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今日われ生きてあり (新潮文庫)今日われ生きてあり (新潮文庫) (詳細)
神坂 次郎(著)

「今日生きている我々が特攻について知る意味とは」「感謝と反省が消えた現在の日本」「決して風化させてはいけない事実」「私たちが忘れてしまっている大切なもの」「これ以上の事があるでしょうか。」


ドキュメント 屠場 (岩波新書)ドキュメント 屠場 (岩波新書) (詳細)
鎌田 慧(著)

「屠場という職場」「いまだに心無い偏見の残る世界」「長い間心に残る本」「知られざる世界」「社会派ルポのずしりとした内容」


縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫)縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫) (詳細)
神坂 次郎(著)

「熱く、茶目っ気を持ち合わせていた人」「巨人の生涯」「すらばしいとしか言えない」「伝説」「熊楠の生涯を概観できる」


サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1) (詳細)
近藤 紘一(著)

「現代の日本での子育てに参考になるのではないかと」「日本人に近いベトナム人」「初めて注目したジャーナリストでした」「妻子への愛 そして 鋭く未来を予測したベトナムへの考察」「世紀を超えて」


サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3))サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3)) (詳細)
近藤 紘一(著)

「国がなくなる瞬間」「近藤紘一の出発点」「「ベトナム戦争」の真実。」「サイゴン最後の二ヶ月」「ベトナム庶民からみたベトナム戦争」


特攻隊員の命の声が聞こえる―戦争、人生、そしてわが祖国 (PHP文庫)特攻隊員の命の声が聞こえる―戦争、人生、そしてわが祖国 (PHP文庫) (詳細)
神坂 次郎(著)

「自分が同じ立場であったとしたら・・・と思いながら読むと・・・」「「今日我生きてあり」と共に」「「今日われ生きてあり」をこれより先に読むべし。」


パリへ行った妻と娘 (文春文庫)パリへ行った妻と娘 (文春文庫) (詳細)
近藤 紘一(著)

「シリーズ第三弾 最終作品」「とっても深い作品」「とにかくおもしろい。」「少しオセンチ」


女が冴えるとき女が冴えるとき (詳細)
桐島 洋子(著)


バンコクの妻と娘 (文春文庫 (269‐2))バンコクの妻と娘 (文春文庫 (269‐2)) (詳細)
近藤 紘一(著)

「赤裸々な記録」「教育関係者にこそ読んで欲しい」「シリーズ第二段 バンコクへ」「自己の依る場」「ちょっとつらい」


私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること (詳細)
パット・ムーア(著), 木村 治美(翻訳)

「決して学術的ではないのだが、示唆に富む、反省させられる本」「復刊させるのに十分な話題書」


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▼クチコミ情報

今日われ生きてあり (新潮文庫)

・「今日生きている我々が特攻について知る意味とは
 本書は、本土最南端の陸軍特攻基地知覧から特攻していった若き特攻隊員について、彼らが残した最後の手紙や関係者の証言から記述したものである。 巻末の解説のように、国のため、愛する家族のため、自らの将来を犠牲にして散華していった若き特攻隊員のことを思い涙し、その一方現代の若者による自己中心的な言動に、暗然とする気持ちにはなれなかった。それよりも、もし自分が特攻隊員と同じ時代に生きていたら、特攻しなければならなかったかもしれないと思うと、今日生きている我々は、より一日一日を、誠実に、一生懸命に、生きるべきだと感じた。 特攻について知る意味について、考えさせられた著作であった。

 

・「感謝と反省が消えた現在の日本
現在の小中学校に道徳の時間があるのかどうかは知らないが、こういった大切な本を読む機会はあって当たり前ではないだろうか。今、日本人の半数くらいからは感謝や反省といった気持ちが完全に消え去った。自分だけが得をすればそれでいいという怪物が増えた。他者への配慮も思いやりもない、「心」がないのである。後に残ったのは奪い合いのなすり合い、足の引っ張り合いだけである。

私は今年の四月、三十半ばにして靖国を訪れた。桜がとても綺麗だった。今日も我々が(一応は)独立国家に住んでご飯を食べられるのは、過去に命を犠牲にしなければならなかった人々のおかげだと思った。当時、人の命を弾代わりにしたお偉いさんの多くは言い逃れをしたのかどうしたのか、戦後ものうのうと生き延びて、家族を持ち、平和に暮らしましたとさ・・・庶民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。そうした流れはこんにちも全く変わっていない。

