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私の個人主義 (講談社学術文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)
「思想の冒険家・夏目漱石。」「義務と自由と個人主義」「基本的な社会の仕組みを鋭い洞察で適格に分析し、問題の所在を明らかにし、我々が生きる道の基本原則を提示する人生の指南書」「700円でこんな面白いものくれるの?」「現代人にとっても、価値ある一冊」
こころ (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)
「私の一番大切な本」「利己心と誠実さとの葛藤」「★★★☆☆」「「明治の精神」」「鉄人823号」
坊っちゃん (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)
「いまさらレビューを書くまでもないですが」「坊っちゃん」「共感する。」「清への思い」「日本文学史上の名作か?」
こころ (集英社文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)
「自分の肥大化。」「読んで唖然としました。」「先生(主人公)と絶望を共感した」「今さらながら、読んで良かった。」「FRAGILE 」
吾輩は猫である (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)
「文章読本として最高。明治時代の知識人の日常生活がわかる資料的な価値もある歴史書」「漱石作品の奥深さ」「@@」「今でも笑えるユーモアのセンス」「何度読んでも飽きない」
中原中也詩集 (新潮文庫) (詳細)
中原 中也(著), 吉田 ヒロオ(著)
「山口県にある湯田温泉に行ってきました」「人生がちょっと変わった」「狂おしさと、愛おしさと。」「やばいです。」「生まれながらの詩人」
それから (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)
「偶然にも敬愛する先生も今,夏目漱石を読まれている。。。」「漱石の「高等遊民」に憧れて!」「100年前のニート大いに語る」「個人主義の台頭」「内容に言及しています、」
「ディープな東京を散歩したくなる。」「こういう思索の飛翔があっていい」「東京のフィールドワークがしたくなる本」「感動します」「東京って湿地だったんだ。」
吾輩は猫である (岩波文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)
「我輩は犬である」「なんなのだこれは!」「漱石夏目」「送籍先生」「現代仮名遣いと新字体で読み易い」
文鳥・夢十夜 (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)
「小品」「「文鳥」は読んでいると胸が痛みます。」「生々しい漱石の闘病生活描写(「思い出す事など」ほか)」「文鳥」「正直に言って・・・」
● 2009年、血となり肉となった本(エッセイ・ノンフィク)
● 中学生はこれを読め!第3回本屋のオヤジのおせっかい - 13/20
● 中原中也
● 人類史の相対化
● 読みたい小説家
● 東洋経済「古典」特集・東洋・日本の思想、経済、政治、社会
● 高校生の本棚
● 気の向くまま。
● 「大学新入生に薦める101冊の本」“時代を超える基本教養”
● お薦めの純文学
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・「思想の冒険家・夏目漱石。」
小説家としての漱石以上に、思想家としの漱石に魅力を感じている。この『私の個人主義』から、漱石の考え方を直接、学ぶことができる貴重な1冊である。
2001年8月10日、NHKラジオ第1で放送された「21世紀に読む漱石」のゲスト・寺島実郎のイギリスから20世紀を持ち帰った男・漱石の話と、「私の個人主義」(1914年)の講演を声優・銀河万丈の声で聴いて内容にも魅了されました。
「道楽と職業」から、大好きな分野を個人的に学ぶ楽しさと、他人へのサービスとしての職業を考えることは、現代社会でも通じる内容です。
漱石の『私の個人主義』は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』(1941年)、オルテガの『大衆の反逆』(1929年)に匹敵するほどの内容の講演と思います。 時代を先取りした思想家・夏目漱石の言葉が、時代を超えて受け継がれることを祈ります。
・「義務と自由と個人主義」
夏目漱石の講演録。小説はほぼ読んだはずだが抜け落ちていた。感想は「見事」の一言、『草枕』の冒頭「智に働けば・・・情に棹させば・・・」を彷彿とさせる、神経質ながらも禅的、洒脱な話に聴き入ってしまった。「道楽と職業」にしても、学習院で行われた「私の個人主義」にしても、100年前の講演とは思えないほど示唆に富んでいる。個人主義に関して、最も感銘を受けたのは次の言葉、あえて引用しておきたい。
・「基本的な社会の仕組みを鋭い洞察で適格に分析し、問題の所在を明らかにし、我々が生きる道の基本原則を提示する人生の指南書」
我々の仕事とは、「人よりも仕事を一倍して、その一倍の報酬に自分に不足した所を人から自分に仕向けて貰って相互の平均を保ちつつ生活を維持するp.19」ことであるから、我々は皆仕事の上では「プロ」でなければいけない。「生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしてp.138」いたくなければ「進んだってどう進んで好いかわからないp.140」中を、「仕事をして何かに掘り当てるまで進んでいくp.141」必要がある、そこで「もって生まれた個性がそこにぶつかって初めて腰がすわるp.141」ことで「幸福と安心が持たらp.141」される。自分探しでうろうろしていないで、一つの仕事をとことんまで突き詰めるべきという漱石の言葉は本当にシンプルな人生の基本を示している。
・「700円でこんな面白いものくれるの?」
夏目漱石の講演を文章に起こしたものです。
身近な題材を出して分かりやすく書かれていますが、どんな人にも面白いと思わせるであろう高度な内容です。
特に「現代日本の開化」は平成の世になった今でも色褪せぬ輝きをもって読まれることでしょう。このお話の持つ現代性はものすごいものがあります。今の日本の姿を考える際に、土台として活用できます。100年近く前の文章なのに!!
