・D.H. ロレンス
・アルンダティ・ロイ
・ウィリアム・ワーズワース
・オスカー・ワイルド
・カール・ヤスパース
・サルマン・ラシュディ
・シンクレア・ルイス
・ジャック・ロンドン
・セルマ・ラーゲルレーヴ
・バートランド・ラッセル
・バーニス・ルーベンス
・ペネロピ・ライヴリー
・ラディゲ
・ロマン・ロラン
・ヴィクトル・ユーゴー
・ヴィリエ・リラダン
・魯迅
・その他
哲学入門 (ちくま学芸文庫) (詳細)
バートランド ラッセル(著), Bertrand Russell(原著), 高村 夏輝(翻訳)
「分析哲学入門」「「知る」について考える」「ものを考えるということ」「日常性を疑う勇気」「ラッセル一押しの名著。初読者には、つまずきのポイントもあるかも。」
幸せな王子 (詳細)
オスカー・ワイルド(著), 清川 あさみ(イラスト), 今井 智己(写真), 金原 瑞人(翻訳)
「娘への再プレゼント・・・」「本屋で号泣」「子ども用ではありませぬ」「だいすき」「愛すること・愛されること」
ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫) (詳細)
ロマン・ロラン(著), 片山 敏彦(翻訳)
「残酷な不運に負けず、むしろ才能を爆発させるエネルギーとせよ!」「読み物としては◎、伝記としては△」「私たちのための勝利者」「歴史の選択に残れるか?」「精神性高く立派なベートーヴェン」
火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン) (詳細)
ジャック・ロンドン(著), 新井 敏記(編集), 柴田 元幸(翻訳)
「名作+名訳」「人間の生の強烈さ」「生きるか死ぬかぎりぎりの選択」「ピーンと張りつめた緊張感!」「バイタリティー溢れる強靭な主人公の魅力でぐいぐい読ませる重厚な作品集です。」
ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫) (詳細)
オスカー ワイルド(著), Oscar Wilde(原著), 福田 恒存(翻訳)
「ヘンリー卿ひとりで」「「悲しみは見せかけ、心と顔は別物」」「あなたも堕ちてみませんか?」「デカダンス」「唯美主義のように見えて社会派?」
ああ無情 (講談社青い鳥文庫) (詳細)
ビクトル=ユーゴー(著), 篠崎 三朗(イラスト), 金 斗鉉(イラスト), 塚原 亮一(翻訳)
「フランス文学の香り、挿絵も丁寧で好感がもてます」「子供向けですが、」「泣いてください」
未来のイヴ (創元ライブラリ) (詳細)
ヴィリエ・ド・リラダン(著), 斎藤 磯雄(翻訳)
「まさに予言者、素晴らしい!」「反俗孤高の寓話、高貴なる古典の調べ」「あまりに痛い設定が笑える。」「――幻!幻!風子!」「アイロニーとパラドックスとイノセンス」
哲学入門 (新潮文庫) (詳細)
ヤスパース(著), 草薙 正夫(翻訳)
「高校生だって読める」「ヤスパースの形の「知への愛」」「感動しました」「Philosophie」「俯瞰的な視点」
荒野の呼び声 (岩波文庫) (詳細)
ジャック・ロンドン(著), 海保 真夫(翻訳)
「ゲット・バック!」「癒しを求める動物愛護論者とペットオーナーは読むべき」「バックの堅実な生き方に涙」「ロンドンの道徳論」「復刊を熱望!」
幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫) (詳細)
ワイルド(著), 西村 孝次(翻訳)
「理想の国に住む人ではなく、「人間」を描いた童話集」「短編集。」「正直者を餌食に、進め」「オスカー・ワイルドの手による寓話集」「大人のための耽美な童話」
● 丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士「文学全集を立ちあげる」ヨーロッパその他編・2
● おすすめ海外文学
● 欲しい☆
● 哲学の断層
● 心を揺さぶった本
● 哲学
● 文庫でベンキョ
● 哲学
文学・評論>著者別>外国の著者>ヤ・ラ・ワ行>バートランド・ラッセル
文学・評論>著者別>外国の著者>ヤ・ラ・ワ行>ロマン・ロラン
文学・評論>著者別>外国の著者>ヤ・ラ・ワ行>カール・ヤスパース
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・「分析哲学入門」
哲学の、歴史ではなく論点を紹介しているので入門書とはいっても充分に刺激的な内容である。哲学は批判によって概念を分析し知識を注意深く検討して誤謬を減らすことができるに過ぎないという謙虚な姿勢や、哲学は問いを目的として論理によってあらゆる可能性を追究し知的想像力を豊かにするという明るい主張が心地よい。
・「「知る」について考える」
「理性的な人なら誰にも疑えない、それほど確実な知識などあるのだろうか」という書き出しで始まるように、本書は「知識」の「確実性」を巡って展開される。
著者の見取りを大雑把に述べるとすると、次のようになろう。知識を「ものに関する知識」と「真理の知識」とに分け、更にそれぞれを「直接的な知識」と「派生的な知識」とに分ける。そして、「ものに関する知識」における「直接的な知識」は「面識」と呼ばれ、更にそれは、知られるものが個物か普遍であるかによって分けられる。また、「ものに関する知識」における「派生的な知識」は、「記述による知識」と呼ばれ、それは、(やや分かりにくいが)何らかのものの「面識」と「真理の知識」の双方が含まれていることが説明される。他方、「真理の知識」における「直接的な知識」は「直観的知識」であり、そうして知られる真理は「自明な真理」と言え、「真理の知識」における「派生的な知識」は、「自明な真理」から「自明な演繹原理」を用いて、論理的に導き出される全ての知識とされる。