親、兄弟、子供、婚約者、恋人等、家族を守りたい一心で死地に赴く以上の自己犠牲はない。それは戦争に巻き込まれたどの国も同じだったと思う。あまりにも重い事実だが、知らなければならない事実でもある。忘れればまた同じことを繰り返すのが人間だから。

・「決して風化させてはいけない事実
この本は、父、母、家族、恋人たちのために自らの命を捧げたその特攻少年飛行兵たちの最期の姿を、彼らが残した純粋無垢な手紙、日記、遺書、関係者の回想をもとに綴ったものである。二度と生きて戻れないことを覚悟し、「行ってきます」ではなく、「行きます」と言い残し飛び立っていった少年飛行兵たちの心情がひしひしと伝わってくる。

鹿児島県の薩摩半島に開聞岳という山がある。そのふもとに、最後の特攻隊が飛び立って行った知覧基地があった。小泉純一郎首相はこの知覧にある特攻資料館を訪れた際、お国のために死んでいった若い飛行兵たちの心情を思いやり、感極まって涙したと聞く。小泉首相が流した涙と、この本を読んで流す涙はまったく同じものであろう。戦争の悲惨さを生々しく伝える名著の一冊だと思う。

・「私たちが忘れてしまっている大切なもの
とにかく涙が止まりませんでした。この事実を知らないでいた自分を恥ずかしく又、申し訳なく思いました。人としてこれほどまでに純粋な方たちが、実在していたことを伝えていかなければいけないと痛感させられました。自分に子供ができたら是非読ませたい一冊です。感謝

・「これ以上の事があるでしょうか。
私はこの方達と同じ日本人であることを誇りに思います。そしてこの方達が何を望んで自分の命を散らしていったのか。現代に生きる日本人はその意味を知らなくてはなりません。

今日われ生きてあり (新潮文庫) (詳細)

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

・「屠場という職場
食卓に並ぶ肉料理、牛も豚もみな当たり前のことだが、生まれながらにしてあのような「食料」という形をしていたわけではない。皆全て、人による労働の所産であり、そこには生命の死というものが不可避的に発生する。ところが、我々の意識下では、あたかも放牧されている牛や豚が製品となった姿へダイレクトに結びついているかのような、あたかも中の見えないトンネルを通りそこから出てくるときにはあのような肉製品という異形になっているかのような感覚がある。僕らの社会には、その中間のプロセスの部分と、そこで働く人々への視線が、決定的に欠落しているのだ。

本書は、そのタイトルがど真ん中直球で示すとおり、これまであたかも社会の「暗部」がごとく扱われてきた屠場の歴史と現状、そしてそこで働く人々の悲喜こもごもをおったドキュメントだ。

この本が明かすのは、戦前戦後と「職業に貴賎はない」という言葉が全くの嘘八百であったこということ、食肉解体とそれを職業とする人々への差別意識と差別的な待遇、そしてそれと同時に、というかそのような外からの冷遇があった故に生まれた労働者同士の連帯感である。動物の解体にも、やはり独特の技術があるらしく、まさに「学ぶのではなく盗め」というベテランから若手への業の伝承が行われる技術集団、ギルド的な集団が形成されているのである。

昨年からの世界的不況は、例外なく日本の工場労働者をも襲った。彼らにとっての決定的な痛手は、雇用の流動化という世相の流れによって、この苦難を乗り切るための横のつながりがないことだろう。屠場には、他の職場では失われたそのような労働者同士の横の連帯感と、自分たちの仕事への誇りが、未だ息づいている。

屠場労働という職業を差別することはもってのほか。しかしその反対に、「僕らの代わりに汚れた仕事を・・・」と、彼らに負い目を感じるのも、同じくらい失礼なことだろう。この本を読んでわかるのは、彼らが彼らの仕事にプライドを持っているということなのだから。

・「いまだに心無い偏見の残る世界
禁句とも言われる屠場、そして差別され卑しい目で見られる屠場でも、もし誇り高い彼らがいなければ私たちの食卓には「おいしい肉」は並ばないと言うこと…