よく学校の教科書に収録されていますが、高校時代にしっかり読まなかった方の復習に、是非お買い求めください!!
個人的にはこの本の(学術文庫の)書体も好きです。読みやすい字ですね。
漱石の講演をじかに聴いてみたかった。生まれた時代を恨みさえさせる本でした。
・「現代人にとっても、価値ある一冊」
高校で初めて『私の個人主義』とであって、それ以来とても好きになった一冊です。夏目漱石の日本人や日本社会に対する鋭い観察力は時代の垣根を越えて今なお生きています。現代日本は金と権力を過信し、それらを盾に物事を決めようとしています。これに警鐘を鳴らす漱石の先見性は大したものであります。 現代社会に対して不満の持っている方、自分が何をすれば良いのかよくわからない方、こういう方々はこの本を是非一回読んでほしいと思います。
・「私の一番大切な本」
この本を初めて読んだのは多分数年前である16歳頃だったと思う。少し古めかしい言葉で読みにくさを感じたが、それを気にしなくなるぐらいに内容に引き込まれた。本に引き込まれるというのはこういうことをいうのだと思った。 とても言葉では説明できないが、この本には人間の虚しさ、悲しさ、孤独、罪、懺悔、若々しさ、苦しみを抱えながらも1日1日を生きる、賢くも悲しい人間、それらが詰まっているように思う。 人の虚しさをひしひしと感じる本だ。 今新たな気持ちでこの本を読むと、昔と同じような、人の虚しさに直面した気持ちを抱くとはまた別に、「先生」の苦しみ、書生の青い若さ、 それらが心の中にスーッと入ってきて、フラットな、だがどこか深い奥底で、自分がまた人生を、そして人間を、深く考える材料(?)になるような気持ちになる。決して何か答えをくれるわけではないが、非常に心がいろんな意味で豊かになる本だと思う。 こんな気持ちになる本は、最初に読んだときから今までにも、この本しかない。 私の人生で大事にしていきたい本のひとつだ。
・「利己心と誠実さとの葛藤」
私が初めて読んだ夏目漱石の作品は、「坊っちゃん」、次が「吾輩は猫である」で、「こころ」は3冊目に当たります。先の二作品は一言でいえば、「愉快・痛快」という感想を持ちましたが、「こころ」は「重い」、「陰惨」といった印象でした。そして、この作品を自分なりに解釈できていないという想いがあったので、間隔を置いて私はこの作品を3回読んでいます。 読む毎に、印象に残る箇所は異なりますし、印象自体も異なりました。最初に読んだときは、Kの過度なまでにストイックな言動(「向上心のない奴は……」)、先生の「鉛のような御飯」という表現、Kが自殺した後の一連の描写が印象に残りました。2回目では、主人公と先生のやり取り、先生の奥さんの悲しげな言動、そして先生の世捨て人のような生き方の描写に関心が移りました。3回目では、なんとなく全体を俯瞰するような感覚で読んだように思います。 現時点でのこの作品に対する感想は、「恋愛」に現われる利己心、己を律しようとする「誠実さ」、いずれにせよ、「こころ」の作用が過剰になったが故に破滅に至る「個人」の姿とは、痛々しくひ弱なものだということ、そしてそのような姿を、主人公と同じ視点で読ませる設定は巧いということ。
未だ、「こころ」という作品はどこが面白いかよく分からないけれど、なぜか惹きつけられてしまいます。今後も読んでゆくこととなるでしょう。
・「★★★☆☆」
読み終わるまでかなり苦痛でした。お話自体は良いのですが、退屈でした。「もうどうでもいいわ・・」と思いながら読んでました。遺書の長いこと・・。長すぎます。しんどかった。疲労感のほうが大きかったです。
・「「明治の精神」」
漱石が書こうとした「明治の精神」とは何だったであろうか。『こころ』においては、登場人物の三角関係云々ということがよくいわれる。『こころ』は、現代日本人の現代日本人的読み方では、到底読んだことにはならないであろう。「明治」とは何か。明治という時代が、日本にとって、どれほどの危機だったかということを、現代日本人は知らないし、教えられない。国家存亡の危機であると同時に、日本精神の危機でもあったこの時代に、英文学者として西洋を知った漱石が、それを知った上で「日本」というものを徹底的に考えたのが、本作である。そしてその葛藤と慟哭を描いたのが、本作である。だからこそ、日本文学史上に、『こころ』は確固たる地位にあるのである。『こころ』は、日本の歴史精神と深く通じている。真の日本の歴史は、戦後極端に歪められ、それは今も歪められ貶められ続けているのである。そして明治の危機は、現代において再び、未曾有の危機として訪れようとしているのである・・
・「鉄人823号」
確かに一昔前は傑作かも知れないが、文体が明治時代(又は戦前)で現代人には非常に読みずらい。これじゃ一部の人間しか読まないね。
・「いまさらレビューを書くまでもないですが」
