いていってしまった。
・「読み終えたくなかったが、読み終えると早く次が読みたくなる作品」
先日、春の雪を読み終わりました。読み進みながら読み終わりたくないという気持ちと、早く読み終えて次を読みたいという思いが私の中で葛藤しました。私は最初に映画のDVDを鑑賞し、その後読み始めましたが、映画以上に美しい作品だと思います。むしろ映画が作品を表現しきれなかったという感さえあります。映画も美しくて素晴らしいものなのですが、原作はそれを超えてます。作品のそこかしこに、次作、或いはその後に繋がるものが隠されていて。それを感じることで次が読みたくなる。しかし、美しい作品が故に、この物語の中にもっと浸かっていたいという感情もこみあげてきました。そして先日読み終わり、いまその余韻の中に私がいます。これから続く清顕の生まれ変わりを読むという何十年というタイムテーブル、時の旅人になった気持ちで奔馬を読もうかなと思います。
・「星に願いを」
『ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸いになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸せなんだろう。』
『けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。』
「…もうこの人のほんとうの幸いになるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして…」
『僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。』
『けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。』
こんなフレーズが度々出てくる。36歳で早世した賢治の終生変わらぬテーマだったのだろう。
皆の幸せに役立つことをしよう、世の中を少しでも良くするために生きたい、とはおそらく幼い頃は一度は考えることだと思うが、これを持続していくことはとても凄いエネルギーが要るはず。恐らく、今の時代はなおさらに…。
「銀河鉄道の夜」以外も「よだかの星」や「セロ弾きのゴーシュ」など佳編が多い。自身の子供が大きくなったら読ませたいと思うが、これはむしろ、大人が読むべき童話、というか寓話集だろうと感じた。
・「宮沢賢治の世界」
私は恥ずかしながら37年間生きてきて始めて宮沢賢治を読みました。今まで宮沢賢治の本を読まなかったのは余りにもメジャー過ぎる事と、宮沢賢治=児童が読む童話というイメージを勝手に植えつけていたためです。実際に銀河鉄道の夜をはじめ本書にある短編を読んで強く感じた事は「宮沢賢治の世界」というものです。宮沢賢治でなければ描く事のできないワールドです。私は本書の各短編に興味を持つというより、宮沢賢治そのものに大変興味を持ちました。どうしたらこのような優しい気持ちになれるのか?このような美しい世界を想像する事が出来るのか?どうしたらすべての生きとし生けるものに対して無条件の愛情を注ぐ事が出来るのか等々。いつの間にか汚い大人になってしまった自分を反省させられる本でした。
・「子供の頃、見上げた夜空の郷愁」
子供には夢を見る才能があって、夢には翼がついていた。空想と夢で、どこまでも瞬時に羽ばたくことができた。そんな時期が終わりを告げる頃は、生きていくことの意味や友人がいても最後は一人で選んで決めて、道をつくっていかなければいけないことを知り始める時期とオーバーラップする。そんな少年期の、刹那の夢と友情が、儚く綺麗です。 そして勿論、銀河鉄道の行路となる光景が、すばらしく美しいです。
・「真っ透明な世界」
月並みな言い方かもしれませんが、底知れぬ美しさと哀しみに涙が止まりませんでした。こんなに胸をまっすぐに通ってきた小説は初めてです。賢治さんのとある詩の一節に、「かなしさは空明から降り」というのがありますが、この小説のジョバンニの哀しみも空明。一点の曇りもない、不純物の一切ないものだと感じました。あまりの幻想美に終始くらくらしっぱなし。活字がこれほど美しく変じる本は初めてです。これからどんなに歳をとっても、鞄の奥にそっといつまでも忍ばせておきたい一冊です。
・「美しい・・・」
目を閉じれば、真っ暗な空間のなかに浮かび上がる、輝き。それは、ピカピカ光ったり、ボヤーっと揺らめいたり、プスプスくすぶったり、ゴオーっと燃えたぎったりする。「銀河鉄道の夜」とはそういう作品だ。目を開いてしまえば、外光でかき消されて見えなくなってしまう、はかない、しかし美しい世界。その中を、列車に乗って突っ切っていくのだ。
言葉でこの作品を評価するのはどうも、宮沢賢治に対する冒涜のような気がして、気が引ける。中原中也が「芸術論覚書」において書いた、宮沢賢治への理解。それは、名辞以前の世界の美しさを信じろ、ということだった。人が何らかの要因を言葉にする、その手前の段階で感じられるもの、それを信じろ、と。
宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」の中に詰め込んだ美しさは、主人公と、その親友が織り成す生命の輝きによってもたらされた。この作品から、必要以上に何かを読み取る必要はない。ただ名辞以前の、言葉になる以前の、感覚。それだけを信じて読み進めていってほしい。
ケータイからは、シンプル・アマゾン通販(モバイル版)をご覧下さい。
シンプル・アマゾン通販は、安心・安全のネットショッピングAmazon.co.jpの商品を紹介しています。
簡単アフィリエイト:あなたのAmazonアソシエイトIDをアドレスの最後に付けるだけで簡単キャッシュバック!(例:2sas.net/?yourid-22)一度IDを付ければ、シンプル・アマゾン通販内の全商品が紹介料の対象になります。アソシエイトIDはこちらから登録可。