私は以前に屠場を見学したことがあるのでそういった類の偏見は持ってはいません。しかし、いまだなお特に西のほうで卑しい偏見の目があることは恥ずべきことだと思います。

内容も食卓に並ぶ前の工程もきちんと記録されていますし、現場の人の声も取り入れているのでとてもよいです。

・「長い間心に残る本
この本を読むまで食肉の屠場について考えたこともなかった。何気なく読んだこの本で私は屠場にとても興味を持ち出した何年も前に読んだ本なのに、今だこの本に書かれていることは、私の心に焼き付いている食肉を消費する人なら誰しも知らなければいけないことなのにと実感させられ、また屠場で誇りを持って働いている人たちに魅了された

・「知られざる世界
技術の進歩とはうらはらに、およそ近代的とはいえないシステムによって続けられてきた食肉処理。こうした本がもっと出ることによって差別も逆差別もなくなっていくだろうにと思う。

・「社会派ルポのずしりとした内容
 屠場、いわゆる獣肉生産のための解体工場を著者がつぶさに取材した傑作ルポ。われわれにはまったくうかがい知ることのできない内情が詳らかにされている。屠場とそこに働く人々に対する社会的な偏見、抑圧は想像を絶するものがある。みごとな腕と技をもった職人が多数、過酷な労働条件のなかで働いているのにもかかわらず、である。われわれ消費者はこの現状を直視しなければいけない。 著者のルポは徹底的、かつ真摯で抑制が効いており、おもしろ半分の覗き見ルポとは一線を画し好感がもてる。

ドキュメント 屠場 (岩波新書) (詳細)

縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫)

・「熱く、茶目っ気を持ち合わせていた人
 南方熊楠自身もさることながら、その当時交流した人々も層々たる人物と交流していたのだぁと感想。 彼はお金や名誉に無頓着だったため、恐れる事もなく、自然児のごとく誰に対しても対応できたのだろう。ある人からすると、自然児熊楠はやっかいな相手だろうし、また、熱くなりやすい熊楠と馬が合えば、これとない議論できる相手であったのではなかろうか。

・「巨人の生涯
柳田國男、折口信夫と並ぶ日本の民俗学の巨人南方熊楠の生涯を描いている。

若き日の世界放浪。孫文との友情。

彼がいかに国際人であったかは、これを読めば一目瞭然だ。

また、熊楠は早く生まれすぎた人物であったのだろう。

時代が彼を型にはめようをして、彼を縛り付けてしまった。

この時代の日本は本当にすごい人たちに溢れていたのだと思う。

・「すらばしいとしか言えない
和歌山出身のとてつもなくスケールのデカい在野の学者、南方熊楠の伝記。

・「伝説
 南方熊楠の伝記としては現在、最良の一冊。もともとは雑誌連載であり、生き生きとして面白く読者を離さない。 『南方熊楠全集』などを縦横に利用して熊楠の生涯を再構成し、半ばフィクションとして描き出している。もともと熊楠は法螺話のようにして自己のイメージを肥大化させた人物だが、本書でもそれが踏襲され、事実と誇張が綯い交ぜになった幻想世界が作り出されている。そこが熊楠の一番の魅力であり、まさに読者が望むとおりの伝記といえよう。 田辺での後半生や弟・常楠との確執など暗部もしっかりと描き込まれ、「縛られた巨人」の意味をよく伝えてくれる。ついに最後まで飛躍出来なかった大学者・熊楠ということか。 会話が和歌山弁なのはやりすぎだと思うし、読みにくい。

・「熊楠の生涯を概観できる
南方熊楠の生涯を彼の膨大な書簡など史料を交えながら紹介する。熊楠概論としては、よくまとまっており、読みやすい。熊楠の粘菌、民俗学、あるいは自然保護などにおける業績の解説は限られるが、それは本の性格上仕方がないだろう。一つ不満だったのは、引用文の原典(たとえば誰宛の手紙であるかなど)の記載がなかったこと。

縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫) (詳細)

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

・「現代の日本での子育てに参考になるのではないかと
サンケイ新聞サイゴン支局に赴任した近藤紘一が,ベトナム戦争のイゴン陥落に前後して結婚した妻とその連れ子と東京で生活する。後にバンコクへも赴任して「バンコクの妻と娘」という本も出版するのであるが,家族への思いを書いた最初の本である本書には,妻と娘への愛情がふんだんに注がれている。ベトナム人の妻が子育てについて著者とぶつかるくだりも,現代の日本での子育てに参考になるのではないかと。惜しくも早くして亡くなった著者の,ちょうど現在の私の年代に経験したさまざまな出来事がみずみずしく描かれている。ベトナム戦争について詳しくなくても,楽しく読める本。是非。

・「日本人に近いベトナム人
つい先日、会社の仕事で初めて1週間ほどベトナム(ホーチミンとハノイ)に行きました。今、ベトナムは年率20%強のインフレと株価暴落等で経済が混乱状態にありますが、私がベトナム人から感じたものは日本人がいつしか忘れてしまった情熱やバイタリティ、ハングリー精神といったものでした。朝早くから活動するベトナムの人々や道路を埋め尽くすバイクとクラクションの洪水がなぜか懐かしく思い、本書を手にとりました。本書はベトナム戦争後の混乱したベトナムが舞台になっていますがそこに描かれているベトナム人は私が感じたベトナム人となんら変わらないものでした。勤勉でありながらどことなくのんびりとしているベトナム人はどことなく日本人と似ている気がします。宗教も同じ大乗仏教ということも関係あるのかもしれませんが、本書を読んでますますベトナムが好きになりました。食糧自給率が高く、石油も多く採取できるベトナムはこれからも日本のよきパートナーになるはずです。ベトナムのことを詳しく知らない人はぜひ本書を読んでベトナム人の性格や気質を理解していただきたいと思います。夫婦や親子だから書ける本音のベトナム人を知ることができると思います。

・「初めて注目したジャーナリストでした
 読んだときは中学生だったので、全部しっかりわかったかと言えば、そうではなかった。今読み返せばそれがわかるが、わかる範囲でさえ、いろいろ衝撃を受けた著作だった。亡くなったときは心底、惜しいと思った記憶がある。 最初の奥様を亡くしておられるから、ベトナムで出会った奥様とユンちゃんに注ぐ目は限りなく優しい。ベトナム語も日本語もフランス語も中途半端な娘に対する過度なほどの気配りは、当時はピンとこなかったが、今になってよくわかる。人間、言葉でものを考えるのだということが、実感できるようになったから。国際教育も何も、まず日本語をきちんと学んでからだと思うのは、この方の影響だと思う。 彼は、いきなりパリにマンションを買った奥様に、ご友人から借金をして送金している。いつになったら返してくれるのかと問われて、「ソ連が北方領土を返したら返す」と答えておられた。これを読んで以来、ベルリンの壁が崩れたとき、ソ連が消滅してロシアになったとき、世界情勢が大きく動くたびに、何となく近藤氏のことが頭に浮かぶ。「ベルリンの壁がなくなったら」って言わなくてよかったね、近藤さん。 

・「妻子への愛 そして 鋭く未来を予測したベトナムへの考察
 ベトナム人子連れ女性と結婚し、日本でのその生活振りを記した本。

 南ベトナムに国籍を置いていた子連れの女性と戦争末期に結婚し、必然的に生活をせざる得なかったこの家族の物語は好奇心を誘うし、本書の文章もおもしろい。

 ベトナムと日本との文化の違い、飼っていた兎を調理して食べてしまうほど、ベトナム女性はパワフルでどこかコミカルだ。

 後半は沖縄に漂着したボートピープルの取材を通して、独自の主観からベトナムの未来を考察しているが、それが見事に当たっている。

 著者は文中にベトナムはすでに修正主義が始まっている予測した。

 著者が予言した通り、ベトナムの修正主義は戦後11年後の1886年に始まり、今開花しようとしている。戦後すぐに修正主義を予想した著者の考察には敬意を表せざる得ない。

 著者は文中後半に下記のような文章を書いている

「かりに私自身があの土地に生まれ育ったら、時の政治体制や社会形態にかかわりなく、世界のどこを放浪してもやはりあの地域の地表にたちこめた、自然と人間の濃密な生命力に対して郷愁を抱き続けるだろう。(中略)あの茶色い水をたたえるメコン河の、優しく悠久な、そして広大すぎて少々間の抜けたような流れを思い浮かべるのではないだろうか。」