言わずと知れた夏目漱石の代表作のひとつであり、中高生にとっては必ず読む本といってもいいかも知れません。小説の入門書という感じですし、夏目漱石こそ小説家の代表でありますので、やはり、その作家の代表作であるため、日本人であれば、必ず読むでしょう。松山と言えば今は、坂の上の雲で話題となった、秋山兄弟や正岡子規が少しブームですが、決定的に有名にしたのは坊ちゃんであり、夏目漱石でしょう。最近では、「鹿男あをによし」も坊ちゃんの話をモチーフに作られています。先生と悪戯な生徒。武田鉄矢の金八先生、中村雅俊のゆうひが丘の総理大臣等のこの本の影響が残っているのでしょう。ドラマで学園ものが流行るのもこの小説の影響だとおもいます。子供の頃には、当時の時代背景等もわからないままに単に面白い学園ものの小説のように思いましたが、今は時代ものもあり、松山の当時の様子も生き生きと描いております。道後温泉はいろいろな影響を与え、市電もバンバン走っています。ひっそりとしたターナー島(おそらくそうでしょう)もあり、気がつけば、東京ラブストーリーのロケとなった駅も発見してしまいました。いろいろな逸話を想像させることがあり、夏目漱石が松山にいたことにより、正岡子規との掛け合い漫才のような時期もあったのを思い返せます。今は読み返す気もないですが、ドラマ(中村雅俊、岡本信人等)、アニメーション(モンキーパンチ原画)等もあり、楽しみました。都会から田舎へ、また手紙を読む形で物語を展開する等の手法ものちの作家にも影響を与えており、文体も生き生きとしており、ストーリーが読み切れない「吾輩は猫である」とは違い、読みやすく、単純、明快である。一部分ではサスペンス的なタッチもあり、人間の裏表もあらわし、ハッピーエンドチックでありながら、何か虚しさも残す等、辿りやすいです。子供は勝手に読むでしょうけれども。不思議とこの本を人生の一冊とする人は見当たらないようです。「こころ」「三四郎」「草枕」等が心にしむ?のでしょうか。ちょっと気恥ずかしい感じがあるのかもしれません。位置づけが実は難しい小説かもしれません。
・「坊っちゃん」
大人になった今、改めて文学に挑戦しようと思いましたが 読みどころが掴めずに終わってしまいました。 表現が難しかったり、 登場人物がぐちゃぐちゃに なってしまったりと、途中何度も挫折しかけました。 いつかまたリベンジしようと思います。
・「共感する。」
今まで読んだ漱石先生の作品の中では一番好きである。
赴任した土地に全く馴染めず、人や物に不満たらたらの坊っちゃんに妙に共感した。こんな田舎嫌いの先生に来られたら土地の人は堪ったものではないと思うが、如何せん人間田舎は嫌なのである。適応力の有無に関わらず適応したくないのである。気持ちは凄くよく分かる。そうさせるのは江戸っ子の矜持なのだろうか。
無鉄砲な江戸っ子である坊っちゃんも、漱石先生ならではの神経質な性格を示しているが、他作品における神経質さほど気にはならない。むしろ今作独自の不思議な愛嬌を帯びているように感じられる。
坊っちゃんが復讐を遂げて松山を逃れる最後も哀愁漂っていて良かった。清への細やかな情愛にも好感が持てた。
・「清への思い」
この小説は松山に赴任した中学校教師の奮闘記…なんてものじゃない。そこだけ取ったらそんなに面白くないと思う。 キーになっているのは清への思い。坊ちゃんはいつでも清を支えにしている(そんなこと坊ちゃんは言いませんが)、清を自分の中心に置いていて、いつも気にかけていて…読者もそれを常に感じとる事が出来ていつも温かい気持ちになる。坊ちゃんも読者も常に心の中で清の存在をそばに感じるからメゲないし真っ直ぐ正直でいられる。親から愛情をあまり注がれず育った坊ちゃん(漱石も同様らしいですが)を、唯一温かく見守り支えてくれたのが清で、そんな坊ちゃんのパーソナリティーを見事に描いていると思う。 そして私は不覚にも毎回泣いてしまう。 こんなにサラリと書いているのに坊ちゃんと清の事で胸を一杯にさせてしまう漱石はやはり流石だと思う。
・「日本文学史上の名作か?」
私には残念ながら坊っちゃんの良さは分からない。分からないから3回読んだ。読めば読むほど分からない。
唯の金持ちの坊主が父親にも愛想を尽かされ愛媛くんだりまで流されていき、やりたいわけでもない中学教師をし生徒に同僚に、上司に、家主に近所の住人に、交通の便に、食事の風習に朝から晩まで不満ばかり垂れる。
世間知らずの中途半端な金持ちの小僧が地方を卑下し都落ちして、都落ちした自分を差し置いて周囲を卑下する。田舎の世間の狭さを罵る。何とも建設性もなければ清逸さもない。ガキの戯言で終始する。唯一の救いは元の使用人の老婆へ送る大いなる脚色を含んだ(故に愛情ある)手紙だけであろうか。
時代が違い不倫に対しての感覚は変わったかも知れない。しかしいわゆる女性を買うという行為は人類史上最初の商売と云われる位で少なくとも男性の側でその手の店に出入りすることを不浄などと云うのは「頭の固い者」という相場であった筈である。如何にその頭の固い者であっても、暴力に訴えかけ此を以て天誅と為すと云われても理解のしようがない。
いま、現実にこんな奴が面接に来たら絶対に採用したくない。人としての魅力をどこに見いだして良いのか分からない。
「こころ」は先生の考え方に違和感を抱きつつも結構好きな作品ではありますが。本作は私には駄作としか写りません。
・「自分の肥大化。」
心に負った大きな傷が、 今もわたしを苦しめます。 弱いわたしは、一生この傷を 癒すことはないでしょう。 他人に助けを求めるには、 私の中の自分というものが大きすぎたのです。
・「読んで唖然としました。」
先生は、連れ添う人とどうして自分の人生の深刻かつ大事なことを共有できないの?お嬢さんに無垢でいて欲しいからですか?Kを結果的に死なせてまで一緒になった人は、ただの無垢な女の人でしかなかったの?