では、そもそもの「ものに関する知識」と「真理の知識」との違いを特徴付けるものには何か。それは、後者には「誤謬」という問題が生じることである。著者は、真理を、それに対応する事実と「面識」されている時、それを絶対的な保証が与えられた「自明な」真理とし、そうでない場合は、部分的な保証しかされていない「蓋然的な」真理とに分けて捉え、「一般に知識として通用している信念の大半は、程度の差こそあれ、どれも蓋然的な見解なのである」(170ページ)との結論に達する。
最後に、「唯一無二の全体に達しないものはいずれも断片的であり、そしてまた世界全体の残りの部分によって補われないかぎり存在しえないのは明らかだ」(173ページ)というヘーゲルの中心的テーゼを批判し、哲学の価値を「主にその不確定さそのものに求めるべき」(190ページ)との見解を打ち出して締めくくる。
以上の議論の構築の過程において、「観念論」「帰納原理」「アプリオリな知識」「普遍」といった、過去の哲学徒の議論の主要なテーマについて、著者の視点からの解説が織り交ぜられている点は、入門書の入門書たる所以である。なお、訳文は大変読みやすく、また巻末の丁寧な索引は、対応する原語も付され、詳細な理解を求める読者に益するところ大である。
・「ものを考えるということ」
哲学に限らず、ものを考えるとはどういうプロセスなのかを明らかにしてくれる一冊である。日本人は物事を考えるのが不得意だとよく言われるが、このような書物を読まないからだろう。つまらない漢文だの古文だの教えるよりは、このような書物を教科の一つとして取り入れたらどうだろうか。最近、何とか学者とか何とか評論家がろくでもない人生論や社会論を書いてベストセラーになっているが、この作品を読めば、これらの書物の欠点が白日のもとに晒されるだろう。ものを考える力。これは人間の最大の武器であり、人生にとって最大のよりどころである。
・「日常性を疑う勇気」
新たな発見は日常を徹底的に疑うことから始まる。確かなものを掴もうとして始めた旅の絶望の果てから立ち上がるとき、私たちは何ものにも揺るがない強い信念を持つことができるのだ。
・「ラッセル一押しの名著。初読者には、つまずきのポイントもあるかも。」
1)「哲学原理」の直後に書かれた平明な小著。比較的初期の最もラッセルらしい時期の名著。2)数学者で、明快・明晰のイメージが強いが、読んでみると、読後感は少し違う。明快な論理で果断な叙述と、案外好い加減と言うか、俗に言う英国経験的な経験・日常性重視の視点の混合が、読むものの調子を狂わすかもしれない。本書では比較的大人しいが、乱暴極まりない発言もあって、怒り心頭に発する読者もいると思う。しかし、我が身に振返って、自分の日常的思考を鑑みると、むしろラッセル的な考えが受け入れやすいことに気付く。帰納の不確かさのあまり反証主義へ傾斜するような極端さは無いのが良い。ああいう考えが田舎臭く、冴えない感じがしてくる。「真」、つまり真理論でも、信念に基づくが、事実との関係が鍵であること、虚偽の可能性を受け入れておくことが、真理論の基本姿勢というのは、健全に思える。3)過去の思想や哲学の吟味には欠かすことが出来ない、思考のフレームワークと思えるし、この姿勢を拒否したところにalternativeがあるのか疑問だ。でも、かといって、ラッセルの哲学では、やっぱり何だか物足らないことも事実で、これじゃあ、色々言っても、常識の説明会みたいで、難しい本を読んでおかしくなった頭を良識に連れ戻す作用しか思い浮かばないようだ。「整合性の体系」こそ真理の条件だというブラッドレーやドイツ哲学は、胡散臭くもあるが、却って、日常性とは異なる世界観の可能性を示し、それが、時代の診断へとも繋がっていくような気もする。所詮失敗した残骸であっても、そっちのほうが懐かしい気もしてくる。4)そうは言って、独特の文体とキャラクターで兎に角退屈させずに語りきる本書は名著中の名著と思う。
・「娘への再プレゼント・・・」
「幸せな王子」の物語が大好き!といっていた8歳の娘への、再び同じストーリーの本にはなりますが、清川あさみさんのこの本での贈り物をしました。「子供とお母さんのためのお話」といういもとようこさんの可愛らしい・子供らしい本で、いくつも載っている中で「幸せな王子」が気にいって何度も何度も読み返していた娘だったので、清川さんのこの素晴らしい技法の絵の世界を知ってから、是非娘にも、また違う感動を受けるかもしれないと思い、贈りました。とても喜んでいました。この繊細な世界を本当の意味で知るには少し早かったかもしれませんが、大人になるまで、大人になっても大切にできる絵本なのではないでしょうか?下にいる小さな妹も、いつか手にして読んで感じる何かを私はそっと期待しています・・・*v_v*勿論「銀河鉄道の夜」も「人魚姫」も物語として知っていて本を持っていても、清川さんの絵本で子供にも、その感性で感性を感じて欲しくて買いました♪
・「本屋で号泣」
恥ずかしい…
子供の頃読んで、絵本じゃなく小説で読んだこともあって、何度も読んだ絵本。
買おうと思って久しぶりに読んでみた。
子供がワイのワイの騒いでる絵本コーナーで鼻スンスンいわせながら必死で我慢してたんだけど…
不覚にも…
何でこんな絵本に弱いんだろ俺…
全人類これを教科書にしよう。
・「子ども用ではありませぬ」