 生まれ育たなくても、一度あの土地を旅すれば、日本人であれば誰もが郷愁の念を抱くことは著者も知っていたに違いない。

・「世紀を超えて
生とは。 偶然の出会いによって導かれるシンプルなもの。 緩やかだったり激しかったりするけど、とにかく流れにのって生きていくしかないんですね。そうして出会ったヒトと家族になり、生きていくという人生のさわやかな醍醐味を感じさせる本。

いや、しみじみと素晴らしい本です。 81年に書かれて、25年後に読んだわけですが、この本は世紀を超えてます。

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1) (詳細)

サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3))

・「国がなくなる瞬間
会社が更生法を申請したりM&Aで買収されスポンサーや経営者が一新されるという気持ちは非常につらく不安なことだと思う。それが会社ではなく国だった場合となると規模が大きすぎて想像がつかないが、不安心理は並大抵のものではないと思う。特に戦争状態で敵国であったり敵国思想であった国に統治されるとなると、より一層不安であろう。筆者は偶然にもサイゴン陥落を体感した。そしてその時の心理状態を詳細に記している。しかし著者の心理状態ほどにベトナム人の行動から緊張感が伝わってこない。これこそがサイゴン(ホーチミン市)の懐の深さだと思う。実際にベトナムに行った人なら分かると思うがベトナム人のものすごいバイタリティーとエネルギーは戦時中であろうが、国が滅びようが変わらないのではないかと思えるほどの勢いがある。そんなベトナムを垣間見ながら一国の消滅を体感できて充実感のある本だった。

・「近藤紘一の出発点
沢木耕太郎「一号線を北上せよ」を読み、そこで紹介されていたことから本書を知りました。仕事で何度もベトナムに出かけていたのですが、近藤紘一氏のことは知識がありませんでした。サイゴン陥落という歴史的事件を「目撃」した体験のみならず、ベトナム人への暖かい目差しから紡ぎ出される生き生きとした文章が素敵です。1986年、45歳で逝去されたとのことですが、まだ生きていてほしかった。今の経済発展を遂げつつあるインドシナの姿を彼はどう捉えるでしょうか。本書購読後、今販売されている氏の文庫本を皆購入しましたが、絶版も多く、残念です。機会があれば、「近藤紘一ブーム」を是非盛り上げたいものです!

・「「ベトナム戦争」の真実。
 われわれは、今までベトナム戦争をフランスの植民地から引き継いだアメリカによる極悪非道の戦争と位置づけてきた。御気楽「進歩的文化人」の「ベ平連」などに、無邪気に賛意を示していたことが恥ずかしい。 ベトナム戦争は、経済的に開放された(ただし独裁はあったが)「南ベトナム」に、中共、ソ連の後押しを受け、一見「南ベトナム」の「反乱軍」のように見られたベトミン〜ベトコンの「人民開放」戦争と位置づけられた。 しかし、当時は、表に出なかったが、「共産主義」の最後の足掻きだった。 「南ベトナム」に入って、資本主義経済を知ったホーチミンが、今で言う「経済開放」を唱えると、『統制経済』至上主義の中国が、侵略を開始する。

 今、中共は、「開放政策」渡渉した資本主義の道を歩み、19世紀末期の資本主義国会上の貧富の差を作り上げている。・・・・・南ベトナムが陥落しなければ歴史はどうなっていたのであろうか?

・「サイゴン最後の二ヶ月
 南ベトナムが消滅した1975年4月30日、その前後二ヶ月間サイゴンに滞在した著者である新聞記者が、その目線から得たものを本にしたノンフィクション。

 あのサイゴンが世界中から注目をあびた、あの日、あの瞬間を、その場にいた人間の視線で書かれた貴重な作品だろう。

 読みのもとしても一級、時間を忘れさせる本です。

・「ベトナム庶民からみたベトナム戦争
 ベトナム戦争の終結であるサイゴン陥落迄の約2週間を追ったドキュメント作品である。 著者は当時サンケイ新聞のサイゴン特派員としてこの現場を報道し続けた人物である。本書が出版されたのは陥落後5ケ月というときである。当然、南ベトナム政権崩壊の模様も臨場感をもって描かれている。 しかし、本書は所謂ベトナム戦争の批評本ではない。この戦争の詳しい暦史や南ベトナム支援した米、北ベトナムを支援した中ソへの批評も書かれていない。戦場の悲惨な様子も書かれていない。だから、本書でベトナム戦争の全様を知ろうとすると肩すかしをくうだろう。が、そんなことは本書の価値を減ずる要素ではない。それは他の作品で知ればよいのである。