どれだけ長く一緒に居ても、心を開けないの?妻の無垢さは何にも替え難いの?その癖、出会って日の浅い青年にはすべてを打ち明けてしまうの?青年が真面目である、というだけで?
先生の偏向した倫理観と意固地さは超弩級です。純愛よりも、小賢しい知識を用いてあれこれ煩悶するのがお好きなようです。お嬢さんに対して死ぬまで心を閉ざし続けることこそ最悪のエゴイズムなのに、先生はそれに気づきません。エリートって相当病んだ人種なんですね。
平成の人間の目には、先生のトンチンカンな倫理感が奇異に映ることでしょう。明治時代の人の考え方を知るための資料として読みましょう。
・「先生(主人公)と絶望を共感した」
人間嫌いな先生は自分も嫌いだった。それは自分が嫌う人間と同じように、自分も人を裏切ってしまうからだ。言い方を変えるなら、『エゴイスト』である人間に不信感を抱いていた先生は『自分もエゴイスト』だったことに気付いて絶望する。
人間の本質を表しているようだ。本文ではこのように書かれている。人は元々悪人であることはむしろ無いないのだが、急に悪人になるのだ、と。
しかしそんな自分に絶望する先生は人間らしかった。つまり理想的な人間を社会にも、自分にも求めるからこそ、そうでない現実に絶望するのだ。先生こそ実は純粋に理想を求め、純粋に私心(私欲)によってその理想を裏切ったのだ。前者はあくまで私心に劣るということだろう。つまり、やはりそれは究極的な意味で仕方ないのだろう。むしろ私心を殺してしまうことは、自分を殺すことになり、それはそれで先生も絶望したに違いない。先生の失敗は人間とはそういうものだ(結局道徳など本能的な私欲の前には劣るのだ)ということを理解しなかった点だと思う。強い理想は現実の前に砕かれ、精神を病む。人間とはさも素晴らしいもののように考えることを誤りだということに気付かせる作品だった。
・「今さらながら、読んで良かった。」
『こころ』を読んだのは、中学生のとき以来だろうか。そのときは、国語の授業の一環として語彙を暗記したり、「ここで先生はなにを言いたかったのでしょうか」といった類の意味(心理?)解釈を定期テストの対策として勉強した覚えがある。有名な作家で有名な作品。その他にはとりわけ印象には残らなかった。
日本の近代文学が何となく肌に合わなくて、食わず嫌いをしていたが、今さらながら読んでみて、なぜ素通りしていたのだろうと思った。同時に、中学生のときにわかるはずがないと思った。いや、国語の学習教材としても使われて、現時点で(恐らくこれからも)読んでもまた理解の仕方や感じ方が違う。この作品が時代ごとに読みつがれている理由の一つだろうか。今だと、漱石の上品な文体に感じ入るだけでなく、ある程度理性的にも理解できる。
漱石は近代的な人間の内面を鋭く描写したという定式的な解釈がある。それ自体は間違ったものではないとは思う。だが、実際に読むと、漱石や先生はそういったところに入ったまま、そういったところを突き抜けた地点で表現(解釈)するというある種の矛盾を両立させているように見える。すごく中立的に。そのためだろうか。本書は重いテーマではあってもとても読みやすい。深淵だけど寛容。奥深いが間口は広い。
『こころ』は岩波、新潮、角川、集英社と多くの出版社から出されている。本屋では同時に手に取ってみて、紙質、字体、装丁、解説など比べてみるのも楽しみの一つになる…かもしれない。
・「FRAGILE 」
心理描写に長けている作品。人間の繊細な心情、特に繊細な感覚な登場人物とも言えますし、共通項を見出せます。FRAGILE =人間とも感じる。
登場人物の出会いは、唐突のように思うし、それが人生とでも思います。
作品全体の雰囲気が静寂と脆さを醸し出し、最後の遺書の部分は、詳細かつ独自の誠実さを感じます。
今回、集英社文庫を買い、この表紙も興味深く内容の一つのエッセンスとなっていると思います。
後、300円代で買えるというのは、非常にお得な一冊と感じます。
・「文章読本として最高。明治時代の知識人の日常生活がわかる資料的な価値もある歴史書」
私の文章は、初期の漱石の影響を受けている。漱石の文体は、ベランメエ口調で調子がよい。本書は、『坊っちゃん』と並んで歯切れのよい口語文を書くための最高の文章読本だろう。
他の人も書評で述べているが、「図々しいぜ、オイ!」がDo you see the boy?になっているのもおもしろい。明治時代の日本人の英語の発音の仕方がわかるからだ。
seeが「シー」となまるのは今も同じだが、theが「ゼ」と発音するのは現在のなまり方とは違っている。boyが「ボイ」と万国音表文字通りに短母音になっているのも興味深い。
寺田寅彦がモデルと言われる寒月が「ドングリのスタビリチを論じて、あわせて天体の運行に及ぶ」のもおもしろい。
さすがに後世に名を残した高名な物理学者のことだけはある。日常の物品を通じて、宇宙の運行を感じとるのであるから、すごい。私と同じ感じ方だからね、ハハハハハ。
・「漱石作品の奥深さ」