この本、決して子ども用ではありません。読み聞かせても、なかなか分からないと思うし、子ども向けに書かれた本でもありません。語彙を見れば分かると思います。絵本、という体裁をとっていますが、100%大人向けの本です。
泣けます。
美しいです。
他に形容する言葉が見つかりません。
同じ清川さんの「人魚姫」も好きですが、物語の内容としてはこちらの方がさらに好きです。
美しく、心が清らかになる気がします。心のデトックスとでもいうような。
先日、ある書店に行ったら、この本が普通に子どもの絵本コーナーに「のみ」置かれていました。ちょっと違うと思うけどなー。
子どもの絵本コーナーにも「あっても」いいかも知れませんが、これはあくまで大人用。大人のコーナーに置いてくれなくては!乙女コーナーに置いてあったある書店を見て「やっぱりね、普通そうだよね」と思ったのでした。
余談ですが。
・「だいすき」
人に尽くし続ける愛を感じる絵本です。綺麗な刺繍の挿絵が、物語を引き立てます。切ないストーリーですが胸にぐっと来ることは、間違いありません。
恋人へのプレゼントとしてもおすすめです。
・「愛すること・愛されること」
オスカー・ワイルド「The Happy Prince」の翻訳版です。
動けない王子の願いを叶えるため、ツバメは飛び立つ。
愛して、愛されて、王子とツバメの愛は、さらなる愛を生む。
しかし、さらなる愛を生むことは、王子とツバメの命を与えること。
やがて力尽きた王子とツバメは・・・
愛すること・愛されること、を実感できるせつない恋の物語。
・「残酷な不運に負けず、むしろ才能を爆発させるエネルギーとせよ!」
大きな不運を背負って、なお一層、活き活きと輝く人はベートーベンだけではない。そういうすばらしい人の生き様を描いた本も少なくない。その意味で、この作品が唯一の不朽の名作とは言いがたい。田園交響曲、英雄、運命、第九が好きな人には気持ちの良い本だと思う。
・「読み物としては◎、伝記としては△」
この本を通してベートーヴェンを見つめると、彼が非常に不幸でストイックであり、善を重んじて七転八起する頑強な人物のように感じられます。確かに読者を感動させ、強い希望を沸かせてくれる作品です。
しかし、書かれた時代が古いこと、ロラン自身に感情に走っている節があること、ロランが出版にあたって訂正を加えなかったことなどから、ベートーヴェンが誠実に描かれているとは言えません。例えば、ベートーヴェンが実際持っていたユーモアについての記述がないので、とても暗い印象を持ってしまいます。また、恋愛観についても最近の研究とは食い違っています。よって、この本を読んで得た知識を鵜呑みにしたり、ベートーヴェンに対する印象をそのまま保持するべきではありません。勿論、ベートーヴェンを知るためではなく、ただ激励されたいのならこの本があれば十分です。でも、「できる限り真実を忠実に記してほしい」というベートーヴェンの願いを受け入れたいなら、他の本も多数参考にする方がよいと思います。
・「私たちのための勝利者」
著者は、ベートーベンの全生涯のもくろみを「歓喜」としている。ベートーベンは、ウィーンから良い生活が送れるように守られているわけでもなく、彼は長い期間貧しい生活をしていた。 そして耳に病気を抱え、音をうまく聞きとれないのに作曲活動を続けていたことはよく知られているが、耳だけでなく体のいたるところに病気を抱えていた。 恋愛においても、不運が付き纏い、想いを寄せていた相手と結婚ができなかった。そして「つんぼです」と言えないがために、彼は社交を避け、よりいっそう孤独に陥る。これらの不運を見るだけでは、私たちがベートーベンから得られるものは少ない。 しかし、ここが重要な点だが、彼は「勝利者」であった。 彼はこれらの運命・悲哀に打ち勝ち、「歓喜」をつかんだ勝利者であった。 この過程をベートーベンは1つの金言により表している。 『悩みをつき抜けて歓喜に致れ!』彼はなぜ「歓喜」をつかみたかったのか?なぜそのために曲を作ったのか?それは、貧しい人の運命を改善するためである。 つまり、ベートーベンは我々のために勝利者となったのだ。 彼の不運を見ると私たちは苦しみや敗北などしか見出すことはできない。しかし、彼は勝利者となることで、それらの苦しみを浄化してくれたのだ。
・「歴史の選択に残れるか?」
この作品が執筆されていた頃はベートーヴェンのヨゼフィーネのへの熱烈な恋愛がしたためられた「十三通の恋文」がまだ、発見されていなかったので、ロランは不滅の恋人の相手をテレーゼにしているが、これは誤りだった。ロランは偶然かどうかこの新発見のわずかばかりの後に死んでいる。
歴史は資料の発見などにより更新される運命にあるが、これはロランにとっては大きなショックだったといえる。
確かにロランのベートーヴェンへの敬愛が強過ぎたとは言える。だが、ベートーヴェン研究に一鍬加えた作品である。
・「精神性高く立派なベートーヴェン」
感動的だった。ただ、ロランのベートーヴェン像は実際のベートーヴェンとどれだけ一致するのか、という疑問も持った。ロランのベートーヴェン像は神格化されていると言ってもいいくらいに立派な人間だ。しかし、ベートーヴェンは自尊心が高くわがままだった、という話も聞く。この本ではそうしたことは全く描かれていない。感動的だったが、この本に描かれるベートーヴェンはロランによって神格化されてはいまいか。正しいベートーヴェン像に近づくためには、他の本も参照しなければ、と思った。
・「名作+名訳」