 ここに書かれているのは、ベトナム人の視点からみたベトナム戦争とサイゴン陥落の様子である。著者は彼ら(一般庶民も軍人も政府高官も全て含めて)の民族性あるいは文化を理解し、彼らの視点からこの戦争の姿を描き出している。 しかし、著者は彼らを理解し受け入れても彼らの立場には立たない。あくまで「公平性」を貫いている。この姿勢が本書を優れたドキュメント作品としている。 著者はサイゴン特派員時代に娘連れのベトナム人女性と結婚している。そして、彼女の多くの家族と一緒に暮らしていた。この結婚が本書をよりリアルにしたことは間違いない。 彼はこの後、妻と娘を媒体としてベトナムあるいは東南アジアの国や人々を描き出す作品を発表してゆく。本書はその最初の作品である。

 著者の文体は新聞記者出身のノンフィクション作家としては他の作家のそれとはチョット異なる。いい意味で小説的ともいえる情感豊かな文章である。この文体があったからベトナム庶民の姿が生き生きと描かれたのだと思う。今読んでも決して色褪せてはいない。傑作である。 

サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3)) (詳細)

特攻隊員の命の声が聞こえる―戦争、人生、そしてわが祖国 (PHP文庫)

・「自分が同じ立場であったとしたら・・・と思いながら読むと・・・
 特攻「特別攻撃」という作戦は、日本の戦術の中にはないものであった。たとえ可能性は低くても、「必ず死ぬ」作戦は、邪道とされていた。 それが、「通常の作戦」に変わっていってしまった。 戦争である以上、死はつき物であるとしても、誰も、好んで死のうとは思うまい。死を避けるために訓練をし、作戦を練るのだろう。 それが、必ず死ぬことを前提とした作戦になった時、「死刑」に等しい命令になる。 これは、理不尽であり、残酷である。 これを、もし自分が同じ境遇に置かれたらどうするのか?と考えると、かなり深刻である。 この特攻隊員に対する評価が、「軍神」から「侵略主義の象徴」と180度変わってしまったことは、様々な思いを持ちつつも、純真に日本を守ろうとした人たちへの冒涜であろう。 まずは、正面から彼らに向き合うことであろう。

・「「今日我生きてあり」と共に
神坂氏の「今日我生きてあり」と共に読むと、より作者の思いというか、とりまく環境などがわかると思う。

・「「今日われ生きてあり」をこれより先に読むべし。
神坂氏が戦後ながらくの沈黙を破って書いた衝撃・快哉の書「今日われ生きてあり」。本書はその反響や補遺からなる続編なのでまずは「今日われ」を先に読むべし。特攻隊に関する戦後の(誤った)論調は最近小林よしのり氏の「戦争論3」で再びスポットライトがあてられてますが、同書を読んでよりつっこんで知りたくなったひとはこの著者の本にはきっと何か感じるものがあるはずです。

特攻隊員の命の声が聞こえる―戦争、人生、そしてわが祖国 (PHP文庫) (詳細)

パリへ行った妻と娘 (文春文庫)