小説は漱石に始まり漱石に終わると言われるそうですが、自分は、そんな前知識も無く「三四郎」、「坊ちゃん」の流れで、この本を手に取りました。そもそもの始まりは「クオリア降臨」という本の中で「三四郎」を強烈にリスペクトしていた茂木健一郎氏の著作の影響でしたが、こんなにまで夏目漱石に嵌るであろうとは思いもよりませんでした。余裕派と言われる、僕が高校生のときの教科書で一部を読んだ「こころ」などとは雰囲気を異にした、この小説の方が自分には気持ちが通じるものがありました。しかし「自殺クラブ」や、現代の女性の自立にまつわる離婚の増加などの先見性は、手塚治虫の「未来像」とは異にしたネガティブな未来像で、実際の現代にもつながっているところが、もの凄いです。現代の政府が、この本を真面目に解釈していたのならば少子化省などという政府も作る必要が無かったのかな?なんて勝手に思う限りです。本を開くと字が、ぎっしりとつまった、この小説に、うんざりしてしまう人も多いかと思いますが、どんな哲学の書よりも将来に役立つことが書かれている、物凄い書であると自分は思います。
・「@@」
知識人を嘲笑している馬鹿猫の話かな〜?馬鹿猫にそうせき先生が憑依していろいろ文句いってます。しかし日本はこの手の小説おおいね。ムラカミも最近このノリだしね。
・「今でも笑えるユーモアのセンス」
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という有名な書き出しは、学生時代からずっと頭に残っているものの、実は最後まできちんと読んだことがありませんでした。登場人物の描写が決して大げさではなく、猫の視線から描かれたものでありながら、つい笑いを誘います。現代の笑いのセンスとは違ったテイストがありとても楽しめました。登場人物である「猫」の人間社会を冷めたかんじの語り方と「クシャミ先生」の偏屈ぶりは憎めないものがあり、文豪、夏目先生の世界にはまりました。
・「何度読んでも飽きない」
~この作品は、小説と言うよりはむしろ、作者が「猫」の口を借りていいたいことを綴ったエッセイに近いものだと言うことができるでしょう。適当にぱっと開いて、でてきた所を読む、そういう読み方が楽しめるのもこの作品の魅力です。何度読んでも飽きません。登場人物たちの名前はだじゃれになっていて、作中いろんなギャグが飛び交います。「ずうずうしいぜ、~~おい」と言えば、「Do you see the boy」と返す酩酊ならぬ迷亭が、私のお気に入りです。~
・「山口県にある湯田温泉に行ってきました」
山口県にある湯田温泉に行ってきました。東京から電車で行くとちょっと時間がかかります。だけと、静かで良い所でした。カワハギが美味しかったです。行ってから知ったのですが、ここが中原中也の故郷だったのですね。中原中也の記念館もありました。この町を散歩して、温泉にでも入り、中也の詩を読んだりして、なかなか優雅でした。
・「人生がちょっと変わった」
子供心を失わない素直な人だ。毎日ふっと思いつくのに生活のためにふりはらってしまうような事をちゃんと思い返して詩にしてる。私は、もうそんなこと考えたってしょうがないと諦めてたのに。でもそうゆう生活って自分がよくわかんなくて余計に辛かった。これを読んでやっぱり私もまた子供の頃みたいに生きようてゆうか気持ちだけでもそうしようと思えた。この人は金持ちの子。だからこんなに詩を書けたのか。でもかんけいなく感動する。やっぱ世の中に必要な人だ。
・「狂おしさと、愛おしさと。」
中原中也の詩に出会ったのは高校一年の時でした。当初から独特のリズム感、詩が持つ世界の空気感に惹きつけられていました。高校二年の時、教科書に載っていながら授業で取り扱わなかったのをきっかけに購入、有名な詩以外にも魅力的な詩ばかりで買ってよかったと素直に思いました。哀切な響きと、それを包み込むような言葉の柔らかさと温かさ。またそれとは違って、悲しみに胸が締め上げられるような攻撃的なものまで、本当に感動しました。
・「やばいです。」
高校時代にこの詩集を読んだときには、あまり好きになれなかった。でも、浪人しているときにもう一度読んだら、胸が締め付けられるようだった。心になにか暗いものを抱えてる人が読むとヤバイ詩ばかりです。
・「生まれながらの詩人」
中原中也の詩は独特です。難しい言葉も表現もありません。しかし読むたびに新しい発見をする、そんな詩です。
・「偶然にも敬愛する先生も今,夏目漱石を読まれている。。。」
偶然にも,敬愛する先生も,最近はベッドに入り,夏目漱石を読みながら,眠りにつかれるそうだ。先生は,森鴎外を読まれているのだろうと思っていたので,最近これを知り驚き,嬉しくなった。
それにしても代助の思索,思考,行動には何故か引き込まれるものがある。
・「漱石の「高等遊民」に憧れて!」
小説『それから』の主人公・長井代助の生き方と環境に、多くの人が憧れたのではないでしょうか。代助の父親が経済的に豊かなため、彼は積極的に働くこともなく、読書生活を日課とする青年知識人、それが高等遊民の誕生である。
イギリスに留学した漱石のことを、「20世紀を持ち帰った漱石」という言葉がある。1914年(大正三年)の学習院での講演「私の個人主義」で、それを感じることができます。
漱石の三部作『三四郎』『それから』『門』は、20代、30代、40代になって、私たちの心を揺り動かし共感します。その中で、『それから』の世界に夢中だった30代は、高等遊民の世界の大切さを感じさせてくれました。