ああ、「野生の呼び声」の作者だ。中学生のころの感動がよみがえった。あの頃よりずっとジャック・ロンドンの訳書が手に入るなんて幸せなんだろう。(中学生のころ「ジャックロンドンって作品少ないんやなー」と思ったことをおぼろげに覚えている)柴田元幸さんのチョイスと名訳でジャックロンドンの世界が見事に私の心の中に再構築された。大自然の中のちっぽけな人間、生命力、文明の愚かさ、人が生きる意味。現代に生きる私たちが抱き続ける「問い」がここにある。それでいて決して難しくない。表題の「火を熾す」なんて延々と氷の大地を旅する男と犬の話なのにさらっと読めてしまった。
・「人間の生の強烈さ」
どの作品も極めてシンプルでありながら、迫真力に富んでいます。自然描写も感覚描写も臨場感が圧倒的。扱うテーマも著者の多彩な関心領域を反映してバリエーションが豊か。百年前に書かれた古さを微塵も感じさせない、小説の力というものを実感させられました。悲劇に終わるものもあれば、ハッピーエンドもありますが、共通して自然の厳しさに雄々しく対峙する人間の生の強烈な存在感にあふれていると同時に、それを越えた境地にまで達するかのような厳粛さがあります。おすすめ。
・「生きるか死ぬかぎりぎりの選択」
「火を熾す」は、寒さで生きるか死ぬかぎりぎりの選択を求められている男性の状況が臨場感をもって伝わってくる物語。一気に読みました。訳者にも大きな拍手を送りたい。
・「ピーンと張りつめた緊張感!」
私の人生の師であるヘミングウェイも、生死を描いたハードボイルド作家だが、この作品は生死の境の緊張感を凄まじく描写しており、まるで蜘蛛の糸を綱渡りしているようなもの。感情が一切こもらない、ただ荒涼、殺伐、寂寥の極み。中でも「火を熾す」「生の掟」「生への執着」は秀逸。下手な冒険モノなど児戯に思えた。翻訳も素晴らしい。
・「バイタリティー溢れる強靭な主人公の魅力でぐいぐい読ませる重厚な作品集です。」
「白い牙」「野生の呼び声」等の動物文学で名高いアメリカ文学の巨匠ロンドンの四十年の短い生涯に残された200以上の短編から翻訳家・柴田元幸氏がセレクトした傑作9編を収めたオリジナル短編集です。本書の帯に書かれた柴田氏の一文「ジャック・ロンドンは小説の面白さの原点だ」は誠に至言だと思います。本書に収録された短編は、どれも今からほぼ百年前に書かれた物でありながら全く古びず執筆当時の作品に込められた熱気も失わずに、今尚普遍的な輝きを放ち続けているように思えます。殆どの作品が迫力満点の臨場感に溢れており、誰もが主人公の生き生きとした活力漲るバイタリティーにぐいぐい引き込まれて一気呵成に読み終えるでしょう。彼の小説には結末の意外性は然程ありませんが、作品の基本理念と思える運命的な必然性の重みが心にずしりと響き深い感動を与えてくれますので、読後に理屈抜きで素晴らしい充足感と満足感が得られる事を保証致します。本書収録作品から三つの傾向の物を紹介させて頂きます。『火を熾す』『生への執着』極限状況に挑む人間を描いた作品群で、犬や狼や樋熊といった動物も重要な役割を演じます。寒さと飢えという切実な苦しみが自分の身に起きた事のように伝わって来ます。『影と閃光』『世界が若かった時』幻想分野の作品群で、透明人間を目指したライバル同士の熾烈な戦い、夜毎自らの意思に反して野獣に変身してしまう富裕な実業家、と魅惑的な物語世界が展開します。『メキシコ人』『一枚のステーキ』著者お得意のボクシング小説です。場内を埋める観客のように興奮に我を忘れて没頭し、頁を繰る手が止まらなくなります。前者では人間の強靭な意志の力に畏敬の念を抱かされ、後者では老いて下り坂になっていくチャンピオンの末路に哀感と憐憫の情が込み上げて来ます。本書を読んで著者の重厚な作品の虜になりましたので、他の作品集も探して読みたいと強く思っております。
・「ヘンリー卿ひとりで」
ヘンリー卿の放つ言葉は、僕の中の常識とか、偏見とか、その他のつまらないもののすきまを通り抜けて心のそこあたりに落ち着いた。デカダン、とか、快楽主義とかそのような言葉で何かをまとめ、縛り付けるのはとても危険だと思う。危険だというか、個人的には気に入らない。皮肉とか、逆説とかそんなんもんでもなく。
物語についてだけど、僕がすごっく気になったのは、ドリアンが全然魅力的じゃないってこと。ドリアンの会話はあんまおもしろくない。というか、会話の面白さ、機知の多さもすべてヘンリー卿に集約されている気がする。んなわけで、ヘンリー卿が登場するシーンは尚際立つ。オスカーの策略なのかも。でも、現代を見ている限り失敗。オスカーが思うように時代は動いていない。(オスカーについては全然知らんから、ヘンリー卿のがきっと適切。でも、本音はヘンリー卿の口から出してるとおもう。他のオスカーの作品もどうも彼が本気で書いているようには思えなかった。お金のために書いたんだ。あれは。きっと。)”時代を動かすのは人格”なわけだからしょうがないと思うけど。退屈な退屈な。本は面白かったです。いや面白いのは小説なのが問題だ。
・「「悲しみは見せかけ、心と顔は別物」」
友人バジルによって仕立てられた一枚の肖像画、そこに湛えられた限りなき美によって己に潜む果てなき崇高を知るところとなった主人公ドリアン。 かぐわしき青年と肖像画の間に取り結ばれた奇妙な契約関係、いかなる罪を重ねども、年月を経れども、彼の穢れと老いはすべて絵画によって引き受けられ、男は不滅の美貌を表現し続けることとなる。この関係、すべて世に産み落とされた罪人と無辜の神の子イエスのそれに似る。 しかし、人間にとって美はあまりに過酷なもの、その重みを前にしてついにドリアンは…