・「シリーズ第三弾 最終作品
 ベトナム人妻の連れ子であった娘が、パリの男性と婚約し、妻は無断でパリにマンションを買ってしまう。

 ベトナムの旧宗主国であったフランスには、内戦で多くのベトナム難民が生活し、そこには妻の元夫や元恋人たちも生活している。

 国を亡くした妻や娘、そしてパリに集う難民たち。インドシナをよく知る著者だからこそ、彼の視点にたったパリには多くの物語があり、読み物としておもしろい。

 今この本を読む読者は、彼がもうすぐ短い人生に幕を閉じることを知っている。そんなことを脳裏にかすめながら読むと、なおさら考え深くなった本だ。

・「とっても深い作品
新聞の特派員ていう人って、こういう生活をしているんだ、という感想を持ちました。どうもキザったらしい文章が最初は多くて、なにを言いたいんだかわからない内容なのですが、微笑ましい生活スケッチを読んでいくうちに、やがて文化の違いや、人の生活というものに、思いを巡らすようになっちゃいます。これは、すごい文章力を持っているということでしょう。この本には、3つの線があると思います。作者の奥さんはベトナム人。連れ子の娘がいて、フランスへ留学してます。そして、下宿先の息子のピエールからプロポーズされています。相手の家族は大賛成。親として娘へ、結婚というのはどんなものか、説教にもならないこのつらさ。娘はもうメロメロ。ちなみに、奥さんの前の旦那さんは、作者の親友です。なかなか一筋縄で語れないこの人間関係。 国際というものを、なまで体験しているというのは、すごいことですねえ。で、もうひとつのお話の線は、作者の前の奥さんが、若くして死んでしまっていることです。お互い若 く、苦労をともにした青春時代への、作者の前妻に対する後悔と愛情とが、非常に切ない文章で綴られています。どうして、人間てのは失った後に大事なものに気づくのでしょうか。「――前の妻の死後、私は、過去のすべてを石の塊にして心の隅に封じ込めてしまうことにより、人生の継続をはかった。そして、前の妻と生きた世界とはまったく異質の世界を転々とするうちに、いつか次の人生に足を踏み入れた。」最後にもうひとつ、この作者はその後、いくつかの作品をまとめたあと、若くして亡くなっています。と ても優しさあふれる文章なのですが、全体に一種の死生観のようなものも漂っている気もするのです。それは、この作者がすぐに死んでしまうということを、知っていたからなのでしょうか。ちょっとうがった見方かなあ。

「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」ふと思い出した、芭蕉の句です。

・「とにかくおもしろい。
サイゴン、バンコクときてパリに移る近藤一家のお話なんですが。いくらジャーナリストというのは、ノンフィクションだけを書くといってもこんなに家族の事を事細かに書いてしまって大丈夫?と思ってしまうほど、全体を通して細かい「気持ちのゆれ」や出来事がほんとうに生き生き書かれていて、面白いのです。

近藤さんが、どうしてこういう生き方を選んだのかちょっぴりわかるような気がしました。

・「少しオセンチ
日本で育てたベトナム人の娘をフランス人に嫁に出す。血のつながりも無い義理の親戚を家族として結束するパリのベトナム人社会。戦乱の時代を生き抜いたベトナム人にとって「家族」とは何か、を思い知らされた。恐らく本書は近藤氏の遺作であり、前妻との関係についても少しセンチメンタルに明かされる。

パリへ行った妻と娘 (文春文庫) (詳細)

バンコクの妻と娘 (文春文庫 (269‐2))

・「赤裸々な記録
「サイゴンから来た妻と娘」の続編。クライマックスは,校長からの手紙の部分だろうけれど,全体的に読ませる部分が多い。子どもの成長のこと,自分自身を振り返ること,赤裸々な記録。

・「教育関係者にこそ読んで欲しい
若くしてなくなられた著者の作品のなかでは、私はこれが一番のお気に入りです。何がお気に入りかというと、出張と執筆の多い仕事をこなしながら、東京に置いてきた娘ユンのことを親として温かくかつ厳しく見守っていることです。ユンは結局、東京のリセでは道をみつけられなくて著者のいるバンコクに合流しますが、そうなる過程で、著者と東京リセの校長との手紙によるやりとりが白眉。校長もユンをよくみており、この子どもの今後を、将来を推し量る思い溢れる手紙に、読者として思わず涙しました。それが★5つにした理由でもあります。最初は、私自身が独身で近隣諸国で仕事をしていた時でした。著者をお見かけしたこともあります。東南アジア諸国の生活事情も良くわかっていただけに多少のひいきもあったかなと思います。ただ、子どもの親となった今、日本で再読してまた涙しました。著者の筆力にもよるのでしょうが、それだけではない他国間にわたる仕事をしているもの同士(著者とリセの校長や教員)の真剣な向かい合いに強く心を打たれます。この著者の娘さんや奥さんのことをいろいろと言われる方もおられますが、私には著者が両者に示した愛溢れる姿に感動を覚えます。著者やこのリセの校長のような姿勢が、日本の教育陣に少しでもあれば、ここまで日本の教育もおかしくなることは無かったのでしょうか。そんな思いを込めて、連作の中では一番のおすすめでしょう。