明治期の評論家・内田魯庵(1868〜1929)の「文明国には必ず智識ある高等遊民あり」の言葉が印象的でした。
夏目漱石(1867〜1916)の小説『それから』の魅力は、心の内面の深い感情と思考、そして葛藤の心理描写の匠さである。
・「100年前のニート大いに語る」
「100年前のニート<代助>大いに語る」といった風の小説でしょうか。
ある面から見れば、代助はいい血筋で学もあるのに「働いたら負け」といったごとくノラクラと暮らしているわけです。それがあろうことか、ちゃんと就職して働いている友人の妻と不倫する。こんな道理は通りません。
100年近く経ってこれほど現実に迫った鮮度を保っているとは・・・もちろんコレは漱石が今の日本と状況の似ていた当時のイギリスに留学していたことと無関係ではないのですが・・・驚嘆に値しますね。面白いです。
・「個人主義の台頭」
明治42年朝日新聞連載の長編である。有閑階級のインテリ代助と友人平岡の妻三千代との恋愛関係の帰趨を、平成年金暮らしのシニアは切実なリアリティとして受け止めることができた。倫理面で極めてストイックな物語の展開が先ず印象に残った。
・「内容に言及しています、」
30歳にもなって職を持たず、実業家である父から生活費を貰って暮らしている代助は友人夫婦である平岡夫妻が帰郷したことで様々な事柄と向き合うことになります。自身を責任ある立場に置かないことで成り立っていた生活と心の基盤を揺るがすのは...というのが始まりです。またまた当然文章が上手いです、説明し尽くされることに慣れてしまっている現代の小説家の文章よりもずっとセンスある、隙間を生かし、全てを説明しないでも伝えるテクニックがとても心地よいです。そして、展開も、描写も来ます、迫ってきます。哲学的問いかけ、生活者としてのその時の風情もあり、それでいて愛情についても語られる、昔からあったであろう西洋小説の王道です。しかし、その西洋の王道が日本的なものになって漱石先生の手にかかると、メランコリーで回ります。そこがとても日本的だと、ある意味美しいとさえ感じました。
内容に言及しています!
代助の無意識の内に平岡に自分の好きだった三千代を斡旋する努力を行ったことはおそらく『妻を娶る』という責任を回避するためのものであったであろうと私は解釈しました。だからこそ、その後その自分でした事の事実お大きさに悩み苦しみ、そして運命という言葉を出して自身を納得させる部分はたしかに誉められた行為ではありませんが、ドラマとして必要な部分でさえあると私は思いますし、自分で蒔いた種を刈ることの悲劇性が強くなって小説としてよかったと思います。その辺や相対する平岡を徐々にどんな人物に変わっていってしまったかを描くことで感情移入させやすくしていますし、より小説世界に入り込んで楽しめました。なんだかんだと理由をつけ、その理由が正しいか誤っているかではなく、今どうなのだ?という現実に即する事が出来ないあたりが私個人的には村上 春樹さん的にも感じられ面白かったです。やはり周りをとりまく人々の(父の、兄の、嫂の、そして平岡や寺尾、もちろん三千代まで当然!)凡庸なるまともさと神経質なまでの考えに固着する代助の頭の回り方が対比美しく良かったです。三千代が代助の告白を聞き入れる度胸の大きさと覚悟の見事さに比べてのある意味滑稽でもあり、そして何故だか哀しくもある代助の態度がまた印象的でした。
その上ところどころで挟まれる描写の美しいことがまた盛り上げたり、引いて見せてくれたり、まさに自在に私の感情をぐりぐりと動かされた感じでした。特に描写では、嫂に自分の好きな女が出来た事を告白した帰りに見る梅雨時に珍しい夕陽と車の輪との描写はとてもヒロガリを感じますし、まさに衝撃的な場面の後でよりいっそう余韻に浸りました。また代助が三千代を好きだと自覚する場面での「三千代」を繰り返す文章が非常に代助の心を描写する意味では上手いと思いました。
不倫小説、とは言いすぎな部分もあるかと思いますが、現代でも同じ題材として繰り返されるモチーフのひとつでありながら、その他とはあきらかにレベルが違って感じる小説、再読だろうと充分に耐えられる芯の太い小説だと思います。
私は最後に代助の至った狂気への道筋にも見える部分こそ、本当の、現実への扉を開け、責任を負うことへの代助から見たものをそのままに描写したものだと思います。狂気を感じさせつつリアルであるという踏みとどまりを感じました。
漱石先生の作品が好きな方に、何時の時代もある不変的悩みに興味ある方に、村上 春樹さんの初期の頃作品が好きな方にオススメ致します。
・「ディープな東京を散歩したくなる。」
たまたま小川糸さんの「喋々喃々」を読んだ後にこの本を読みました。小川さんの本は谷中が舞台なのですが、ところどころリンクするところがあって「えー」っ思いながら楽しく読めました。
・「こういう思索の飛翔があっていい」
中沢新一という人がどんな人で何を研究している人か、個人的にはさして興味を持ってこなかったのだけど、こういう本を書いて、それがそれなりに受け入れられているというのは、著者にとってはおそらく悪いことではない。