芸術の気品に比して人間存在の耐えがたき軽さを諭すかのように、登場人物が過剰に淡白に命を失する物語の展開もさることながら、この小説においてあまりに圧倒的なのは、序文にはじまり細部に至るまで、これでもか、と繰り出されるアフォリズムの数々。プロットなどはるか後景に追いやられ、ワイルドのモノローグが濃密に畳みかけてくるそのさまには、もはや述べるべきことばを失う。 この小説に見出されるべき壮絶なる文学史の系譜、例えばダンテ、ヘルダーリン、ゲーテ、ノヴァーリス、無論文中に組み込まれたシェイクスピアも。あるいは、三島の『金閣寺』やドストエフスキーなどが連想されることもあろうか。 翻訳はややもすると生硬、しかしそのような点をはるかに凌駕して、偉大なるロマン主義の王道を邁進する疾風怒濤の傑作。
・「あなたも堕ちてみませんか?」
音楽・映画・文学などあらゆるジャンル、新旧を問わず、最も影響を受けた作品の一つだと思います。この小説はなんといってもヘンリー卿(オスカー・ワイルドそのもの)の存在感が強烈です(登場していないシーンでも存在感を放っているほど・・・)。彼は現代に生まれていたらほぼニート扱いで、まったく相手にされないような口達者なだけの男かもしれないですが、作中では歩く金言集といえるほど、不道徳でブラック・ユーモアたっぷりの名言を連発し、やがては絶世の美男子ドリアンを破滅させます。『「美」は「天才」の一形式である・・むしろ「天才」より説明を必要としないのだからより高次なものである』とかドリアンにのたまうわけです。実際的で合理的なことを嫌い、道徳心などかけらもなく、さらにはニヒリストで、ただただ頽廃的美学に身を任せることを愛する人に最適の本。
・「デカダンス」
唯美主義とヒューマニズムの葛藤を軸に、誘惑的に描かれている。読んでみて率直に感じたのは、快楽主義やデカダンス自体が罪なのではなく、その行為によって誰かを傷つけることが罪なのだということ。そういう意味でも、シビル・ヴェインの場面が切なかった。芸術か?恋か?読みやすく、それでも深く、様々な要素が入っていて面白い。
・「唯美主義のように見えて社会派?」
逆説的な警句で上流の人たち(階級的な意味だけでなく、美青年ドリアンや芸術家バジルなどの才能の上流人も含む)の歓心を買うヘンリーは、なんとなく「資本」という感じがした。常識を反転させた悪の論理で人を魅了しながら蔓延っていくからだ。
解説の佐伯彰一や、「千夜千冊」の松岡正剛などが言うように、ゲイであった唯美主義者ワイルドが美青年の悪徳を描いた作品であるのにかかわらず、この作品にはそういう意味での官能性は薄い。そして、それは、欠点じゃなく美点なのだろう。これは社会派小説なのではないか。
・「フランス文学の香り、挿絵も丁寧で好感がもてます」
フランスの作家が書いた小説
この小説は子供のころに単行本サイズの本で読んだのですが、この新書サイズの本になってよくなっているのはまず、挿絵が20ページぐらいに1ページ分ぐらい入っているのですがそれがとても素敵です。フランスの雰囲気がとても感じられる挿絵が入っています。また訳者が良いせいか、とても読みやすくリズムを感じます。お年をめした訳者の場合、直訳や文語調になって読みにくくなることもあるのですが、全くそんなことはありません。また、この時代の時代背景を説明する解説が章の終わりについていて、その点もとても親切です。
記憶の中の、あぁ無情はもうちょっと長い話のような気がしていたのですが子供向きにはこのような内容だったかもしれません。
ああ無情はいろいろな出版社から出ていますが、丁寧に作られたこの本は、お値段もお手ごろでお勧めではないかと思います。
・「子供向けですが、」
世界一短い手紙をやり取りしたことでも知られる作家ですね。本は売れているか?と言う意味で出版社に出した手紙の内容は「?」。それに呼応し、出版社が出した手紙は「!」空前絶後の売れ行きである事をヴィクトール・ユーゴーに知らせたもので、フランスの国民的作家だったそうです。(映画カミーユ・クローデルの1シーンに、 確かロダンの愛人ローズが「ユーゴの葬式(国民葬の様なもの)に出る、出ない」と揉めたシーンがある)
・「泣いてください」
ああ無情、フランス文学では、レ・ミゼラブル。何とも言えず悲しい物語です。コゼットに対するジャンバルジャンの愛が見られますが私にはやはり少し悲しい結末に思われました。小さい頃に読んだ本をあらためて読んでみると感動があります。
・「まさに予言者、素晴らしい!」
現代の分裂型自己愛人格障害人間がまかり通るとんでもない社会を予見してますなぁ…。このタイプこそ人間の敵なのに(世界の何処にでもあるバンパイア伝説〜雪女とか〜こーゆー変質者に気をつけろって事ですよね)、今やメインの人々ですもんね…。テレビケータイパソコンが完全にホモサピエンスダメにしました。小説書こうと思ってたけどリラダンが全部書いちゃってるんで止めます。素晴らしいの一言!私の読んだ小説中のベストです。
・「反俗孤高の寓話、高貴なる古典の調べ」
復刊以来、静かに版を重ねているのは意外にもリラダンファンが多いことを示している。「人造人間の創造」というミステリアスな題材や絢爛たるレトリックに惹かれるのだろうが、その内容は深い思想的考察を核にした一筋縄ではいかぬ寓話である。
主題は大きくわけてふたつ。まず青年貴族エワルドの純愛を軸とする「理想」の探求だ。女性の美しさとは? 魅力とは?……を起点に、前半、天才科学者エディソンとエワルドが弁証法的対話を展開。人間性の深奥まで踏みこんだ女性論や恋愛論をかわし、また人生観から芸術観、時代認識をまじえるなど、ふたりの会話を通して稀有な美意識や軽やかな機知、反俗精神に満ちあふれたリラダンの内的世界にふれることができる。
さらに19世紀後半、長足の進歩をとげた科学に対する辛辣な風刺だ。それまでの論議をもとにエディソンはエワルドのために「ハダリー」という理想の人造人間を創るが、「近代科学と天才の華」はいざ誕生してみると、本来の役目をほとんどはたさず船火事で海の藻屑と消える運命に……。