・「シリーズ第二段 バンコクへ
 1980年代のバンコク。21世紀の今日とは当然都市の風景は変わっているだろうが、そんな中での著者の家族の生活はおもしろい。

 「サイゴンから来た妻と娘」を呼んだ後に本書を読んでください。

 続きのパリがきになります。

・「自己の依る場
この作品群には2つの時間が並行して書かれる妻を亡くすまでの、ノンポリ・欧州志向の自分と今のベトナム人と再婚して養女を持った東南アジアからの視点を提供する自分この本では、帰国子女である亡き妻と現在生まれ育った土地から日本に移住した養女の2人の話が並行する原罪ともいえる妻の死とつぐないに似た養女への思い

前妻の死について分析した結論として、アイデンティティーを形成する上で、特に女性にとって土地とのつながりの重要さを考えながら、戦争のために予定を変更して日本に連れてゆかざるをえなかった悔恨と彼女の将来にどう責任をとってゆけるかという悩み彼の早すぎる死によってその思いが切られてしまったことを知る人には痛切な気持ちがこみ上げてくる

後日談ではあるが、養女はこの時期に幼い恋愛を産み育て、後に生誕地の宗主国であったフランスで自分の家族を持つことになるその国が亡き前妻の自己を失い病に倒れた地であることは神の采配であろうか

新聞記者の現地レポートを提供しながら家族の姿をまぜてゆくので、今から読む人にはちんぷんかんぷんの部分も多いかもしれない

・「ちょっとつらい
「サイゴンから来た妻と娘」と「パリへ行った妻と娘」の間のストーリーで幾分退屈。成長期にある娘にとってベースとなる言語がどれだけ重要であるか、よくわかった。

バンコクの妻と娘 (文春文庫 (269‐2)) (詳細)

私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること

・「決して学術的ではないのだが、示唆に富む、反省させられる本
 工業デザインや商品開発では「ユーザーを知ること」が基本である。しかしだいたいは頭の中で知識として理解するだけで、「身をもって知る」と言うことがないため正しく認識・理解することが出来ない。その結果、商品は設計者の思いこみで恣意的なものになり、「ユーザーが使い勝手に合わせる」という本末転倒な事態が生じてしまったりすると言われている。その対策のひとつとして「インスタント・シニア体験」というのがある。装具をつけて老人の肉体的な特徴を模して、その行動がどのように制限されるかを体験して理解を深めるというものだ。しかしあくまで「インスタント」であって、周知の上での一時的な実験にすぎない。本書は、実社会生活の中で体を張って実験を繰り返した工業デザイナーの話である。率直な行動力には頭が下がる。 その結果、本書で披露されるような、若者が無意識のうちに老人を邪魔にして遠ざけようとするとか、老人同士の会話が別にネガティブなものではなくて明るい前向きのものであるという事実が初めて明らかになり、自分の中の固定観念を改めてくれた。これは闘病物のエッセイなどを読んだときと同じ感覚で、頭で理解しただけで済ませてきた自分がとても恥ずかしく思える瞬間だ。(もちろんまだ「身をもって知る」段階ではないが) これからの「高齢化社会のため」というのはやや寂しいが、人間の基本的な「他人を思いやる心」を思い出すためにも読んで欲しい本だ。

・「復刊させるのに十分な話題書
老年学に対するアプローチとして社会学的視点から特殊メークにより老人になり(毎日ではないですが)3年間を過ごしたパット・ムーア氏によるドキュメントです。26歳の女性が体験したことを記した書ですが、25年前のものを復刊させたものです。ただし、内容的には全く色あせておらず、現在の社会にも通じる面が多数あると思います。残念ながら、記録的側面が強調されていて、ユニバーサルデザインへの示唆は余りないというのが実情ですが、それでも文面から読み取れる老年学的要素は十分に富んでいるといってよいでしょう。また、ドキュメンタリーとしては、ハーレムでの事故や若年と老人との人格を使い分けていくために、自己が分離していく様が心理学的側面からも非常に興味深いところです。読者の興味の方向により、多面的な解釈ができると思いますので、上記に挙げた面からの興味がある方へは一読をお薦めいたします。

私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること (詳細)
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