(20年くらい前にこれを書いてたら、もっとボコボコにされるか、あるいは一顧だにされないかのどちらかであったと思う。)
批判する人がいてもいいし、そうした批判を受けるだけの理由がこの東京論には実際あちこちにある。どうも気に入らない、こんなもんに付き合ってられないという人は、こんな本、捨ててしまえばいいのである。
けれども、捨てる神あれば拾う神あり。
洪積層だの沖積層だの、あるいは資本主義だの神話だのとアカデミックっぽく理性的めかして書いてはいるけれど、おそらくそれらの外貌そのものは、著者にとってはぜんぜん重要ではないのだろう。実証だの論証だのをもってしては決して届かない世界の闇。そこへ向けて自らの五感を作動させようとすること自体に、おそらくこの思索の意味はある。
実際にその土地を歩き回ることによって、アタマではなく、カラダで妄想する。それを無意味だと思うのなら、この本に意味はない。けれども、そこから何かざわざわするものを感じ、何かを考えようと思えたのなら、それでこの本を読んだ甲斐はあったと言えるのではないか。
評者としては、参考文献なんか離れて、もっともっと自由奔放に妄想してもよかったでのはないか、と思う。もっとも、そんなことをしたらもっともっとワケノワカラナイものに仕上がってしまった可能性は大なのだが。
・「東京のフィールドワークがしたくなる本」
東京の地誌+民俗学+経済学などなど・・・いろんな観点から東京を観ていて、おもしろい。ドキドキしながら読みました。
途中、筆者の主観に走りすぎてる感があったり、“週刊現代”に連載されていた記事をまとめられた本なので、読者の好みそうな内容に傾いてる感もあり・・・。鵜呑みにしなければ、楽しめる。
東京のフィールドワークがしたくなる本でした。民俗学が好きな人も楽しめるかも。
・「感動します」
東京の古層に眠る縄文の記憶。久しぶりに読み終えるのが惜しい本と出会いました。
東京を支えるエネルギーを今でもこのように引き出せるのが驚きです。本書を読んで感じるところがある人とない人の両極端が存在すると思いますが、私によっては素晴らしい本でした。
・「東京って湿地だったんだ。」
思想家と言う肩書きを持つ著者が縄文時代の古地図と現在の地図を重ねた独自の地図を元に東京を歩きその感想を書いたこの本。色々な発見と共に、思想家という人はなんと創造力の豊かな人たちなのだろうと驚いた。
大地と平地が入り組んだ街、東京。この本は東京は徳川家康が入植する前はただの荒果てた土地だったと、昔の日本史で習った事を思い出させてくれた。
今は、アスファルトに囲まれた都市だけれども、小さいながら昔ながらの風景を残していてそれは案外近くにあるって事に気がついた。
江戸、東京。この二つの文化は繋がっていないように見えて実際は繋がっていて、それも深い関係がある。現在の東京都庁のあるあたりの十二社物語は本当にダイナミックで今度、訪れようと思うほど、東京の歴史の深さを再認識できた。
・「我輩は犬である」
我輩は犬である。名前はポチだ。
この本に登場する猫は、我輩の友達なのだがまだ名前が無いらしい。名前さえ付けてもらえないショボい猫なのだが、こいつがなかなかの男なのである。
こいつは、妻と3人の娘を持つちょっと鬱病気味の英語教師に飼われてやがるのだが、猫の分際で人間以上に人間の本心を読み取るのである。おまけにどこで読んだか知らないが、小難しい文学なぞにも通じていて哲学的思想に浸り、俗世間で右往左往する人間どもを彼方の天空から見下ろす神のごとく、冷静に主人やその他の人間を見つめ続けるのである。
こいつ以外にも猫は登場する。こいつを「先生」と呼ぶ三毛子という雌猫や、下品で無教養で粗暴極まりない「車屋の黒」というでかい黒猫である。こいつもさすがに黒のことは恐くてしょうがないらしい。
猫の視点から、人間の生き様を風刺的に描いた大変ユニークで質の高い傑作と言えよう。
ちなみに我輩は登場しない。ポチなんて犬は、多分登場しなかったと思う・・・。
まあ、気になったら最後まで読んでみてくれたまえ。では失敬。
・「なんなのだこれは!」
司馬さんが坂の上の雲を書く上で、主人公を”明るさという点で子規を選んだ”と。 選ばれなかったのがこの漱石だったんですね。
まさか今から100年以上前の小説がこんなにも可笑しく、共感できるとは。
明治期の文人知識人たちの鬱屈が目にみえるようでありながら、諧謔味のあるユーモアの数々数々。
逆に言ってしまえば私たちは、その形而上的な、精神的な段階、100年前から大して進歩していないのでは。と、思わせるほどのこの現代との一体感はなんぞ。
活字で笑わせていただいたのはさくらももこ、リリーフランキー以来。
旧千円札の肖像金之助氏の栄誉を今一度讃えたい。あなたは素晴らしい。素晴らしいが、ちと博覧強記に過ぎたということか。理解者がおらず、寂しくもあっただろうと思います。
・「漱石夏目」
ワガハイハ、ドブ猫である。
・「送籍先生」