その完璧な創造物を海底深く葬り去るところに、科学万能社会やブルジョワ的功利主義、物質主義を呪い、冷笑し続けた孤高のリラダンが透かしみえてくる。それは現代への頂門の一針、黙示録的な啓示としてとらえることもできよう。
「形而上学的芸術作品」と作者が冒頭で説明するように、豊饒なる思想とイメージの奔流には圧倒されるばかり。それも隠喩や象徴表現、逆説的言い回しなどが多く、なかなかの難物だ。
また、彫琢された言語の神秘と、高貴な精神が織りなす古典の調べは酔わせるものがある。古格な名訳がテクストの生気、機微、風韻をありのまま伝えており、時間があれば熟読してその真髄をあじわいたい。
・「あまりに痛い設定が笑える。」
女としてパーフェクトな肉体を持つけれど心が邪悪な娘さんがいた。その娘さんの美しい肉体は好きだけれど心は嫌いだ、という青年がいた。
二人は一応付き合っていたが、青年は娘さんの心身の矛盾に耐えられなくなり、知人である発明王エディソンに対して「僕、自殺してやる〜」と騒ぎ立ててみせる。
エディソンは昔青年に恩を受けたことがあるため、青年を不憫に思い、「その娘っ子と全く同じ機械人形を仕立ててやるから死なないでおくれ」と止め、あくまでも死のうとする青年と、それを止めようとする発明王の丁々発止の言い合いが続いてゆき、そして……。
痛すぎる……だが面白い。ストーリーはシンプルだが、人物の心情描写がねっとりとしていて凄く濃厚。
あと、パーフェクトな人造人間を恋人にすれば現実の人間を恋人にして苦しむ必要がない、という論理には現代サブカルチャーと非常に近いものがあると思う。
今の世には極めてまれな、正字正假名遣ひの口語が堪能できるのも美點である。これは失はずに殘しておきたい。
・「――幻!幻!風子!」
かくも悍ましき形而上学的芸術作品たる「未來のイヴ」私わ冒頭のエディソンの独白部や中盤に於けるハダリ生成云々の類に隠忍しつつも割とはやいペースで読めたので、読後の壮快感・高揚感ときたら名状し難いものである。仮名遣いや漢字表記の特殊性については序盤こそ戸惑うものの慣れてさえしまえば、幻想的な風趣を生み出す要素に成り変わり、外見をも神的なそれへと昇華させる。 時代の申し子たるリラダンはどのような思いで本作品を生み出せたのか謎だが、夜の牧歌での大告白、人間辞職宣言のシーケンスに私は熱い情感が滾りつい笑みが零れた。耽美的な様相に好悪分かれるだろうが、人造人間モノ好きには堪らない内容なので是非一度。全ての妄想度の高きイデアリスト達へ
・「アイロニーとパラドックスとイノセンス」
イノセンス冒頭のことば。あれはエディソンのことばだったんですね。旧仮名・正漢字で多少驚くかもしれませんが、読んでいけば慣れます。トマスさんはどえらいよく喋ります。この人は女性を毛嫌いしているわけでも、ヘテロではない、というわけでもない。ただ、やはり男性という、女性とは違う存在なので、どこか異質なものとみなす点もあり、また、愛する点もある。けれども彼の、女性への愛は、毒をはらんでいた。結局、『彼女』を殺してしまった。(図らずとも)と私は思った。攻殻機動隊 風に言えば、彼はAIを作った訳ではなく、義体のみ作っただけであった。ただ地下室のハダリーと、地下空間の描写が美しい!!!読んで悔いなし!
・「高校生だって読める」
ヤスパースといえば近年、大澤真幸や仲正昌樹が各人の負う四つの罪という彼の概念に着目したところから少々話題になっている。本書はそんな彼が生前、一般リスナーに向けて語ったラジオ講演「哲学入門」を文字に起こしたものだ。もともと語りであったためにだろうか、哲学書としてはめずらしくですます調の、優しく語りかけるような叙述が続く。おまけに訳もわかりやすく、新潮社版は字がデカくていい。
本書は、哲学とは一体何なのか、哲学するとはいったいどういうことなのかという哲学への根源的な問いから始まり、科学や宗教との違いへと、話が広がっていく。そのように哲学一般(それは構造主義以降の「反哲学」的な哲学を除く)を解説しながらも、著者独自の哲学もそこには挿入されている。「包括者」という、主体と対象の関係以前にある存在というのが、彼の実存主義哲学における一つのキーワードのように読めて、そこは難易度が高い。しかし、基本的には読みこなせる内容になっている。
本書ではギリシャ以来の哲学の流れも包括的に解説してくれるのだけれど、最終的に著者は、カントの哲学もヘーゲルの哲学も、それらはみなカント、ヘーゲルで終わっていると言う。カントやヘーゲルの哲学を学ぶ者は彼らの哲学を学ぶのではなく、彼らを下敷きにしながらも、みな自分固有の「ここ」と「今」の哲学を紡いでいかなければならない、ということだ。
高校生でも大学一年生でも読める。ぜひ早めのうちに出会っておきたい一冊。
・「ヤスパースの形の「知への愛」」
きっかけはハンナ・アレントの「暗い時代の人間」を読んだことで、あの評論集によって外部に自分を開いていく、という行為とその内容・意義がはっきりし始めた。その本でヤスパースは二章に渉って紹介されていた。その姿はアレントの恩師だっただけのことはあって、とても魅力的に描かれていた。以来、機会があればヤスパース自身の論考を読んでみたいと思っていた。
タイトルは「哲学入門」になっているが、決して哲学に就いての普遍妥当な教理が打ち建てられている訳ではなく、あくまでヤスパース自身の問題意識の反映としての「哲学十二講」といった趣だ。その語られる内容の中に「神」が重要な位置を占めている部分など、哲学に関するお手軽な定義集を求める読者にとってはあまり役に立たない代物ではあるだろう。自分はヤスパース自身の思索の道程を辿りたかったので、その意味では非常に読みやすく、実に対話的に出来ている一冊だと感じた。