・小泉八雲、高浜虚子が出てきます。 ・「送籍」なる男も会話に出てきます。 ・自殺志願をユーモラスに描いてます。 終盤では、漱石特有の問題(そう、あの個人の自我や我執の問題)が顕になり、やはり漱石の小説なんだなあと感じさせられます。 ・ベースボールを一種の砲術のように感じるといったところ、日本の近代化を日常的な面で感じるところです。 ・漱石の言葉遊びも実際に発見できました。 ・何年か前、批評家が言っていた漱石の凄い所、すなわち「芸術の消滅」を語っている部分、それも見つけました。みんなが自分のことしか考えないから、芸術や夫婦などの、複数人物あってこその社会的な活動もなくなってしまうというわけ。 ・当たり前のことだけど、猫がこんな文を考えたり書いたりはできない。それなのに作品として成立しているというのが、漱石の、同時代の風潮を超越したところです。
・「現代仮名遣いと新字体で読み易い」
岩波文庫のこの試みは成功していると思えます。日本文学の雰囲気をできるだけ壊さず、手に取りやすくすることで、国語の時間以外に、日本文学の素晴らしさを確認できるチャンスを与えてくれてますよ。
難しい漢字にルビが振ってありますが、できるなら同じ漢字が出てくるたびにルビを振って欲しいことと、注釈は、巻末にまとめることなく同じページに添えられたら確認するのも楽で便利だろうと思います。
夏目漱石の軽妙な言葉遣いを損なうことなく、とても読み易く、丁寧に作られています。さすがは夏目漱石と唸ること請け合いの傑作です。
まさか、吾輩と称する猫がああなるとは・・・。
・「小品」
表題作の文鳥を読んだとき、独特で新鮮な感じがしました。読み終えた後、何とも言いようのない悲しさみたいなものが残りつつ、次の作品に移りました。ただ、私にはちょっと合わなくて、作品の半分まで読んだのですが、挫折してしまいました。1作品、1、2ページで終わるものが多くて、しかもとりとめのない話のように感じてしまい、読欲がうまれてこなかったです。
あと半分は、また気が向いたら読もうと思っています。「小品」と云われるジャンルが合わないのか、他の長編を読んで決めるまでの気持ちにはまだちょっと時間がかかりそう。
こころ、とか読んでみたいなと思っていたのですが、いずれ、リベンジしてみたいと思います。
(2009.4読)
・「「文鳥」は読んでいると胸が痛みます。」
かつて生き物を飼い殺しにした経験のある私は、「文鳥」を読んでみて、昔の古傷を抉られたような心持ちになりました。
飼っている内にだんだん世話をするのに飽きてくる下りには共感しました。でも漱石先生は世話に飽きてしまってからも、やけに事細かに鳥籠を観察していますよね?そんなに事細かに観察するくらいならちゃんと世話すればいいのに、と思ってしまったり。飽きたら観察するのも嫌になりませんかね?
描写力云々はケチの付けようもありません。しかし前科者の私が言うのもなんですが、文鳥を昔自分が好きだった女になぞらえた挙句に飼い殺し、責任を家の人に転嫁する、という筋書きは趣味がいいとは思えませんでした。偉い文学者であれば、生き物を飼い殺しても全然構わないのでしょうかね?
・「生々しい漱石の闘病生活描写(「思い出す事など」ほか)」
「思い出す事など」(33編)と「変な音」(2編)では、明治43年8月修繕寺滞在中に胃潰瘍で吐血し、人事不省に陥った折の体験が描かれている(明治43年8月〜明治44年は朝日新聞への連載小説執筆はなく、その折のエッセイ)。
栄養摂取、消化薬、ペインクリニックなどが発達した昨今からみれば、想像できない程の医療技術の格差があり、骨や関節の痛みに耐えられない病臥中の漱石の苦痛の表現は生々しくも痛ましい。新聞報道を見て友人知人からたくさんの見舞電報が届けられたのに励まされ生き延びれたという述懐もあり、長与胃腸病院の医者や看護婦の懸命の治療と看病への感謝、鏡子夫人との対話、朝日番記者の動きや裏話が 死線を彷徨った文豪の筆で語られている。
小説家というより思想家や心理学者のように透徹した観察と思考を通じて、大胆な表現で小説やエッセイを次々と発表していった漱石の源泉を知るのに欠かせない 興味深いエピソードがびっしり詰められている。
本書(新潮文庫)には、他にも「永日小品」「手紙」などが収録されている。
・「文鳥」
あらすじ;主人公が文鳥を飼い、世話をしつつも、徐々に億劫になり、死なせてしまう。
感想;結晶のような小説という印象を持った。十分な世話をしてやれていない文鳥に対して何度も「すまない」と思うも、また同じことを繰り返す。「私」の文鳥に対する心情は、かつての恋人の心の内を察してやれなかった自身の鈍さへの後悔から来るのであろう。しかし、結局文鳥は自らの不注意から死んでしまう。昔の恋人と文鳥、昔の「私」と今の「私」が二重写しになり反射する。文鳥の瑞瑞しい描写、非常に簡潔で精緻な文体もそのような印象を強めた理由の一つである。
・「正直に言って・・・」
作品によっては「おもしろい」と思えるものもありますが、全体としては「よくわからない」という感想しかありません。
楽しみ方があるのかも知れませんが、それを知らない人は途中で読むのをやめるのでは?
『夏目漱石』という名前が無い場合、これほどの高評価につながるのか・・・少し疑問が残ります。
私自身のレベルの低さが、楽しめない原因かもしれませんが、個人的な評価としては星3つとさせていただきました。
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