哲学が始まる地点に就いての洞察、「驚きから問いと認識が生まれ、認識されたものに対する疑いから批判的吟味と明晰な確実性が生まれ、人間が受けた衝撃的な動揺と自己喪失の意識から自己自身に対する問いが生まれる」とするくだりや、哲学の振る舞いとしての「見る・問う・考える」の三つの作業、その帰結としての「示し得られる・開明できる・想起されうる」の三つの態度、十一章の終わりの、海を渡る蝶のたとえ、最終章の末尾の、現在を輝かせること、過去と未来を現在性によって輝かせ、そのことで現在をより輝かせよう、とする部分など、どのページにもヤスパースの明晰さと知への、そして勿論人間への愛が、読む者を目覚めさせようと息づいている。
対話すること、他者と交わること、それが自己を意識し、構成していこうとする営為にとって不可欠であることを、こんなに納得させてくれる論者は今までいなかった。どこかしら、なにかしら強権的・抑圧的にしかものを語れない・聞けないのが今の時代の文法で、そんな中にあってこの本は自分に「哲学すること」に就いての一つの展望を開いてくれる。
・「感動しました」
僕は現在大学生で、哲学の講義のない大学に通って、そこの図書館で独習で哲学に取り組んでいます。
ソクラテス以前の哲学者から始めて、プラトンときて、ショーペンハウアーにびっくりして、そこからデカルトを経て、そろそろ最近の人をかじってみようと手にとったのがこの本でした。
手にとった理由は、この人の『デカルトと哲学』という本を読んで頭に名前が残っていたからというだけなのですが、それにしても読んでよかった。
内容は一見難しいようですが、用語の解説みたいなのが載ってる本(僕は岩波新書の『実存主義』を見ながら読みました)を片手にやれば、難しいのはだいたい用語(現存在とか実存とか)だけということがわかると思います。
そして一旦内容がつかめ始めたら、あとはもうこの人の誠実でまっすぐな考え方に心をざくざくやられることだろうと思います。「人との交わりの中にしか真理は存在しない。」哲学者の人にそんなこと言われると元気に頑張ってみたくなるものです。
レビューというよりもただの感想になってしまいましたがこういう感想も持てる本だということでご了承ください。
・「Philosophie」
この本は単なる哲学の入門書ではなくて、Karl Jaspersの哲学を一般人に周知せしめる書であって、一般的な哲学入門ではありません。だからTomas Nabel“Was bedeutet das alles”などとは大違いであるし、中島義道『哲学の教科書』とも全然違う。
・「俯瞰的な視点」
ラッセルの哲学入門も読んだのだが、同じ題名でも視点は全然違いました。哲学するとはどういうことなのかを知るにはおすすめできると思います。様々な哲学者にも触れ、幅広い内容です。ラジオ講演を基礎としているので語り口調に感じました。
・「ゲット・バック!」
犬が喋らないだけまだましな子供騙しのSF。ヒッピーを犬に置き換えたということでしょうか。
・「癒しを求める動物愛護論者とペットオーナーは読むべき」
厳しい自然の中で生死を共にする人間と動物の関係は、生半可な関係ではなく、下手な同情はお互いにとって不幸にほかならない。動物たるもの、野生の本能を必ず秘めており、いつ人間に牙を剥くのか分かったものではなく、それが至極当たり前。今の動物愛護論者、今はやりのペットオーナーさん、犬の散歩を怠らない規律を強いたり、おしゃれさせたり、それって人間の戒めや満足であって、一体動物はどう感じているのだろうか?喜んでいるのだろうか?このままでは、いつか動物は人間を超え、牙を剥くのではないか?人間は全てを超える生物でもない。動物とはいえ上から見下ろして自惚れてはいけない。人間が動物に癒しを依存してはいけない。人間が動物に甘えてはいけない。
・「バックの堅実な生き方に涙」
アメリカの大小説家ジャック・ロンドンの出世作で現在でも多くの読者を魅了し続けている原題『THE CALL OF THE WILD』です。
冒頭「バックは新聞を読まなかった」から始まっているため、バックは人間?と思い込んでしまいますが、ここではセントバーナードとシェパードの混血犬が主人公です。
陽光なカリフォルニア州サンディエゴでペットとして飼われていたバックが厳寒の雪国で繰り広げられる壮絶なドラマです。ペット犬が徐々に野生に移り変わる様子がひしひしと描かれていて、最後はウルフの群れに向かい入れられるまでになる。それでもバックの信頼できるご主人でもあるジョン・ソーントンとの絆が切れることはなかった。
この作品はジャックが1897年にゴールド・ラッシュに沸くクロンダイク流域(カナダ)で約1年間過ごしたことが題材になっている。多くの犬ぞりが富を求める人間のために駆り出される光景を、イヤと言うほど目の辺りにしたジャックが、読んでいくうち伝わってきた。最近(2007年)同題で映画化されているが、原文とかなり違っていた。
でも実際にはウルフと犬が共に群れをなすことが可能なのかはわかりませんが、弱肉強食としての自然界の掟を考えれば、圧倒的な強さのバックにウルフが服従することは可能な気がする。ただ、バックの場合は強さだけではなく、それまでの幾多の経験を身に付けながらスマートな考えが備わったところに超人(超犬?)になったのでしょう。
子供から大人まで楽しく読める本ですのでお薦めします。
・「ロンドンの道徳論」
バックの雄々しさ、橇犬たちの使命への忠実さがあり、棍棒と牙の掟がある。ソーントンという人間への強い愛情と忠誠心は、猟犬たちの道徳とも捉えられると思う。
ジャック・ロンドンは、橇犬を題材に、道徳を描写した。彼の小説は完成度が高いと評価されるのは、ストーリーが完結している点や、的確な表現・物語展開にあるのみならず、橇犬の道徳を小説の中で形にしている点にもあると思う。私はこの作品をロンドンの道徳論とも捉えたい。
その道徳は、独特だ。厳しい自然を生き抜く者たち(ここに人間や動物の区別はない)の、生き抜くための鉄の掟だ。
・「復刊を熱望!」
全くの予備知識なしで読んだので、「犬が主人公」であるという設定は、実に新鮮だった。 アメリカ南部の豪邸で、贅沢な暮らしをしていたバックは、屋敷内にたくさん飼われている様々な種類の犬たちを統括するボス犬として、何一つ不自由のない暮らしをしていた。 だが、賢かったこと、立派な体躯をもっていたこと、が裏目に出た。 ある夜、バックは、屋敷から無理矢理連れ出されてしまう。 バックが連れていかれたのは、北の大地、アラスカだった。
大型犬はあまり好きではなかったが、バックのような犬なら飼ってみてもいい。不遇の状況に臨機応変に対応していける逞しさをバックはもっている。
昔から語り継がれている物語は、やはり読むだけの価値はある。 お母さんが子供に読んであげてもいいだろう。
早期復刊を心から望む。
・「理想の国に住む人ではなく、「人間」を描いた童話集」
「幸福な王子」は、あまりにも有名。それは子供用に改訂し易かったからだろう。
特に「若い王」では、「幸福な王子」で描き切れなかったことが描かれている。恵まれた者が富を投げ捨てても、本当の意味で救済にはならない。為政者とは下々の者の悲哀まで背負わなければならない職業である。王冠は常に涙と共に在る。また、それを知った者にこそ相応しいものである。
「ナイチンゲールとばらの花」「王女の誕生日」は似た色合いで、無私の愛を受け取る者が、それを最上とする訳ではない、または気付かない、という話。愛は美しく残酷なもの。他者の心を求める限り、同じ物が返ってこない危険性は常にある。
「わがままな大男」は、ひとつの「導き」の話。「忠実な友達」「すばらしいロケット」は皮肉に満ちた傑作。周囲の人に当て嵌めてみるもよし、自分を振り返るもよし。「漁師とその魂」は、人にとって大切なのは何かを考えさせる。知恵、富、肉欲。そして愛。どれも永遠ではない。「星の子」は、「わがままな大男」以上に宗教的であり、教義的な物語。ちょっと教条的過ぎてつまらない。
あとがきには、ワイルドの童話に対する辛辣な批判も引用されているが、評すべきは作品であって、作者ではない。もしも純朴な農婦などが書いた童話であれば、違った評価をされただろう。「センチメンタリズムとペシミズム」とバッサリ斬られているが、それこそがロマンチシズムではないだろうか。
・「短編集。」
『幸福な王子』など、9つの短編が収められている本です。
救われないような終わり方をしている作品が殆んどですが、「富」「美」「愛」など、考えさせられる内容の作品ばかりでした。
読んでみて思ったのは、やはり『幸福の王子』は素晴らしいということです。
『ナイチンゲールとばらの花』も、切なく、現実の酷しさも描かれているため、とても心に残りました。
個人的には、この2編が星5つで、他の作品は星3〜4つといったところです。
総合的な評価としては星4つです。
・「正直者を餌食に、進め」
清く美しい童話、というイメージがあったオスカー・ワイルドを再読。収録第一作目「幸福な王子」は記憶通りであったものの、以降「ナイチンゲールとばらの花」「わがままな大男」「忠実な友達」...と読み進むうちそのイメージがどんどんと傾いてゆく。読み終わってみれば結局、狡猾で自己中心的でわがままな人々が正直者を餌食にし、その屍を踏みつけ乗り越えて能天気な暮らしを続行してゆく話のオンパレード。考えてみれば「幸福の王子」とてそのパターンの一亜種なのであった。なんとシニカルな童話集だろう!著者オスカー・ワイルドとは一体どんな人物だったのか、関心が湧いてくる一冊であった。
・「オスカー・ワイルドの手による寓話集」
「サロメ」や「ドリアン・グレーの肖像」などで有名なオスカー・ワイルドの童話集。表題作は子供向けにリライトされたものが流布しているので、そちらを知っている方も少なくないでしょうが、こちらが原作です。童話といってもむしろ寓話的要素が強く残酷な内容も多いので、子供向けというより大人のための童話集でしょう。
・「大人のための耽美な童話」
これらの童話には、救いのない結末をむかえるものが少なくない。この中で、子供にも「納得のいく」終わり方をしている作品は、二本あるかないかで、他は皆残酷な結末を迎える。それらの残酷さは、人間の醜さ・傲慢さなど、どこにでもあり、どこにでもあるからこそ童話の中では見たくないものによって齎されている。いわばワイルド流のカリカチュアのようなものだろう。
救いの無い世界を、そのまま写し取った残酷童話と読む事もできる。しかし私は、現実の社会を見詰め、その汚さと向き合ったワイルドが、「聖人君子のようには生きられない。それでもその醜さ・傲慢さを含めて、人は美しく・愛しい」…そんな風に言っているように感じる。
彼独特の、過剰なまでの「美」の描写が少々くどいと感じる人もいると思うので、星は四つ。それでも物語の筋を追うのに邪魔になるほどではないし、幻想的な童話の世界へといざなう役割を十分に果たしている。忙しない世の中、耽美な世界を楽しみたい時には、おすすめ。
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